第17話

 (ダメだよ……王子に死なれちゃあ……)

 リモは手で顔を押さえて嗚咽し始めた。

 まるで小さな女の子の様だった。ルガーは胸を掴まれた気がした。

 「泣くなリモ! 人頼りがまずかった! オレ達でなんとかしよう! な?」

 (証拠がない! ポメロの死体も! ドラゴンが生きてる証拠も! 虐殺の証拠も! 何ンにも無い!)

 「証拠か……ねぇな」

 ルガーは空を見た。

 そして落ち着いた調子で言い始めた。

 「でも……いいんじゃねぇか。証拠なんかなくったって」

 (えっ?!)

 リモは顔をあげてルガーを見た。涙と鼻水で顔が濡れている。

 「おまえのテレフォノが届く範囲はどれくらいだ?」

 (やったことはないけど。全力でやればこの広場にいる人たち全員には聞かせられると思うよ……)

 「なら十分だ。おまえの話をみんなに聞かせてやれ! 何か伝わるかもしれねぇし、伝わらねぇかもしれねぇ。信じてくれる奴もいるかもしれねぇ。それで十分じゃねぇか」

 (何が十分なの?)

 「おまえが胸の内をぶちまけたら、二人であそこにいるトクビルとカルネをぶっ倒しにいこうぜ!」

 ルガーは空中庭園を指さす。

 (それで?)

 「そんとき、オレ達はただの犯罪者だ。でもおまえの話を聞いてオレ達を信じてくれる奴らがいたら……オレ達は騎士だ! それで十分だ!」

 リモは目を閉じた。

 (……良いことを思いついたよ)

 リモは目を開けるとベンチから立ち上がってフードを捨てて駆けだす。教会の壁際でジャンプし壁の引っ掛かりに張り付くと器用に登って行く。あっというまに教会のテラスに到達した。

 広場の何人かはリモに気付いたが、大多数は口々に王子の異変について語り合っておりそれどころではない。

 リモは目を閉じた。

 (みなさん! 私はマレク王立騎士団のリモナーダ・ベルデと申します!)

 「さすがに『元』騎士とは言わねぇか……」ルガーは苦笑した。

 ルガーの近くにいた人々からは「何だ? 何が始まったんだ」や「この声、頭の中で……」という声が聞こえた。

 「オイっ! あれだ! あれが声の主の騎士だ!」

 ルガーはありったけの大声で教会のテラスにいるリモを指さす。

 広場にいる人々がリモに注目しだした。

 女達は「なんてきれいな子なの」、「まるでどこかのお姫様のよう……」と黄色い声を上げている。

 男達は「すげぇ美人だ」、「あの女しびぃ」だのと呟く者が多い。

 リモの容姿の良さが生きたなとルガーは思った。

 (私は子供の頃の事故が原因で声が出せません。だから念会話の魔法テレフォノで皆さんの頭に直接語りかけてます)

 頭の中の声の原因が分かったからなのか人々のざわめきが小さくなった。

 (一週間前の深夜、ここで首の無い男性の死体が見つかりました。犯人は摂政のトクビルです)

 人々はリモの話に聞き入る。

 (トクビルが金鉱山で働かせているオークを操って被害者の首を食いちぎらせたのです。……被害者は勇者ポメロです!)

 人々が再びざわつき始めた。

 (勇者ポメロは当時三十五歳の無職の男性でした。トクビルは貧民街から身よりの無い者を選び、ドラゴン討伐の旅に同行させたのです。最近はドヤ街で『ズリバイ』というあだ名で呼ばれていた酔っぱらいが勇者ポメロです)

 「オレ知ってるぞ。あのじいさんがポメロだったのか!」広場のどこからか声があがる。

 (ズリバイことポメロは名前の通り、歩くときは足を引きずるようにしていました。そしてまともな会話ができる精神状態でもありませんでした。ですが私が生前彼から聞き取った断片的な話を総合すると、ドラゴンとの戦闘は次のようなものだったと思われます。魔法使いトクビルがポメロの剣に炎の魔法を纏わせてドラゴンに突撃させます。ポメロは炎の剣を振り回しドラゴンに向かっていきます。ポメロの攻撃がどれほど有効だったかは定かではありませんが、ドラゴンからポメロへの攻撃は確実に命中しました。するとマールが回復魔法でポメロを回復させます。この時マールは禁忌の回復魔法――自分の寿命と引き換えにどんな怪我からも回復させるという回復魔法を使用したはずです。そして回復したポメロをカルネが脅してまたドラゴンへの攻撃に向かわせます。カルネはトクビルとマールを防御し、ポメロを逃がさない為の暴力装置の役割を兼ねていました。このようなポメロを使った非人道的な攻撃を何回も繰り返したはずです。その証拠がポメロの両手両足の長さの不一致です。つまりドラゴンの猛烈な攻撃による骨肉の欠損は禁忌の回復魔法を以てしても完全には回復できなかったという訳です)

 「なんとむごいことを……」ルガーの前方の年寄りがうめく。

 (つまりポメロは捨て駒だったのです。勇者とは戦士でも魔法使いでも僧侶でもないポメロを祭り上げるための方便に他ならなかったのです)

