2.嵐の前の静けさ(2)-朝日side-
アメリヤ様に会った、次の日。エルトラ王宮の中庭に、私はユウと一緒にいた。
傍にはサンが、そわそわしながら佇んでいる。
これから遠出することがわかっているから、楽しみなのだろう。
「気をつけて行けよ」
夜斗がそう言いながら、私に何かを渡してくれた。
見ると、2個のフェルポッドだった。
だいぶん前に私が女王から貰ったものだけど、夜斗が仕事で使うことがあって貸したままになってたんだ。
「フェルポッド? どうして?」
「旅先で必要になるかもしれないだろ」
「そっか。何があるかわからないしね」
「あと、ヤハトラには連絡が繋がらない。だからそっちが落ち着いたら、必ず朝日から俺に連絡しろよ」
「あ……そうだね。地下深くにあるし、神殿と勾玉に守られているからね」
その昔、女神ジャスラを鎮めるために女神テスラとヒコヤによってつくられた、地下の神殿・ヤハトラ。
それはこのパラリュスの中で、究極の結界によって護られた場所でもある。
「わかった。ありがとう、夜斗」
「ユウも無理するなよ」
「……ああ」
ユウは素直に頷いた。
夜斗は……多分、ユウの状態に気づいている。
そしてユウも……夜斗が気づいていることに、気づいている。
でも、私達はそのことについて、何も言葉を交わさなかった。
それが――微かな望みを未来に賭けることに、繋がっていたから。
「……じゃあね!」
私とユウはサンに飛び乗ると……エルトラ王宮の中庭を飛び立った。
夜斗の姿が、どんどん小さくなる。
「……まず、ウルスラに行くのよね?」
「ああ。シャロットとトーマがいる」
トーマくん……そっか、水那さんはお母さんだもんね。
初めて会えるんだね。本当によかった……。
「彼は、ミュービュリの人だよね?」
「そうよ。ずっとミュービュリで暮らしているの。5年前の事件で初めて
「ふうん……」
「あれ? そう言えばユウって、トーマくんに会ったことあったっけ?」
ちょっと不思議に思って聞くと、ユウは
「だいぶん前……目覚めてすぐにウルスラに行ったとき、ちょっと話をしたかな」
と答えた。
5年前の夏、暁と一緒にウルスラに行った時のことかな。
私はミュービュリに戻ってしまっていたけど……。
「それ以来会ってないけど……確か、シルヴァーナ女王の眷属になったんだっけ? 2か月前にウルスラに行ったとき、シャロットから聞いたよ」
「まあね……」
先月、私は一度トーマくんに会いに行った。
シルヴァーナ女王とは話ができるようになったけど、ソータさんとは無理だから……。
今回の段取りとかの話もしたかったし、ソータさんの動画を撮って見せにいったのだ。
そのときも
「なるほど、12月30日ですね。わかりました。多分、1週間ぐらいなら問題ないですから」
と言って手帳にメモしていた。
……まるで、仕事の打ち合わせみたいだ。
「あの……変なこと聞くけど」
「何ですか?」
「眷属になってから、どう?」
「どう……とは?」
「毎日の生活とか……」
「うーん、シィナが夢に現れたときはちょっと疲れる……かな。でも、身体が丈夫になって多少無茶しても融通がきくようになったので、便利ですね。子供たちの相手って体力勝負だから」
「そ、そう……」
屈託のない返事に、私は曖昧な相槌を打つしかなかった。
どちらかというと、精神面は大丈夫なのか気になってたんだけど……。
トーマくんは初めて神社で会ったときの印象と全く変わらず、いたって普通の好青年だ。
両親のこととか、神器のこととか、女王の眷属とか――いろいろなものが後から乗っかって来たのに変わらず普通にいられるって、凄いと思う。
ユウが私の前に現れて、私の日常がガラリと変わったとき……私はここまで普通でいられたかな?
