10.戻るために(2)-トーマside-

 目の前に開いた、黒い穴。どこに繋がっているのかもわからない。

 だけど、確かにこの先には――俺の欲しい答えが待っている。


 そう感じて、俺は躊躇せずにその真っ黒な穴に飛び込んだ。

 誰かが俺を呼んでいる。早く……早く行かなきゃ……!


 辺りは真っ暗で、前後左右の感覚は全くわからなくなっていた。

 頭痛がだんだんひどくなっている。


 次の瞬間、進もうと思っていた方向から物凄い圧力がきた。

 何も見えないのに……空間が捻じ曲げられたことがわかる。俺はどこかに弾き飛ばされた。


「うわあー!」


 頭を抱えて、ぎゅっと目を閉じる。


 怒り狂う老女。血まみれの赤い髪の男。狂気に満ちた女性。

 赤い髪に茶色の瞳の快活な少女。栗色の髪に紫色の瞳の幼い少女。

 光に満ちた部屋。薄暗い王宮。夜空の花火。昼間の自転車。夕暮れの海。

 ――闇を吸い込むつるぎ


 いろいろな映像が……現れては、消えた。


「トーマ!」


 ユズの声が聞こえて、俺の身体をぐっと抱きとめる気配がした。


「トーマ、しっかりして!」

「だ……」


 大丈夫、と言いたかったけど……それに応えることはできなかった。

 俺の意識が、プツリと途切れた。


   * * *


 俺の記憶の断片が……散らばっている。どれも、何一つ、形にはなっていない。

 だけど、拾わなきゃ。これが、記憶の空白に――埋まるはずだったものだ。……多分。


 いつの間にか……あの不思議な頭痛は消え、俺の意識もだんだんはっきりしてきた。


「……うおっ!」


 そのとき、不意に身体が落ちて行く感覚がして、俺は思わず辺りを見回した。


「トーマ! 大丈夫?」


 何も見えないが……ユズが心配そうに俺の顔を覗き込んでいる気配がした。


「あれ? 俺……」

「意識はしっかりしてる? 苦しくない?」

「……大丈夫。もう……頭も痛くない」

「よかった……」


 ユズはほっとしたように息を漏らすと

「かなり長い間意識を失ってたから……」

と呟いた。


 俺は辺りを見回した。――真っ暗闇だ。


「ここは……?」

「――トーマが作った、穴の中だよ。多分……次元の狭間」

「俺が……?」


 ――そうか。俺はどこかに向かおうとして……弾かれて、その衝撃で記憶の波が溢れかえって、意識を失ったんだ。


「トーマが作った穴だから、トーマが出口を作らないと駄目なんだ。……わかる?」

「出口……」


 俺の向かう、先。

 それは――ウルスラの、闇を吸い込む剣。


「……うわっ!」


 そう思った瞬間、急に身体が落下し始めた。

 真っ暗な中――足元に、光が見える。

 あれは……何だ?


 そう思ったのも束の間、俺の足が地面らしきものを捕らえた。

 思ったより強い衝撃がきて、尻餅をついてしまう。


「どわっ!」

「うわっ……」


 辿り着いたところは、ゆるやかな坂になっているようだった。

 自分の身体を支えきれずに、俺たち二人はゴロゴロと転がってしまった。


「おっとーっ!」


 どうにか途中で止まり、ユズの腕を引っ張って助ける。

 立ち上がってゆっくりと辺りを見回すと……一面、緑だった。

 森林の一部が切り開かれたような場所。広い芝生にところどころ囲いがしてある。

 囲いの中には……何だか見たことのないような生き物がのそのそと歩いていた。

 人は……誰もいな……ん?


「……わ!」


 丘の上に、小さな女の子がいた。お姫様のような恰好をしている。栗色のカールした髪が小さい肩の上で上下していた。ガックリと膝をつき、荒い息をしている。


『ヒコ、ヤ……メ……』


 俺にはよく分からない言葉で何かを呟きながら、顔を上げた。

 紫色の瞳が俺の姿を捉える。ギョッとしたように二、三歩後ずさった。

 とても可愛い子なのに、ものすごく凶悪な表情をしている。


『オマエ……!』


 ギロッと俺を睨みつける。


「コレット!」


 隣にいたユズが叫ぶ。そしてものすごい速さで少女に駆け寄ると、逃げようとする少女をガシッと捕まえた。少女がかなり暴れている。


「トーマ! コレットから剣を取って! 早く!」

「剣……」


 剣……そうだ、さっき見た、闇を吸い込む剣。俺が得なければならなかったもの。

 この女の子が抱えている黒い布に包まれた……これが剣?