 広場中がしんとなった。

 (最終的にポメロは生きてマレクに帰還することができました。マレクに戻ったポメロは宿屋を開きます。おそらく旅の報酬としてポメロが希望した彼の夢だったのでしょう。ですが、先ほどお話したようにポメロの体はとても宿屋を経営できるような状態ではありませんでした。ドラゴンの攻撃によるダメージで肉体的にもボロボロでしたが精神的にも病みはじめていたのです。ポメロは人との会話もおぼつかなくなります。そして宿屋はわずか半年で潰れることになります。宿屋の建物は現在『薔薇の館』として知られています)

 「言われてみれば……あの娼館……前は宿屋だったような……」誰かが言った。

 (その後ポメロはドヤ街で飲んだくれるようになります。生活資金は司祭となったマールが提供していました。おそらくマールは罪の意識からそうしたのだと思われます。ポメロは定期的に深夜の教会前広場に出向きマールから金を受け取っていました。……一週間前のあの夜もそうでした)

 リモは目を閉じため息をついた。

 (ポメロはトクビルの操るオークによって殺されたのです! オークに首を食いちぎられ身元が分からないようにして殺されたのです! 心優しいピスタ王子は勇者ポメロを探していました。自分を救ってくれた英雄に報いるために! ですがそれはトクビルには都合が悪かった。トクビルは王子が真実を知る事を恐れたのです。王子が王となられる前、つまり戴冠式の前までにポメロを殺しておく必要があったのです!)

 広場の誰も声を発しなかった。

 (そして……これほど非道い戦術の末にドラゴンを倒せたのでしょうか?)

 皆が固唾を飲んで聞き入る。

 (……倒していないのです! ドラゴンは今もオストラス山で生きています!)

 リモは腰の革ケースから何かを取り出し、それを皆に見えるよう掲げた。リモの手に握られた何かがキラキラと太陽光を反射している。

 (これはオストラス山の調査に赴いた騎士団のジョージ・ルガー氏が入手したドラゴンのウロコです)

 「眩しいっ!……あれがドラゴンのウロコ……」

 「ドラゴンを倒していない……」

 「初めからうさんくさいとおもったわ!」

 ルガーにはリモがいつも持っている手鏡に見えた。

 本気で驚いている人々を見て、ルガーは人間不信に陥りそうになった。『見た目が良い人間は嘘をつかない』とでも思っているのだろうか?

 (ではドラゴンも倒さず、四英雄はどうやって瀕死だった五歳のピスタ王子を救ったのでしょうか? 回復魔法を使ったのでしょうか? 残念ながら回復魔法では外傷のような怪我は治せても病気を治すことはできません!)

 リモはしばらく沈黙する。

 そして言った。

 (……王子を救ったのはエルフです!! 四英雄と王子はドラゴンとの戦いの敗走の末、オストラス山の反対側に出ました。そこはエルフガルドの寒村がありました)

 広場のあちこちで驚きの声が出た。

 ルガーの隣では乳飲み子を抱えた女性が「えっ! エルフが?!」と上ずった声を上げていた。

 (エルフガルドはマレクと比べ魔法もそうですが医療も進んでいます。王子の症状を見て取ったエルフの村人は解毒剤を飲ませ、血清を注射して王子の命を救います)

 「長年敵対してきたエルフがピスタ王子を救ってくれた……有り難い……」

 ルガーの後ろで男が唸る。

 (ですが……その村で四英雄たちは恩を仇で返すような凶行を行ったのです! 女性のエルフへの乱暴から始まった凶行はやがて、村人全員の虐殺、放火へと発展しました)

 皆はリモが何を言ったのか理解できないようだった。

 やがてあちこちからうめき声のようなショックの声が広がっていく。

 「虐殺? 放火? はっ?! 」

 「えっ?! ……そんな……そんな事が……」

 「酷い……酷すぎるだろッ……」

 「……そんな……それが人のやることなのか……」

 「……そのような行い……神もお許しにはならないだろう……」

 「証拠はあるのか!」遠くから鋭い声が飛ぶ。

  少しの沈黙の後――

 (証拠はあります! それは……私です! 私はその村の生き残りです!)

 リモの美しい亜麻色の髪が風になびいた。

 (私は……エルフです!!)

 リモが服を脱ぎ始めた。

 人々のざわめきが大きくなる。

 皆の視線がリモに集中する。テレフォノが届かない他の広場や坂道に溢れた人達まで教会前広場の異常な雰囲気を察して注目し始めていた。

 リモは服を捨てた。

 一糸纏わぬリモの裸体に誰も声を発しない。

 ルガーもリモを見た。

 驚いた。

 リモは確かにエルフの特徴を備えていた。

 男ならあるべきものがあるべき所に無かったのだ。

 (私は男でも女でもありません。エルフの性別は後天的です。人間でいえば二十歳を過ぎる頃に男と女に分化します。私は十九歳です。そのため未だ男でも女でもありません)

 「まるで天使みたい……」小さな女の子が呟く。

 人々のざわめきが静かに広がる。

 リモは背中を向ける。

 背中一面に焼けただれた火傷の跡があった。背中から臀部に至る非道いケロイド状の火傷だった。

 (当時、子供だった私は幸運にも凶行から逃げ出すことができました。ですが……あの夜以来声がでなくなりました。それが今皆さんにテレフォノで語りかけている理由です)