多分、ユウの世界に追い付こうと、精一杯、背伸びしていた気がする。
トーマくんて、ソータさんのことも、水那さんのことも、闇のことも、シルヴァーナ女王のことも……とにかく、ちょっと信じがたい現実を、いつもそのまんま丸ごと受け入れているんだね。
だから、シルヴァーナ女王も、安心して頼れるのかな。
トーマくんとうまくいってからの女王は、何だか強くなった。
ちょっと積極的になって、ウルスラのことも、これからどうすればよくなるかって、シャロットと一緒になって考えている。頼もしい女王になったと思う。
でもトーマくんの話をするときは、いたって普通の女の子だ。
この間ウルスラに行ったとき、
「三日間、続けて夢の中で会いに行ったら、トーマに怒られてしまったんです。女王の仕事をしろって。仕事、ちゃんとしてるもの。してるからご褒美が欲しかったのに」
と言ってちょっと拗ねていた。
私が思わず笑うと、シルヴァーナ女王は
「でも、やっぱり……私が悪いんでしょうか?」
とウルウルした目で私を見つめた。
いやー、そんな顔されたら、どうしようもないんじゃないかなー。
めちゃくちゃ甘やかしたくなるよね。
それからすると、トーマくんはきちんと女王を操縦しているな、と思う。
精神的に逞しいんだろうな、きっと。
「うーん……ただ、やっぱり疲れるみたいだからね、朝起きたときに。女王はトーマくんを自由にできる力がある分、ちゃんと加減を考えてあげないと……。奴隷にしたい訳じゃないんでしょう?」
「そんな!」
シルヴァーナ女王はひどく驚いた様子で首を横に振った。
「そうか……眷属って、ともすればそういう扱いをしてしまうってことなんですね。私がちゃんと気をつけないと……。私、トーマを困らせたくない」
「うん、そうだね」
私が相槌を打つと、シルヴァーナ女王はちょっと恥ずかしそうに微笑んだ。
「あの、アサヒさん……あの……また、お話を聞いてもらえますか? 私……ミュービュリのこともよく分からないことが多いし……女王としてもまだまだ未熟で、あの、だから……」
……か、か……可愛すぎる!
凄いぞ、トーマくん! この瞳に惑わされないなんて!
「……勿論よ」
どうにかそれだけ言うと、女王はとても嬉しそうに笑った。
まぁ、そういう訳で……二人はなかなか現実では会えなくて、だから女王がたまに我儘をやらかしてしまうみたいだけど、トーマくんがうまくバランスを取って頑張っているようだ。
シャロットに聞いたけど、女王の眷属というのは、本当に文字通り下僕にするということなので、かなり強い強制力があるらしい。
強い力と結びつきが必要なので、過去にもあまり例がないそうだ。
退位しても、女王という位ではなく本人との契約なので、お互いの命ある限り、永久に続くものらしい。
シルヴァーナ女王がトーマくんを大事に想っているからこそ、極端に縛りつけることは避けられているけど
「シルヴァーナ様が爆発したら、トーマ兄ちゃん、ウルスラに強制的に連れて来られて、出れなくなるかも。それぐらいの契約です」
とシャロットが古文書から写したメモを見ながら言っていた。
「それ、シルヴァーナ女王に言ったの?」
「一応。だから、我慢しないで我儘は小出しにした方がいいよって言いました」
「なるほど……」
小出しの我儘……それはそれで大変な攻撃だろうけど。
「でも……多分、大丈夫です。シルヴァーナ様、トーマ兄ちゃんの迷惑にだけはなりたくないって言ってるから」
シャロットはにっこり微笑んだ。
「女王が望まないことは起こらないはずです」
「そうよね」
「――それにしても」
シャロットはそう言うと、開いたままになっていた雑誌のページに視線を向けた。
私がシャロットに渡したもので、暁がポーズを決めてはにかんだように笑っている。100%、猫かぶりバージョンの暁である。
「アキラ、この……モデル、でしたっけ? やることにしたんですね」
「本当は旅人になりたいんだって。世界中を巡って、写真を撮って……」
「旅人……」
「そのために必要なことだったから、仕方なく、らしいけど」
「でも、アキラには向いている気がします。お芝居上手だから」
「確かに……」
暁は周りの空気を読んで咄嗟に表情を作るのが、とても上手だ。
まだあまり本格的には活動していないけど、事務所の人や北見さんにすごく褒められたって言ってたっけ。
「私が言ったのを……憶えてたのかな」
「えっ?」
ちょっと驚いてシャロットを見ると、シャロットは少し嬉しそうにしていた。
「前に、世界の景色やその中にいるアキラなら見てみたいって言ったんです。だって私は、この王宮から出れなくなるから」
「……」
「代わりに行って見せてくれるのかなって」
「……そうかもね……」
頷きながら、ふと引っかかりを感じて私は思わず考え込んでしまった。
ひょっとして暁……シャロットのことが好きなのかしら?
