第6話

 ルガーは王都の中を荷車を引いて走っていた。

 王都は海に面して切り立った崖の壁面に張り付くようにあった。崖の壁面に掘られた金鉱山から発展した町だった。城も教会も民家も崖から張り出す出窓のような構造を取らざるをえなかった。そのため王都の道路や広場は崖から張り出す木製のデッキで出来ていた。

 ルガーはそんな造り付けの棚ような木製の道をひた走る。道行く人を怒鳴ってどかし、道を空けないゴロツキには鋼鉄の義手をチラつかせた。

 ルガーは大きな坂道の下まで来た。ルガーは立ち止まると、荷車の向きを180度変えた。そして猛烈な勢いで荷車を押して坂道を登り始めた。坂道はゆるやかにカーブを描いているが、ルガーはカーブの手前に来てもスピードを緩めない。カーブがそこに存在しないかのように突進している。それどころか荷車を押すスピードをさらに増した。

 荷車は道の端に設けられた柵に衝突する。柵は荷車を止めるのに何の役割も果たさず、衝突音と共に荷車に突き破られる。

 荷車は空中にいた。荷車の数メートル先には何もない空間を挟んで、崖から突き出た出窓のような石造りの建造物があった。その建造物の屋上にはオリーブの木が青々と生い茂っていた。

 荷車はそのオリーブの茂みを目指して空中を進もうとしていた。だがあと僅かというところで、荷車は推力を失う。車輪は宙で空回りするばかりで前進の助けにならない。はるか下には海が見える。このままでは荷車ごと海に落ちてしまう。

 ルガーは鋼鉄の義手に右手を添えると、宙に向けて放った。

 ガン!!!!!

 鋼鉄の拳を撃ち込んだ反動でルガーの体は荷車に叩きつけられる。おかげで荷車は推力を取り戻しオリーブの茂みに飛びかかることができた。

 荷車はオリーブの茂みの地面に激突した。車輪が飛んで、荷台からリモが飛び出した。荷台から地面に落ちたリモの体は地面を滑っていく。

 ルガーは顔面から地面に着地していた。すぐに地面を滑走しているリモに気付く。

 ルガーはリモの足を掴もうと地面を這う。ルガーの右手はあと少しの所でリモの足首を掴めない。リモの体はオリーブの木に当たりながらも勢いを失わず進んでいく。リモの体は既に石造りの建造物の半分の位置を優に越えていた。このまま進めば反対側のフチから崖下の海へ転落する。

 ルガーはちらりと空を見る。朝日が目に入る。

 「十八時間は経過したな・・・」

 ルガーは四つん這いの姿勢で鋼鉄の拳を地面に斜めに突き立てる。

 ガン!!!!!

 地面を撃った反動でルガーの体は宙を飛ぶ。ルガーの体はリモを追い越し、地面に顔面から激突する。

 ルガーは狙い通り、リモの進行方向に着地できた。ルガーが顔から血の混じった土を払うとすぐに、リモの頭がルガーの腹部にめり込む。乾いた木の枝を折るような音がした。ルガーは「かはっ!」と血を吐く。

 リモはルガーを二メートルほど押し出してやっと停止した。ルガーの体は建造物のフチから僅かにハミ出していた。

 「ルガー君がいつも顔面から着地するのは何故だろうね?」

 ガウン姿の長髪の男がティーカップを持っていた。

 「ギャラハット先生!!」ルガーは叫ぶ。

 「重心の問題だね。その義手のせいだ」ギャラハット先生と呼ばれたガウン姿の紳士は一人納得していた。柔らかそうな赤毛。色白の顔にベッコウ製のメガネを掛けた年齢不詳な外見だった。

