11.トーマの未来

 目を覚ますと、すぐ近くから安らかな寝息が聞こえてきた。

 ちょっとドキリとして手を伸ばす。金色の長い髪が指にからまる。

 そっか……夢じゃなかった。現実なんだ。

 そっと覗き込むと、シィナは布団にくるまりながら幸せそうに眠っていた。


「……」


 名残惜しいけど、そっと指の力を緩める。金色の髪がさらりと流れて落ちていった。

 ベッドから出ようとすると、後ろでシィナの動く気配がした。


「ん……」


 顔だけ振り返ると、シィナがゆっくりと目を開けるところだった。

 そして俺に気づくと、目をパチクリとさせて

「……トーマ?」

と不思議そうに首を傾げた。


 ……まさか、昨日の事を全く覚えてないとか、そんなんじゃないよな。

 そんな恐ろしい考えが頭をよぎる。

 ビクビクしながら見守っていると、シィナはポケッとした顔でしばらく見つめたあと、ガバッと起き上がり

「トーマ!」

と言って俺の背中に抱きついてきた。


「な……あ……」

「これ……! トーマ!」

「は、裸で抱きつくなー!」

「だって……背中!」

「……背中?」


 シィナが慌てたように俺の背中を指でなぞる。

 そして「シャロットに聞かなくては」と呟くと、するりとベッドから抜け出て床に落ちていた自分の服を手に取った。


 俺はベッドから滑り降りると、とりあえず下だけ履いて立ち上がった。

 部屋の隅にあった姿見で、背中を見てみる。

 ……確かに、右側の肩甲骨辺りに黒い紋様が浮き出ている。


『……シャロット? ……ええ、大丈夫。トーマのところよ。それでね、トーマの背中にね、何か印みたいなものが……うん、そう……』


 ドレスに着替えたシィナが俺の方に近寄りながら、何か喋っている。

 どうやらウルスラにいるシャロットと会話をしているらしい。

 長くなりそうだったのでタンスの引き出しから適当にTシャツを取り出して着ようとすると、シィナの手に阻まれた。

 紋様を触りながら真剣な表情で会話していたので、仕方なく上半身裸のまま待つ。

 ……ふと、左足の痛みが消えていることに気づいた。


「……あれ? 足……」


 昨日、捻挫したはずなのにな……。

 そう思いながら湿布をはがす。……何ともなっていない。


「足、どうかしたの?」


 俺の様子に気づいたシィナが、シャロットとの会話を中断して俺に聞いてきた。


「昨日怪我したところが、もう治ってるなって……」

「え……」


 シィナの顔色が変わった。


「おい、一体何が……」

「トーマ、ちょっと待ってて」

「え……」

『――ねぇシャロット、トーマ、足の怪我が治ってるみたい……うん、そう。だからそれって……』


 それからしばらくシィナはシャロットと会話していたが、やがて少し落胆した様子で連絡を切った。


「……どうした?」

「トーマ……ごめんなさい」


 シィナはそう言うと、ぎゅっと俺に抱きついてきた。


「私、無意識だったんだけれど……トーマをもっと、と強く願ってしまったから……だから……」

「だから?」

「女王の眷族になってしまったみたい、なの……」

「……ふうん」


 眷属って言うと、従者とかそういうことだよな。

 それって、謝るようなことなのかな。よくわからんが。


「具体的には、どうなったんだ?」

「女王の加護に守られているから、少々のことでは傷つかない。だから、怪我もすぐに治ったの」

「そっか、便利だな」

「それだけじゃないの。……私は、トーマがどこで何をしているのかが感じられるようになる……の……」

「……」

「シャロットが古文書を調べていた時に、太古の女王にそういう力があったらしいってことを教えてくれて……でも、女王なら誰でもできる訳じゃないし、相手も誰に対してでもできる訳じゃないから……ほんの数例しかないって話だったの。だから実際にそうなるとは……夢にも思わなくて……」