でも、シャロットの話をしても、照れる訳じゃなくて全然普通なのよね。
……やっぱり、大事な仲間だと思ってるだけなのかな。
シャロットの方は、どうやら全くそういう気持ちはないみたいだけど……。
それはそうよね。もうすでに儀式に臨む手配を整えているくらいなんだから。
でも……もし、暁が……。
暁は力の強いフェルティガエだったから、ミュービュリの世界に馴染むのにもかなり時間がかかった。
モデルみたいに大勢の人と――場合によっては女の子とも絡むことのある仕事なんてできるのかと思ったけど、今は全然問題ないみたい。
「なんかさ、凄く奇麗な……勘のいい女の子ほど、大丈夫なんだよね」
「それは暁が単に面食いなだけなんじゃ……」
「違うって。ほら、大昔、ウルスラからミュービュリに落ちて戻れなくなった人がたくさんいたって言ってただろ? ひょっとしてそういう人ってウルスラの血を引いてるのかな、なんて考えたりするんだよね」
暁はそう言って何だか楽しそうに笑っていた。
まあ、だから暁はこのままミュービュリでもやっていけそうではあるんだけど……でもやっぱり、何でも話せる友人が見つけられる訳じゃない。
フィラでは、三家の直系ということとミュービュリのことを伏せている手前、やっぱり自由に喋れる訳じゃない。
そう考えると、暁が何にも気にしないで自分らしくいられるのって、シャロットの前だけなのよね。
女の子として好きかどうかはともかくとして、大事に想っているのは確かよね。
私もシャロットのことは大好きだし、本当なら応援したいところなんだけど、シャロットには使命がある訳だし……。
でも、もし――シャロットのことは完全に私の見当違いで、ある日突然、暁がミュービュリの女の子を連れてきたらどうしよう。
……それはそれで複雑……。
「暁、どっちなのかな……」
思わず呟くと、ユウが不思議そうな顔をして私の方を見た。
「何が?」
「ああ……うん」
そうだった、ユウにはまだこの話はしてなかったっけ。
「モデルをするようになってね。暁、結構ミュービュリでの対人関係もうまくいくようになったから……」
「そうだね」
「そのうち彼女とか作るのかなって……」
「え、ひょっとして、嫌なの?」
ユウが意外そうな顔をした。
「嫌……ではないけど、何て言うか、どこの誰よ、っていう……」
「それ、嫌ってことだよね」
「違うわよ! どう言えばいいかな……心配なのよ。暁は複雑な事情を抱えてるから……」
「……ぶふっ」
ユウが堪え切れずに笑う。
「もう、何で笑うのよ!」
「いや……本で読んだような嫁と姑の確執って本当にあるんだなって……」
「これは、そういうのとは全然違うわよ!」
「あんまり違わないと思うよ? 育ってきた環境が違うっていう意味では」
「……うーん……」
思わず唸ると、ユウが真っ白な空を仰いだ。
「――見つかるといいよね。暁の心の居場所」
「……心の居場所?」
「前にね、暁に言ったんだよ。暁はどんな子を好きになるのかなって。自分だけのためじゃなくて、誰かのために使う力が、本物なんだよって」
「……」
「そのときはまだポカンとしてたけどね。でも、暁は多分、見る目はあるだろうから……朝日が心配しなくても大丈夫じゃない?」
ユウが妙に恋愛の達人みたいなことを言うので、私は思わず仰け反ってしまった。
「ユウの口からそんな言葉が出るなんて……」
「どうしてさ」
「恋愛事情なんて、からきしだったじゃない。私に対してなんて、優しかったり急に突き放したり、全然ちぐはぐで……」
「まあ……」
「私はそんなユウの言動で一喜一憂して大変だったって言うのに……」
「急にそんな昔のことを言われても……」
ユウはちょっと困ったような顔をして笑った。
「でも……俺の中では一貫してたよ」
「一貫?」
「いつも、朝日のことを一番に考えてたよ。……昔も、今も」
「……」
「朝日が大事で、だから……」
そこまで言いかけて、ユウは不意に口をつぐんだ。
「何?」
「……ここから先は、また今度ね」
「どうして?」
「抱きしめて、離したくなくなるから」
「……!」
私は思わず真っ赤になった。
「ユウって、やっぱりずるい……!」
「……そうかな。でも、まずは……――」
ユウは前を向くと、目の前に広がる海を眺めた。
……ユウの肩越し――その遠くに、小さくウルスラが見え始めていた。
「水那さんを助けよう。それで、やっと始まるんだから」
「……うん!」
「ちょっと急ごうか。……サン、頼むぞ!」
「キュウゥー!」
テスラの白い空に――サンの鳴き声が響き渡る。
これから始まる最後の旅を、鼓舞するかのように。
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