 泣き声や鼻をすする音があちこちから聞こえる。

 「なんと……むごい……」

 皆がリモに同情した。

 リモは服を拾って着始めた。

 (ところで皆さん、不思議ではありませんか? 村人を虐殺されても、なぜエルフガルドはマレクに戦争を仕掛けないのでしょうか? とっくに戦争状態になっていてもおかしくない大事件です。マレクが天然の要塞だからでしょうか? それにしたって非難の声明すら出さないは異常です)

 リモはなおもテレフォノで語り続ける。

 (理由は皆さんの生活が苦しい事と関係しています)

 皆、きょとんとしている。

 (豊かな金鉱山を有するこのマレクで誰の生活も楽ではないのは何故でしょう?)

 「税金だ!」

 「そうだ! 税金だ!」

 あちこちから同調の声が上がる。

 (そうです。マレクの税金は世界的に見ても高額です。税額は大国エウロペの二倍、新興国クラリアの四倍に達します! 異常な高額です。では集められた高額な税金、産出された莫大な金はどうなるのでしょうか? 何に使われているのでしょうか? 王都の道路、城壁や港湾の整備や補修でしょうか? 騎士団の増強? それとも貧民街の救済でしょうか? ……いいえ、そのどれにも使われていません! マレクの富は全てエフルガルドへ流れているのです!)

 声を上げるものは誰もいなかった

 リモの独壇場となった。

 (賠償金です! 十五年前トクビルが摂政となってから、つまり四英雄が旅から戻った翌年から、マレクはエルフガルドに毎年国家予算の三倍の賠償金を支払っているのです! 名目上はオストラス山のエルフガルド領地の購入代金となっています。トクビルは自分達の狂気の劣情の代償を皆さんの富で支払っているのです! それがエルフガルドが文句も言わず黙っている理由です! それが皆さんが貧困にあえでいる理由です!)

 しばらく沈黙が続いた。

 やがてあちこちから怒りの声が聞こえ始めた。

 「ひっでぇ!……ホントにひっでぇ!」

 「許せない……王子を救ってもいないくせに!」

 「なんて事! 四英雄だなんて尊敬してきたのが馬鹿みたい!」

 (皆さん! 王子は四英雄の犯罪に気付いておられました。もしかしたら、村での凶行の際に意識があったのではないかとも思われます。王子は戴冠式を待ってお金の流れを追い、裁きを下されるおつもりでした。ですが……たった今みたように何者かに毒殺されました!!)

 「トクビルだ! 奴が王子を殺したんだ!」誰かが叫ぶ。

 (あそこにトクビルとカルネがいます)

 リモが空中庭園を指さす。皆の視線がそこに集中した。

 (私と同僚のルガー氏はこれから、トクビル、カルネの両名を逮捕します!)

 大歓声と割れんばかりの拍手が起こる。

 リモが教会のテラスから飛び降りる。

 群衆がリモ目掛けて押し寄せた。

 無理やり握手を求める人間や、リモの髪や体に触る人間までいた。

 「リモ!」ルガーが叫んだ。

 リモは群衆の中からジャンプで抜け出す。皆の頭上を宙返りでゆっくりと飛び越えた。

 リモは着地と同時に人の群れの中を走り出す。

 ルガーが後を追う。群衆もリモを追った。

 リモとルガーは城を目指して王都の坂道を走った。

 教会前広場にいた騎士団の制服兵達が二人に並んで走り、押し寄せる群衆を抑えて道を開けさせていた。

 「リモちゃん! ルガー! 絶対トクビルとカルネを挙げてくれ!」顔見知りの制服兵が声を掛けてきた。

 「任せとけ! リモ! どうする?」ルガーが言った。

 (空中庭園に着いたら僕が口上で煽る……君の不死身の体を理由させてもらうよ)

 「何?!」

 「見事なアジ演説だったぜ」何処からかモントーネの声がした。通りに面した娼館の飾り窓からこちらを見下ろしている。

 リモとルガーは走るスピードを緩める。

 (ありがと)

 リモはモントーネとルガーにしか聞こえないようにテレフォノで言った。

 「ホメてねェ。どうやってトクビルはオークを操ってる?」

 (分からない)

 「そうだ。肝心のポメロ殺害の方法が分かってねぇ。分かってるのはオークが首を食いちぎったって事だけだ。トクビルの関与を立証できてねぇ。トクビルの逮捕は無理だ。それとも十五年前の虐殺事件の容疑で逮捕するのか? 証拠はお前の証言だけだ。物証がない。こっちも逮捕は無理だ」

 (いいや、煽って別件逮捕を狙う)

 「……カルネを煽る気だな。おもしれぇ。あいつはバカで単細胞だ。引っかかるかもしれねぇ。だが、おまえらはもう騎士じゃねェ。どうやってアゲる?」

 (市民逮捕権さ)

 「市民逮捕……。そうか! その手があったか! 現行犯逮捕であれば誰にでも逮捕権はある! ハハハハハ! 煽れるだけ煽ってやれ!」

 (身柄は君に渡すよ)

 「そうしろ。カルネをブチ込んだらオレが団長だ。それに奴らの身柄をとっとと抑えネェとマジでヤバい。あれ見ろ」

 モントーネが指さす。ルガーとリモの後ろにいつのまにか民衆達が列を成している。手に包丁、鉈、鎌等の武器を携えている者も大勢いる。

 「おまえに焚きつけられた連中だ。場合によっちゃ国がひっくり返る」

 (革命……かな?)

