5.田螺涙

『ねえ』


声が聞こえる。


『いつまで眠ってるの』


もう、あと少しだけ。


『はあ、ひとみ。先に行っちゃうよ』


・・・だめだ。それだけは。


『朝だよ、おにいちゃん』


############################


見覚えのない白い天井。


僕は、寝ていたのか。

寝てしまっていたのか。


「ああ、あああ・・・なんてことだ。瞳は・・・!」


あたりを見渡す。


「瞳・・・・・・」


目の前に映る瞳の姿。

いつも見ていた、『瞳』に焼き付けた『瞳』の姿を僕は忘れまいと

今まで四年間眠らずに来たのだ。


『ここにいるよ』

「よかった・・・まだ見える・・・」


聞こえる幻聴。

よかった、まだ僕は僕のままだ。

この自身にかせられた『呪い』を解く事こそが僕の目的だというのに。

彼女の姿を確認できて安堵する、気持ちの悪い矛盾。


「気がついたか、タニシ君」


髑髏のニット帽にエスニック風のワンピース。

ベッドから上体を起こすと肌寒い、彼女も緑色のジャケットを

羽織っている。僕も寒さで手と肩が震える。


「・・・世話になりました」

「四年ぶりの睡眠、か」

「最悪の気分です」


師匠は煙管を取り出す。


「禁煙ですよ」

「知ったことか」


師匠はため息のように煙を真下に吐く。

大抵こう言う時の彼女の持ってくる話は悪いことばかりだ。

徐々に気を失う前の事が脳裏に思い浮かび始める。

そういえば僕は依頼の最中――


「黄泉君が亡くなった」


何を言われたか一瞬わからなかった。


「・・・冗談でしょう」

「私は冗談が嫌いだ」

「僕の、せいで?」


手が震える、今度は怒りで。


「僕がビビッて気を失ったから、死んだ?」

「タニシ君、落ち着け。君は才川君の時だって」

「アレはアイツが殺人鬼だから!!」


壁を叩く。

血が滲む。

なんて失態だ。


「タニシ君!」


ピシャリと師匠の一喝。

頬が痛い、叩かれたのか?