『……ユズ……?』


 そのとき、急に少女の表情が一変した。普通の……幼い女の子の顔になる。

 ユズがぎょっとしたように

『駄目だ、コレット! 今は寝てて!』

と、日本語ではない――多分、少女が喋っているのと同じ言葉で叫んだ。

 俺には何を言っているのかわからなかったけど、ビクッとした少女は一瞬目をつむり――再び元の、凶悪な表情に戻った。


『ハ、ナセ……!』

「駄目だ……跳ばせない。トーマ、早く!」


 何が起こっているのか全然わからないし、まったく頭が回らない。

 だけど……この剣が非常に危険で、俺しか触れないもの――そのことは、わかっている。


「……くっ……!」


 俺は少女に飛びつくと、抱えていた黒い棒を奪い取った。少女が取り返そうと暴れる。

 ユズは必死でその身体を押さえながら

「トーマ、剣の柄を握って! 早く!」

と怒鳴った。

 俺は何だか訳がわからないまま、黒い布から剣を取り出した。ユズと少女がビクッとする。


『ヤメ、ロ……!』

「ぐっ……!」

『オマエ、マタ、ジャマ……』

「大人しくしろ!」


 俺は叫ぶと、剣の柄を握って切っ先を少女に差し向けた。


「グワッ……!」


 そのとき……少女が急に苦しみ出した。大きく開けた口から……真っ黒な靄みたいなものが這い出てきた。ぐにゃぐにゃとうねりながらも少しずつ、俺の持つ剣に吸い寄せられていく。

 急に、ズシッとした重みが右手を襲った。


「うおっ……!」


 片手で剣を支えるのが苦しくなり、俺は両手で剣の柄を握った。


『ヨセ……コッチ、ニ、ムケ……ルナ!』

「くっ……」


 少女から黒いものを吸い取り、どんどん剣が重くなる。俺は必死に両手で剣を握り、歯を食いしばった。

 そうだ。これは……闇を吸い込む剣。

 そして――前も、こんなことがあった気がする。


『ハ、ナ、セー!』


 少女は狂ったように叫ぶと、鬼のような形相でユズの身体を跳ね飛ばした。


「ユズ!」

『……グ……』


 少女はすかさず俺達と距離を取ると、忌々しげに舌打ちをした。

 そしてすっと姿を消した。


「しまった……!」

「ユズ! これ、すごく重い! 暴れそうだ!」


 俺が叫ぶと、ユズがハッとしたようにこっちを見た。傍に走り寄る。


「ごめん、手伝ってあげたいけど……僕は、この剣を持てないんだ」

「それはわかってる。だけど俺が手を離すとマズいんだろ。何か縛るものをくれ」

「え? そうは言っても……」

「ユズが出せばいいだろ!」


 思わずそう叫ぶと、ユズがハッとしたような顔をした。

 そして何かを念じると、長いロープのようなものを空中の何もないところから取り出した。


 そうだよ。これは、ユズのもう一つの力だ。

 ユズは、心を読む以外に……頭に思い描いた物体を具現化する力があるんだ。

 ――そうだった。何で忘れてたんだろう?

 確かに、ユズ自身から教えてもらった気がするのに。


 ユズがロープで俺の手を縛って固定してくれた。

 剣はまだ暴れているが、これならどうにか耐えられそうだ。

 その後、ユズはまた誰かと話していた。傍から見たら大きな独り言を言っているようにしか見えないけど。

 それにしても……ここは、どこだ?


 ――俺が……ウルスラに残る。


 不思議な紫色の空間で言った、俺の台詞。……いつか見た、夢の中の出来事。

 まさか……その、ウルスラってところなのか?


 俺はゆっくりと辺りを見回した。遠くに、ひときわ高くそびえ立つ……お城のようなものがあるようだ。ただ、はっきりとは見えない。

 なぜなら、そのお城を中心にドーム状に薄い紫色のバリアのようなものが広がっていたから。

 そのバリアは、俺達の居る場所のすぐ近くまで広がっていた。城までの距離から考えて、多分ものすごく大きい。


「トーマ、剣は大丈夫そう?」


 話し終えたユズが俺の方に戻って来た。


「ああ。それより……これ、何だ?」


 俺は目の前の紫のバリアを顎で指した。


「多分、この国の女王が張っている結界だと思う。外部からの攻撃や侵入者を防ぐための……」

「女王……」


 穴の中で感じた力と同じもののような気がする。これが張られたせいで、俺は弾かれたのかも知れない。


「――会いたい?」


 ユズは、何だか含みのある表情で俺を見つめた。


「そりゃ会ってみたい……けど……」


 言いながら、俺は再び王宮を見上げた。


 ――私が、守ってみせるから……ね。


 不意に、懐かしい声が俺の脳裏に鳴り響いた。

 そして最後の欠片が舞い降りて……カチリと音を立てた。

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