 「まァ頑張れ。オレも支度を始める」

 モントーネは窓の中に引っ込んだ。

 ルガーとリモは再び走り出す。

 「おい、リモ! ちょっとヤバくねェか? 人が増えすぎだぞ!」

 (ビビってるの? 僕らは二人を逮捕するだけだよ)

 「でもよ。民衆どもは逮捕くらいじゃ黙ってねぇだろ。こいつらいつ暴れだしてもおかしくそさそうだぞ」

 (じゃあ、なおさら逮捕に全力をつくす必要があるね。王子亡き今、トクビルを逮捕すれば、無血革命が成功するよ)

 「おい! おい! 革命って言うのはやめろよ……」

 (あれ? やっぱりビビってるんじゃない? モントーネは面白がってたよ)

 「奴はどっちに転んでも平気だからだろ。でもこんな感じで革命になだれ込むのはマズいんじゃねぇか?」

 (何で? エフルガルドは百年も前に革命で王制を廃止してる。マレクは遅すぎたくらいだよ)

 「でもよぉ……もっとこうちゃんとやった方が……順序とか計画とか……」

 (計画? 君の口から聞くとは思わなかったよ)

 「うるせぇ! まったく大したタマだぜおまえは。おっ! 着いたぜ」

 (タマは無いよ)リモが呟く。

 ルガーとリモは城の入口に到着した。

 城の入口の前は広場になっていた。この広場には城の入口、鉱山の入口、王都を貫く幹線道路が集合していた。

 鉱山の入口は巨大で、アビヨン教会がすっぽり入りそうな程の高さを備えていた。

 幹線道路とは壁面に穿たれた幅広の道のことで、その道に王都の主要な木製の道が接続されている。

 ルガーとリモが城に走り込もうとするのを門番の護衛が止めた。

 門番はルガー達の背後の民衆達を見て緊張しているようだった。

 民衆達はどんどん城の前の広場に集結していた。幹線道路にも人々が列を成している。王都中の人間が集まっているかのようだった。広場に溢れた人々は鉱山の入口にまで達している。

 「ど・ど・どういったご用件でしょうか?」

 「どういったもクソもねぇ!! 騎士だ! 王子毒殺の捜査だ! そこを開けろォ!」

 護衛は「ご苦労様です」と道を開ける。

 二人は猛スピードで城内を駆け上る。

 「こうなりゃ、スピード勝負だ! あいつらが暴れ出す前にトクビルとカルネを逮捕してやる!」

 (そうだね。逮捕しないと収まらないね。逮捕しても何事も無く収まるとは思えなくなってきたけど……)

 ルガーとリモは階段を登って廊下を走り、また階段を登った。一直線に空中庭園を目指す。

 「何で城の構造が分かる?」

 (適当だよ。空中庭園は最上部に近い。とにかく上に登ってる)

 邪魔する護衛には「王子毒殺の捜査だ!!」とルガーが怒鳴ってやりすごす。

 (ここだ! 王子の部屋! ここから空中庭園に出れる!)リモが言った。

 ルガーはためらいもなく鋼鉄の拳を放ちドアを反対の壁まで吹き飛ばす。

 二人はテラスから空中庭園に飛び出した。。

 庭園には白い天幕が張られ、テーブルがそこら中で島を作り、その上に豪華な食事が乗せられている。

 各国の参列者達は椅子から立ち上がってあちこちで語り合っている。

 ルガーとリモは混乱した空中庭園を駆け抜ける。

 庭園の中心にある噴水前で立ち止まった。噴水の前のひと際大きな円形の白いテントの下に人だかりがあったからだ。

 ここだ。ここが現場だった。

 リモが前に出る。

 (摂政クエンタ・トクビル! 騎士団団長ガルソン・カルネ! 両名をエルフガルド領トラス村での強姦・殺人・放火の罪で逮捕する! 何処にいる! 神妙にしろ!)

 リモのテレフォノが空中庭園に響き渡った。

 リモは目の前のテントの下の人だかりを睨む。人だかりが徐々に散っていく。

 「そうだ! ドラゴンを倒し、王子を救った等とおまえらはとんだペテン野郎だ! ドラゴンは生きている! オストラス山で休眠中だ!」

 ルガーが叫ぶ。

 人だかりのあった場所にトクビルと倒れた王子が残った。王子の傍らに医師のギャラハットが付き添っている。

 ルガーはさらに声を張り上げる。

 「オレは見た! 十五年前エルフガルドの村でおまえらが何をしたかぶちまけやる!  おまえらはあの夜……」

 ドカッ!

 ルガーは背中に衝撃を感じた。

 胸を見る。

 斧の切っ先が飛び出している。

 ドカッ!