「・・・取り乱しました」


キャラじゃない、と自嘲するペルソナが熱くなったアニマを諌める。

無理やり押さえ込まないと今にも爆発しそうな感情。


「師匠なら、わかったんじゃないですか?助けられたんじゃないですか?」

「・・・そうかもね」

「やっぱり詐欺師ですよ、師匠は」


吐き捨てるように言い僕は点滴を引きながら病室を出る。

屋上に出ると車椅子の少女がフェンスの向こうを見ていた。

先客か。

灰皿のところに赴き煙草に火をつける。


「こんにちは」


車椅子の少女が話しかけてくる。

無視しよう。

とても人と話せる気分じゃない。


「ねえ、貴方。私話しかけているのだけれど」

「・・・」


煙草の火を見つめながらぼうっとする。


############################


田螺 涙。十六歳、男。

XX県XX市在住。

現状、なんの特徴もない男。

敢えて特徴を挙げるとすれば『悪意』が見える瞳を持つ。

何故こんなことになってしまったのだろうか。

僕は幼少期からこんな能力を得ていた訳ではない。


おぼろげな記憶。

瞳が生まれたとき、母は死んだ。

瞳とは二つ違いだ、僕が二つのときか。


六つのときまで、不自由はなかった。

家事は手伝いに来てくれる父の部下がしていたし、遊び相手も瞳がいた。

だだっ広い邸宅。

買ってもらったばかりのランドセルを揺らしながら

学校から帰ると瞳がいつも楽しそうに一人遊びをしている。

それに付き合う日々が、楽しかった。


ある日、父が多くの人間を家に招き入れた。

その人々から父は「教祖」とよばれ、僕と瞳は「神子」と呼ばれた。

なんのことかはわからなかった。

でも、立派な服を用意され、瞳とそれを着て皆の前に立つのは楽しかった。

まるで演劇の主役になったような感覚。

いろいろなことをした。

難しい言葉を読み、自身を「神の生まれ変わり」だと触れ回った。


八つのころ、僕達家族は引越しをする。

山奥の、寺のような、城のような、何ともつかない建造物。

大きい大きい建物に僕は胸躍った。

「教徒」と呼ばれる人々とは一線を引き、生活をした。

王様みたいな気分だ。

僕らはその頃あたりから学校に行かなくなった。

毎日代わる代わる訪れる人間に「沙汰」を下した。

僕の一言で、その人の人生が左右される。

僕の一言で、人と人が結ばれる。

僕の一言で、人が、死ぬ。


瞳は舞う、「神子」として皆を禊ぐ。

僕は叫ぶ、「神子」として皆を裁く。

まるで天国と地獄。


十一歳のころ。

父が皆の前で僕ら二人が「神」へと昇華する儀式を行うと言った。

僕ら二人は建物の奥深くの一室に入る。


真っ暗な部屋。ほんの僅かな小窓から薄明かりと外の音が聞こえてくる部屋。

ここで、僕らは「神」になる。


自信はあった。

僕らは「神」になるのだと。


僕ら兄妹は部屋で二人きり。


与えられたものは一枚の毛布だけ。


二人は身を寄せ合う。


一日が過ぎる。

不安。

不信。


二日が過ぎる。

空腹。

恐怖。


三日が過ぎる。

空腹。

空腹。

悲壮。

不安。

不信。

恐怖。

空腹。


僕は理性を取り戻した。

いや、ようやく理性が芽生えたのかもしれない。

色々なことを考えていた。

僕らのやってきたことの異常性や罪深さ。

小学生でも、それくらいわかった。

祭り上げられ、煽てられ感覚が麻痺していたんだ。


何日たてども食事はおろか人の来る気配もない。

助けを叫ぶ。

外から聞こえる人々の声に叫ぶ。


何日経過したのだろうか。

空腹と絶望で体が動かない。

ああ、瞳もすっかりやせ細ってしまっている。


木製の壁を削りかじったが腹は満たされない。

時折小窓から現れる虫を必死に貪った。

自身の排泄物に手を出した。


その姿を瞳は眺めているだけ。


雨の日、僕は小窓からたれる水滴を舐める。


「しんじゃうのかな、あたしたち」


力ない声で瞳がつぶやく。

車の通過音、でもその声は確かに聞こえた。


「おなか、すいたね」


あるじゃないか、こんなところに。


「おにいちゃん?」


僕は瞳を抱きしめた。

ああ、暖かい、今にも消えてしまいそうな儚い命の炎。


「ごめん、ごめんよぉ」


何故だろう、涙が止まらない。


――僕の手が。


僕はそこまで生き汚かっただろうか。

これは、なんの罰だ?


――瞳の首に。


僕が何をした?

ああ、そうか。僕の言葉で死んだ人間の呪いに違いない。

はたまた彼らにとり憑かれているのだ。


外の雨の音が五月蝿い。


「お祭りかな、にぎやかだね」


そこから、僕の記憶は途切れる。




十二の頃。


病院の一室。

琴々閑雲と僕。

僕は宗教団体XXから琴々閑雲により救出される。

彼女は新興宗教にハマってしまった妻を救い出して欲しいと依頼されたそうだ。

たどり着いた彼女の見たものは、団体の内部紛争状態。

理由は僕らの不在。父は皆を御し切れなかったのだという。

父は暴走する信徒に殺されたらしい、不思議とその報告に胸は痛まなかった。


あれ?

瞳だ。

彼女は僕が。

そうか、これは報いか。

彼女を喰らった僕への『呪い』なのだ。


「君さえよければ琴々家で君を引き取る手筈は・・・」

「結構です」

「でも、君は今非常に危険な状態だ。その霊・・・」

「何を言っているんです?ああ、これですか」


瞳を指差す。

彼女は笑った気がした。


「これは呪いですよ、僕に対する瞳の最後のね」


先ほどから気になっていた空を舞う黒い靄はなんだろう?

見るだけでひどい嫌悪感を覚える。


「霊なんていませんよ、霊であっていいはずがない。助けてくれた事には

感謝します。ですが、僕は貴方を信用しない。そうだな、アンタは詐欺師だ」


出来ない。

それを認めたら、されたら瞳がいなくなってしまう気がしたから。


せめて、最後のこの糸だけは自らの手で。


############################


「ねえったら。ふう、いいわ。勝手に喋るから」


声に気が付く。

昔のことを思い出すなんてらしくない。


車椅子の少女はまだ、そこにいた。


「私ね、起きたら自分の名前も、何もかもわからなかったの。

わからなくなっていたの。恐怖よね。」


彼女はわざわざ喫煙所まで車椅子を転がし、僕に近寄る。


「覚えてる事もあるのよ。屋上がただただ恐ろしいって事。それだけ」

「・・・」

「なのに屋上に来てしまうの。不思議よね」


なにが霊能探偵だ。

俺は結局自身の目的を最優先して保身の自衛本能が意識を

持っていったのだろう。

どうせまた、だれも救えやしない。


「でも、救われたんだと思うわ」

「・・・」


嘘のようなタイミング。


「夢を見るの。毎日。物凄い真っ黒な存在に終われる夢。どん詰まりで何かに

助けられる夢」

「・・・」

「話してたら疲れちゃったわ。聞いてくれてありがと。目が覚めて誰かに聞いて欲し

かっただけだから」

「・・・」

「じゃあね」


遠くで待機していた看護師にその少女は連れられる。


############################


「タニシ君、冷えるよ」


屋上で灰を眺めていたらすっかり日は落ちていた。


「看護師が探していたぞ」

「・・・ええ。すみませんでした」

「何がだい?」

「何も」


気恥ずかしさが勝った僕は病室へと戻った。

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