 シィナの表情がみるみる曇る。


「……ごめんなさい。嫌よね? ずっと覗かれてるみたいで……」

「いや、別に」

「……え……」


 シィナが意外そうな顔をして俺を見上げた。


「だって、それだったらシィナも安心できるだろ? 知らないうちにいなくなったり死んだりする心配もなくなった訳だし……」


 まぁ、知られて困るようなことをするつもりもないし。

 あんまり深く考えずにそう言うと、シィナはとても嬉しそうに笑った。

 俺の背中に回した腕にぎゅっと力がこもる。

 ……どっちかというと、朝っぱらからのこの状況の方がちょっと困るんだが。


「あのね……感じるだけじゃなくて、実際に姿を視ることもできるの。多分、会話もできるの」

「ふうん……」


 シィナの声が弾んでいる。

 俺に悪いと思ったのは本当だろうけど、実際は少し嬉しかったのかな。


「……淋しくなったら、覗いてもいい?」

「いいよ」

「……話しかけてもいい?」

「仕事中じゃなければな」

「……会いに行ってもいい?」

「――それは駄目だろ」

「えー……」


 シィナがあからさまに淋しそうな顔をする。

 俺は一瞬グラリときたが、慌てて踏みとどまった。


「シィナが女王として凄い力を持っているっていうことは、よくわかったよ。でも、だからと言って自分のためだけに使っちゃ駄目だろ」

「……」


 シィナはちょっと押し黙ると、素直に頷いた。


「わかったわ。じゃあ、夢の中で会いに行くわね」

「……」


 比喩表現じゃなくて、本当に来るんだろうな……きっと。


「それならいい? いいわよね?」


 子犬のような目で俺を見つめ、無邪気に聞いてくる。

 俺は確かに、いっぱい我儘をきいて、甘えさせてやりたいと思った。

 ……思ったけれども。

 これは……かなり精神的な修業を強いられるな……。

 やっぱり、尋常じゃなく可愛く感じてしまう。うっかりすると、俺が駄目人間になってしまう。


「……ほどほどにな」


 やっとそれだけ言うと、シィナは

「……うん!」

と言って本当に嬉しそうに笑った。


 それは、あの頃よく見ていた晴れ渡った空のような純粋な笑顔で……。

 やっと取り戻せた。俺たちは本当に一緒になれたんだと急に実感が沸いてきて、じわじわと身体中に力が漲るような、何とも言えない充足感で満たされた。


   * * *


 今日は仕事が休みだから何でも聞いてやるぞ、と言ったら、シィナは「学校を見てみたい」と言い出した。

 俺の勤務先に連れていくのもなんなので、地元の――俺とユズが通っていた小学校に連れて行くことにした。

 辺りが木々で囲まれた小さな村の小学校で、俺達が通っていたときも全校生徒は20人にも満たなかった。

 その後もどんどん子供の数は減って……今は、この小学校はもう閉校になっている。


 シィナの容姿があまりにも目立つのでどうしたもんかと思っていると、シィナは「大丈夫」と言って祈り始めた。

 すると……みるみるうちに髪が黒くなり、瞳が茶色になり、服が昨日シャロットが着ていた白いワンピースに変わった。

 シィナによると、前のように姿形を変えたわけではなく、幻覚でそのように見せかけているだけらしい。

 それでも、黒い髪のシィナは飛び抜けて綺麗だったので……この山奥の田舎では異常に目立っていた。

 すれ違う人達が、二度見している。


「――ここが、俺とユズが通っていた小学校だ」


 学校の前に着くと、俺は校舎を指差して言った。

 シィナは興味深そうに見上げると「入ってもいいの?」と聞いてきた。「いいよ」と言うと、元気に駆け出した。

 校庭に入ると、シィナはゆっくりと辺りを見回した。

 黒い長い髪が、風になびいている。


「……この広場は何をするところ?」

「体育の授業とか、運動会とか……」

「タイイク?」

「小学校では、勉強だけじゃなくてスポーツ――身体を動かすことも教えるから」

「そうなの。……あ、あれ!」


 シィナが校庭の脇にあるブランコを指差した。


「前……トーマが乗せてくれた」

「そうだな」

「遊び場もあるの?」

「子供は休み時間に遊ぶからな」

「そうなんだ……何だか楽しそう」


 シィナはちょっと笑うと「シャロットに教えてあげなきゃ」と嬉しそうに呟く。


「シャロット?」

「うん!」


 シィナを俺の方に振り返り、力強く頷いた。

 その瞳が、何だかキラキラしている。


「あのね、トーマ。ウルスラの民はね、字の読み書きができないの」

「え……」

「王宮と頻繁に交流している領主や、その周りの人はできるけど……。だからフェルティガエが仕官したときも、まず字の勉強をするの」

「へぇ……」

「普通の民は全部口伝えで連絡し合ってるの。でも、それで揉めたりすることもあるから……シャロットが、読み書きはみんなができるようになった方がいいんじゃないかって。生活していくうえで便利になるんじゃないかって言っていたの」

「確かにな」

「シャロットもね、もともとはユズに言われて、それで各国の子供同士のふれあいとかを考えていたみたいなの。でも、長い間交流がなかったから言葉も少し違っていたりして……」

「なるほど……」

「だからね、まず子供たちのために、王宮や領主が使っている――基準となる言葉と、字の読み書きを教える環境を作ろうって」

「……」

「まだどういう風にしていったらいいか全然わからないし、実現するまで何年かかるかわからないけど……いつか、学校を作ろうって。そんな話を、シャロットとしていたの」


 シィナは校舎を見上げ、両手を広げて校庭を見回しながら、くるりと回る。まるでダンスを踊るように。

 夢を語るシィナの表情が生き生きとしている。本当はずっと、俺に話したかったのかもしれない。


「……そっか」

「ねぇ、トーマ」


 シィナが俺の方に振り返った。

 俺だけに見せる顔と……少しだけ、女王の顔。


「そのときは……ウルスラに、来てくれる? 私達が作った学校で……先生になってくれる?」


 シィナは、「今すぐにウルスラに来てほしい」とは言わない。

 それじゃ自分も俺も駄目になるって、ちゃんとわかってるからだ。

 思い出したくないからと逃げ回って泣いていた、昔とは違う。

 シィナは――一人の大人として、ちゃんと成長している。


「……ああ。楽しみにしてる」


 そう答えると、シィナは少しだけ涙ぐみながらもとても幸せそうに、にっこりと微笑んだ。

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