 もう一度背中に衝撃があった。

 今度は腹から斧が突き出ていた。

 斧の刃先から血がボタボタと流れ落ちていく。

 (ルガー!!!!)

 リモが叫ぶ。

 ルガーの目は自分の胸から突き出た斧に注がれている。

 斧の切っ先。わずかに左側に傾斜している。

 「右後方……茂み……」

 ルガーはそう言うと地面に倒れた。

 リモが跳ぶ。

 噴水のフチの飾りブロックを蹴って高く舞い上がった。

 噴水の上を横切るように空を駆け上がっていく。

 噴水から吹き出す水を掬うように横蹴りする。

 水しぶきが光を反射しながら飛び散る。

 「アグア・ソルベッテ!! 」

 リモは事件以来初めて発声した。

 輝く水しぶきが無数の氷のナイフに変化しながら、茂みに飛び込む。

 何かに突き刺さる音が連続して聞こえた。

 茂みの中からカルネが現れた。茂みの中に隠れていたのだ。

 カルネの着ている騎士団の白い礼服があちこち血に染まっている。だがそんな事はまるで意に介していないようだった。カルネの鼻息は荒い。激高しているようだった。

 (ガルソン・カルネ! 逮捕する!)

 リモの声が庭園中の人々の頭に響く。

 「オレを逮捕するだと? こいつの言ったエルフの村の件は既に時効だ!!」

 リモがカルネに駆け寄る。

 カルネは斧を振りかぶる。よりも速く、リモは剣を抜く。

 切っ先をカルネの喉元に突きつけた。

 (たった今のルガーへの殺人未遂の現行犯だ! 市民逮捕権によりおまえの身柄を拘束し騎士団へ引き渡す)

 「罠にかかりましたね」トクビルが言った。

 「オレは騎士団の団長だァ!!」

 劇高したカルネは振り上げた斧を振り下ろした。

 リモはカルネの斧を剣で受ける。だが受けきれない。

 カルネの斧はリモの剣を弾いて、リモの肩口にめり込んだ。

 参列者から悲鳴があがる。

 カルネはリモの肩深くにめり込んだ斧を引き抜く。

 リモは地面に膝を着く。

 カルネは血の滴る斧をリモの脳天めがけて振り下ろした。

 「テラトロン」

 カルネに幾つもの火球が迫る。

 カルネの体に次々と火球が命中。カルネは一瞬で水蒸気となって消えた。

 「大丈夫ですか?」

 トクビルは血まみれのリモに近寄ると、顔を近づける。

 「致命傷ですね。お美しいのにおしいことです」

 リモに肩を貸すそぶりをしながら、リモの胸に触れる。

 「未だ性別が分化していないようですね。女性のような香りもしますが……」リモの耳元で声を潜めて続ける。

 「あなたの事は知っています。あの時逃がしたお子さんですね」

 トクビルはリモの胸を乱暴になで回す。肩の傷が広がり、リモは苦痛で顔を歪める。

 「残念でしたね。ここまで来るのに随分ご苦労された事でしょうに。あなたがこの国に来れられた時からあなたの事は注意していました。何度か殺そうともしたのですが果たせませんでした。ですがここまでですね」

 今度はリモの髪に鼻先を押しつけてクンクンと匂いを嗅ぎだした。

 「良い香りです。若さに溢れています。あの村の事を思い出します。私の人生の絶頂はあの夜でしたもの。犯して、燃やして、殺しました。でも私は今も生きている! なんて素晴らしい! 素晴らしい体験です! 今思い出してもゾクゾクします」

 リモの目が涙で溢れ嗚咽が止まらない。

 「悔しいですか? フフフフ。マールとカルネさんもあの夜はそれぞれに楽しまれていましたよ。でもお二人ともあなたを逃がしたせいで命を落とすことになりました。自業自得です」

 トクビルはリモの髪に顔を埋めて続ける。

 「でも結果的にはカルネさんのおかげです。事件の生存者であるあなたとカルネさん自身の口を封じることができたんですもの」

 地響きが聞こえる。血の底からごろごろという轟音が響いた。

 直後――噴水が粉々に砕けた。

 ドーンッ!!!

 皆が一斉に噴水の方向を見た。

 噴水を突き破り巨大な手が地面から這えている。

 「やっと上がってきたようですね」

 巨大な手。腕。肩。続いて体が現れた。

 見る見るうちに、一体の超巨大なオークが噴水を破壊しながら這い上がってきた。立ち上がると身の丈が十メートル以上はある。まるで教会の尖塔のような大きさだった。

 「トロールとの混血です。見事でしょう?」

 参列者達は何故か逃げもせずただ茫然とオークを見上げている。

 (何を……する気だ?)

 リモが息も絶え絶えに聞く。

 「念には念をね。王子側に寝返った大臣たちをお掃除しようと思いましてね。まぁあの子に細かい動きは難しいでしょうから、皆殺しになっちゃう事になるかもしれませんがね」

 リモは残った力で庭園中にテレフォノで呼びかける。

 (みんな逃げろ!! 踏みつぶされる! オークから……逃げ……ろ!)