 「リモが自分の魔法で氷漬けになっちまった! 解凍できるか?」

 「ん? 私の手助けは不要だと思うが・・・」

 「リモの魔法は特殊で、奴が意識を失うと永遠に効力が消えねぇんだ!!」

 「なんと?! 永久に氷のままかい? なんていうか・・・便利だね! 食物を冷やしておくのに丁度いい」

 「氷になって二十四時間以上経過するともう蘇生はできねぇんだぞ!! リモの命が掛かってる!!冗談はやめてとっとと解凍してくれ!!」

 ルガーは立ち上がるとギャラハットに詰め寄る。

 「ごめん、ごめん。しかし不思議だね……」

 「何がァ?!」ルガーの唾と血がギャラハットの顔に掛かる。

 「汚いなぁ。でも妙な点が二つある。いや、疑問点かな? いや、それに二つじゃない、三つかな?」

 「何でもいいから、早くしてくれ!」

 「ルガー君も知っての通り、僕はマレクの人間にしては珍しく魔法に詳しい。特に回復魔法に関してはマレク随一だ。僕は若い頃エウローペに留学しててね。フランデルにあるパリス大学で医術と回復魔法を修めたんだ。パリスは知ってる? 本当に綺麗な都だよ。歴史的建造物は全て青タイルで装飾されてるんだ。言葉にできない程美しい青色でパリスブルーって呼ばれてる。未だにどうやって昔の人がそんなに美しい青色のタイルを造りだしたのか、製法が分かっていないんだ! えーとなんだっけ?ああ・・・そうだ、パリス大学はアビヨンの聖地である中東クティナにあるサヴォン修道院と並んで回復魔法の最高学府の双璧なんだよ」

 「先生が立派なのは十分分かった! 頼むからリモを看てくれ!」

 ルガーはギャラハットの肩を揺すった。

 「そう僕は立派なんだ!何しろパリス大学を首席で卒業したんだからね!・・・でもその僕が術者が意識を失っても効力が持続する魔法なんて聞いた事がないんだ!これが一つ目の疑問だ」

 「えっ?」

 「それに魔法による液体の固体化は、自然現象でのそれとは異なる。魔法というのは、術者が”呪文”と呼ばれる古代語を詠唱すると、術者の深層意識領域で適時、”場”に即した再帰的な形の”心象”に変換、再構築され”無意識に”展開される。展開された”心象”はあくまで再帰的な構造を持っている訳だから、最終的に全てが逆に戻るための”条件”が必ず中心部にある。詩的にこう言い換えても良い。再帰の行きつく先に建てられた行先表示版に掛かれている文句はいつも同じ。"来た道を帰れ"だ とね」

 「ちょっと待った、待った。先生、すまねェが全く分からねぇ・・・。一言で頼む!!リモは氷から戻るのか?戻らねェのか?」

 「ルガー君も少しは魔法についても学びたまえ。まぁいい・・・ほら!」

 ギャラハットは指さした。ルガーは指された方向へ振り返る。

 朝日を浴びてリモが輝いていた。氷から溶けだした水に朝日が反射している。

 「勝手に溶けてるじゃねェか?!!!!!」

 ルガーの目前でリモを包んでいた氷は急速に溶けていく。すでに上半身を包んでいた氷は全て溶けていた。リモの顔は生気があり、眠っているだけのように見えた。溶けた水がリモの前髪から頬を伝って首筋に流れていた。水が乾いた地面に吸い込まれていく。

それを見てギャラハットは満足げに言う。

 「最近雨が無かったから、オリーブに水やりができたよ。何処まで喋ってたんだっけ?ああ・・・そうだ。”条件”を満たせば呪文は再帰的に元の状態に戻っていくんだ。つまり魔法というものはそもそも可逆的な性質を運命付けられているんだ。つまりいつか必ず解けるものだ。何年経過しても魔法による氷からの解凍は可能だ。例えばノールの王家には子宝に恵まれた時に第二王子を氷漬けにする風習がある。王家の血が途絶えそうになると解凍して子孫を残させる為だ。今のノールの王、デミドフ王もそうだ。彼は三百年前の人間だ。ただ珍しいことにデミドフ王は老齢期に氷漬けになっているんだ・・・何の話だったけ?・・・ああ、そうだ、話を総合するに・・・」

 「オレはリモに騙されてた・・・」

 ルガーが呟く。

 (そうなるかな)

 リモの声がルガーの頭の中で聞こえた。

 リモは目を開いた。

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