 リモの声を聞いて金縛りから解けたように参列者達が騒ぎ出す。

 トクビルは両手でリモの頭を掴んでから、地面に叩きつける。

 「邪魔してんじゃないよ!! このド田舎モンが!!」

 リモの頭を足で踏みつけた。

 オークもトクビルと同じように逃げまどう参列者達を踏みつけようとしている。それを見てトクビルは「さすが我が子です」と笑った。

 (ルガー……)

 リモがルガーの方に顔を上げた。

 顔は血と涙でぐしゃぐしゃだった。鼻が曲がり、額が擦り切れている。

 (……助け……て)

 トクビルが足を高く上げ、リモの頭を思いっきり踏みつけた。

 ゴン!!

 「ひゅううう。イイ気持です。年甲斐もなく興奮しちゃいました」

 リモの顔から流れ出た血が地面に広がっていく。




 粗末な木のテーブルの上にろうそくが灯っている。

 幼いルガーの誕生日。

 母親と二人きりの誕生日。

 若き日の母は笑っていた。

 豪華な料理もプレゼントも無かったがルガーは幸せだった。

 ”ジョージ。あなたは生まれつき特別よ。一族の中でも特に力が強くて体が丈夫なよ。だからお願い。自分より弱いものを守れるような優しい心を持ち続けてね”

 母親の言葉をルガーは忘れたことはない。


 うつ伏せのまま倒れていたルガーの目が開く。ルガーは鋼鉄の拳をそっと地面に立てた。

 ガン!!

 鋼鉄の拳で地面を撃つ。

 反動でルガーの体がボールのように空中に放り投げられる。

 ガチャリ。

 宙を舞いながら次弾が装填される、廃莢口から白い煙が尾を引いて―

 「何だ?」空を見上げるトクビル。

 ドン!

 トクビルの上に落下してくるルガー。

 二人はそのまま地面に倒れ、ルガーはトクビルの上に馬乗りの姿勢となる。

 トクビルのフードが外れ、醜く焼けただれた顔が露わになった。

 ルガーはトクビルの顔に拳を置いた。

 「あなたは……いったい?!」

 「この国を……リモを……コケにしてタダで済むと思うな……」

 「思いますよ! こんなクソみたいな国! 」

 「やはり、エルフガルドの人間か……」

 「!! 何故それを?」

 「お前がオークを操るのに使っているのはエルフガルドの諜報機関が開発した特殊なテレフォノだ。お前はこの国に忍び込んだエルフガルド海軍のスパイだ。土地の購入代金の名目で長年マレクの金鉱山の利益をエフルガルドに送金していた」

 トクビルは笑った。

 「よく調べましたね。だが気付くのが少しばかり遅かったようです。オークを使った金の採掘でこの国の金は取りつくしました。富の移転はもう終わっています。ゴールドの輝きはエルフにこそ相応しい。そうは思いませんか?」

 ルガーは地面に倒れているリモを見る。

 「リモは……リモの村は自分の国に犠牲にされたのか……」

 トクビルは杖をルガーに向けた。

 「あんな辺境の村の一つでこの国の金が丸ごと頂けた。安いもんだろ! ベハハハハハハハハハハハ。アル・ケイ」

 トクビルの目が開いた。

 ルガーは鋼鉄の拳をトクビルの顔に撃ち込む。

 ガンッ!!

 鋼鉄の拳はトクビルの顔を撃ち抜き後頭部を突き抜け地面を打った。

 ルガーの顔はトクビルの返り血で真っ赤に染まった。

 巨大オークの動きが止まった。あと少しでギャラハットや大臣達はオークの足に潰されるところだった。

 ギャラハットは空中で静止したオークの足の裏から急いで這い出す。

 大臣や参列者達は空中庭園から城の中へ駆け込んで行く。ギャラハットはそれらの人の群れとは反対方向に進み、ルガーに駆け寄ってきた。

 ルガーは軽々と立ち上がる。

 「ルガー君!! 背中に斧が刺さったままだぞ!」

 「先生 オレよりリモを」

 「ん? リモ君! 本当だね。リモ君の方が危なそうだ。彼から回復させよう」

 ギャラハットはリモに近づき肩に手をかざす。目を閉じて呪文を詠唱する。

 「フラゴラ! フレッサ!」

 ジュクジュクと音を立ててリモの傷口がふさがっていく。

 「次は君だ」

 ギャラハットがルガーの方を向く。

 ルガーは巨大オークを見つめている。

 ギャラハットもルガーにつられてオークの方を振り返る。

 「まるで魔法を掛けられたみてぇに止まってるな」

 「そうだね。ただ静止魔法を掛けられた場合はああはならないよ」

 「どういうことだ? 先生」

 「見てごらん。オークの眼球を。動いてるだろ」

 オークの眼球がぐるりと真横に移動した。それでは足らず首を後方に向ける。

 ルガーはオークと目が合った。

 「……先生。 逃げるぞ……」

 ルガーは背中に手を回し、器用に自分の背中から斧を引き抜く。派手に流血するが意に介さず残りの斧も引き抜く。

 「どういうことだ?! 君の体はいったい?!」

 驚くギャラハット。

 ルガーはリモに駆け寄ると体を肩に担ぐ。

 オークは片足を持ち上げたまま、ゆっくりと姿勢を変え始めた。

 オークはこちらに向き直ると同時に宙に持ち上げていた足を地面に叩きつける。

 ズゥゥン!

 地面が大きく揺れる。

 ルガーとギャラハットはテラスを目指して走り出す。

 ズゥン! ズゥン! ズゥン! ズゥン! 

 オークは二人の直ぐ近くに迫ってくる。

 「二手に! あのテラスだ!」

 ルガーとギャラハットはオークの手前で二手に分かれる。オークは一瞬どちらを追うべき迷ったのか動きが止まる。

 ルガーはテラスから王子の部屋へ滑りこむ。少し遅れてギャラハットも部屋に駆け込んで来た。

 ルガーはリモをそっとベッドに降ろす。

 (ルガー……)

 リモが言った。顔色は悪い。

 「もういいのか?」

 (ああ……大丈夫……先生の回復魔法は……強力だ。完全に回復するのに……もう少し時間が必要なだけ……)

 「なら教えてくれ。ありゃ、どうしたってんだ」ルガーはテラスを指差す。方向転換しようとしている巨大オークの足が見えていた。

 (おそらくトクビルは……自分の制御がなくなったら……破壊し……動く人間を……殺すよう…………刷り込んでた……と思う)

 「じゃあ、ほっときゃあいつは止まるのか?」

 (……逆だよ……あのオークが死ぬか……王都を破壊しつくすまで……オークは止まらない可能性がある……)

 「めちゃくちゃマズイな」

 ズゥゥン!

 部屋が揺れる。テラスのすぐ向こうにオークの足が見えた。

 王子の部屋を蹴ろうと足を振りかぶっている。

 ドガーーーーン!!

 部屋中が上下に激しく揺れた。

 急に部屋が明るくなった。

 壁と天井が無くなったからだ。

 空高くに部屋の天井が浮かんでいるのが見えた。

 そして巨大なオークの顔が何も無い天井から覗き込んでいる。

 オークが王子の部屋の壁と天井を蹴り飛ばしたのだ。。

 「先生! ベッドの下へ!」

 ルガーはベッドの上のリモに覆いかぶさった。ギャラハットは言われた通りベッドの下へ潜り込む。

 空から石のブロック、木片、石膏製の天井飾りなどが次々と降ってくる。ルガーはそれらを背中で受けてリモをかばう。

 ルガーとリモの目が合う。

 (大丈夫?)

 「見ての通りだ。奴の弱点は?」

 (泳げない)

 ルガーは笑った。

 ルガーは王子の部屋を飛び出し空中庭園に出ると、オークの股下をくぐる。

 護衛が落としたであろうマスケット銃を三本程拾ってオークの背中めがけて発砲しては捨てていく。

 命中しているはずだが何の効果もなさそうだった。

 「こっちだ。そう! 振り向け!」

 オークはルガーの方へゆっくりと方向転換する。

 改めて見上げるとより大きく見えた。

 「勝てる気が全然しねぇな……」

 ルガーは庭園の端に向かって走った。

 オークはルガーを追って歩き出す。歩く度に地面が揺れる。

 空中庭園の真ん中あたり、噴水のあった処にオークの作った大きな穴があった。

 ルガーは穴を覗きこむ。噴水の給水装置と真鍮製のパイプが折れ曲がり、その隙間に大きな空間が広がっているのが見えた。この下は城の大広間らしかった。

 ルガーはその穴の横で仰向けに地面に寝そべると、オークに向けて手を大きく振った。

 「ここだ。ここ。間違えるな」

 オークが間近に迫っていた。ルガーを踏みつぶそうと足を高く持ち上げる。ルガーの顔にオークの足の裏が迫った。

 ズゥゥン!

 オークの足がルガーごと地面を踏みしめた。


 …………ズガン……ズガン……ズガン……ズガン

 くぐもったような打撃音が聞こえる。

 …………ズガン……ズガン……ズガン……ズガン

 「ギャオオオォッ!!!」

 オークが叫んだ。

 オークは地面に押し付けていた足をゆっくりと持ち上げる。

 ルガーの体は地面にめり込んでいた。その姿勢のまま鋼鉄の拳を手元で小さく構え真上に向けている。

 ズガン! ズガン! 

 ルガーは宙に浮いたオークの足の裏に鋼鉄の拳を打ち込んでいた。

 ズガン! ズガン! ガボッ!!

 ついに鋼鉄の拳がオークの足の裏を突き破った。

 「ギャオオオオオォォォォォッ!!!」

 オークの足の裏から大量の血が流れ出る。ルガーは全身血まみれとなった。

 オークの体が後ろに傾いていく。

 オークは咄嗟にルガーに撃ち抜かれた方の足で体を支えようと足を着いた。

 ぐちゃッ!

 「ギァーーーーーアァァァァァァァッ!!!」

 足を地面に着けた途端、痛みでオークが叫んだ。

 凄まじい大声だった。空中庭園に面した城の窓ガラスが一斉に割れた。

 オークは姿勢を崩して地面に倒れていく。

 倒れていく先にはオーク自らが開けた大穴があった。

 オークは頭から大穴に落ちて行った。穴のフチに体をぶつけながら、オークの体は穴の中に吸い込まれるように落ちていった。

 ドーーンッ!!

 オークの体が穴の下の大広間の床に衝突する音が聞こえた。

 ルガーは地面にめり込んだまま、腰の革袋に手を突っ込んでリモから貰った爆弾を取り出す。

 鋼鉄の拳の排莢口に爆弾の導火線を突っ込む。

 ガキンッ!!

 鋼鉄の拳を撃つ。導火線が着火した。

 ルガーは爆弾をオークの落ちた大穴に放り込んだ。

 暫くの静寂の後。

 ドーーーーンッ!!

 爆発音が青空に反射して王都中に轟いた。やがて大穴から黒煙が立ちぼってきた。

 次の瞬間、空中庭園の地面が大きく、ぐわん とたわんだ。

 ドーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!

 大穴を中心に空中庭園が一気に崩壊を始めた。

 石造りの庭園が大小さまざまな大きさに分かれ、崩れて崖の下へ落ちていく。

 テント、テーブル、ベンチ、石、木、庭園中のあらゆるものが滑り落ちていく。

 空中庭園の大きな欠片は崖から張り出した民家や坂道、広場を道連れにしてさらに下へと落ちていく。

 ルガーは空中庭園の地面に嵌ったまま崖下へ落下していた。

 落下中に鋼鉄の義手を崖に打ちつけてしまい。義手が地中深く嵌ってしまっていた。

 唯一自由になるのは右手だけだった。

 その右手で鋼鉄の拳にカートリッジを詰め込もうとした。よく見えないせいで上手く装填できない。

 「まじぃぞ。こりゃ」

 色々なモノが顔にぶつかり目も開けていられない。

 粉じんのせいか息も苦しくなってきた。

 やがて全く呼吸ができなくなったのに気付いた。

 ルガーは水の中にいた。

 目を開けると体は空中庭園の石畳の欠片にめり込んだままだった。

 海中だ。

 ルガーの嵌った空中転園の地面の欠片は崖を落ちていく時にも砕けず海中まで落ちてきたのだ。

 ルガーは地面にめり込んだ体を動かして地面から抜け出ようとするが、体はがっちりと嵌っており、びくともしない。

 右手で腰からナイフを取り出す。てこの要領で鋼鉄の義手をほじくりだそうとした。


 手の感覚だけを頼りに何度もやってみた。だが、鋼鉄の義手はがっちりと嵌っており外れない。

 ナイフが根元から折れてた。

 何かないか? 海中を見渡す。

 足元に大きな人型の影が広がっているのに気付いた。

 暗い海中に広がるさらに暗い影。

 オークだった。

 ルガーはどんどんオークに近づいていく。

 ルガーの方が沈む速度が早いせいでオークに追いついているのだ。

 やがてオークを追い越し、ルガーはオークを下から眺めた。

 海中で見ると、まるでクジラのような巨体だ。

 オークはぴくりとも動かない。

 目は閉じられ、手足が間接とは逆方向に曲がっている。

 ルガーは急に右手で自分の顔を殴りだした。

 何回目かのパンチで鼻血が出た。

 ルガーの鼻血が海中に広がる。

 その血がオークの顔に届いた。

 オークの目が開き、巨大なオークの顔がルガーに迫ってきた。

 ルガーの視界いっぱいにオークの顔が広がる。

 ガゴォォォン!!

 オークはルガーの嵌っている地面に噛みついた。

 狙い通りだった。

 地面が砕けてルガーの頭と鋼鉄の義手が地面から外れた。

 再びオークの顔がルガーに近づく。

 ルガーは鋼鉄の拳を左手から外し、オークの口の前に差し出した。

 反射的にオークが口を閉じる。

 ガチン! 

 オークの顔が大きく膨らむ。 

 ドゥゥゥゥゥーーーン!!

 海中でオークの顔面が爆ぜた。

 辺りの海中が真っ赤に染まった。

 ルガーの体は海中を回転し天地の感覚を失った。

 さらにオークの血で視界も効かない。

 泡……。

 ルガーは真っ赤な海中で無数の泡を見た。

 泡が上がる方向が海面のはずだ。

 泡は下へ向かっている。

 下が海面?

 どうなってる? 

 どうだっていい。

 とにかく息がしたい。

 息が……。

 (ルガー!)

 ルガーの目の前に白い棒があった。

 棒?

 (掴むんだ!)

 ルガーは言われるままその白い棒を掴んだ。

 棒ごとどこかへ引っ張られていくのが分かった。

 棒から離されないよう手足を絡めて全身で巻き付いた。

 この棒を離せばオシマイだと思った。

 なぜか海水が冷たくなってきた。

 ザバン!!

 ルガーは海面に出ていた。

 呼吸ができる。

 肺に空気が満たされる。

 見上げると逆光の中、リモが立っていた。息を弾ませている。

 リモはルガーを海中から引き上げた白い棒を両手で持っていた。

 ルガーは白い棒が氷で出来ている事に気付いた。

 リモは流氷のような氷の浮島の上に乗っていた。

 リモが手を差し出す。ルガーは右手でリモの手を握って氷の浮島に乗り込んだ。

 浮島の上に倒れ込む。

 「城から海へ飛び込んだのか?」

 (そうだよ)

 「無茶しやがる」

 (君には及ばない)

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