天国に流れつきまして
筒城灯士郎
プロローグ
拝啓、お母さま。
『無人島に何かひとつ持っていくとしたら何をもっていく?』という定番の質問にはその前提条件が欠けていまして、だからこそ定番の質問たり得るんだとあたしは思うわけです。「その島でサバイバルをする」という前提なのか「その島からの脱出を目指す」という前提なのか、はたまた「その質問それ自体を大喜利と捉えて、奇をてらった回答を目指す」のか……質問の受け取り方がそもそも人によって違っていて、そこに回答者の個性が出てくるんですね。
「ライター」とか「水」とか「釣り竿」とか「ナイフ」って答える人はいかに日々を生き抜くかを考えている人で、「ギター」とか「将棋盤」とかって答える人はいかに精神的に充実した日々を過ごしたいか、ということを——おそらく日常的に——考えている人で、「船」とか「通信手段」とかって答える人は今の生活によっぽど満足しているか、あるいは無人島での生活なんてほんまは絶対に不可能であるということをちゃんと理解している人で、「日本列島」とか言ってしまう人は斜に構えてるか、ただ単にスベった人ですね。
無人島とひとくちに言ってもいろんな無人島があると思うのですが、例としてそのうちのひとつを具体的に挙げてみたいと思います。ええ、今ならまるでこの目で見ているかのように、すらすらと情景描写ができますよ。
その島とはこんなかんじです。
足元に広がる砂浜は笑えるくらいに真っ白で、しゃぱぱぱ、しゃぱぱぱ、と穏やかな波が寄せては引いて、寄せては引いてを繰り返しています。引くときに足のまわりの細かい砂をもっていくのが微妙にこそばゆいなあ、なんて呑気なことを思ったりもします。海の透明度は空の透明度とあんまり変わらんくらいで、下手をすれば水道水より透きとおってるんちゃうかな? って思いますけどそれはさすがに大袈裟ですね。でもそれくらい真っ透明で、海の中がまる見えです。だいぶ向こうのほうまで海底の砂やら岩やらカラフルな小魚やら珊瑚が見えます——水族館のアクリルのなかとは比較にならないほどにクリアです。そんな海の色は青と緑と海底の砂浜のクリーム色が混ざった美しいターコイズブルーで、遙か遠くには水平線が視界の端から端まで通っています……もちろん上下ではなく左右に。空は快晴で太陽は目を向けられないほど光り輝いていて、瞼を閉じれば目の前が真っ赤っ赤になる明るさです。このあと確実に日焼けするでしょう。くっきりとした輪郭の白い雲がところどころにぽつんぽつんと浮かんでいます。海岸沿いにはヤシの木がたくさん生えていて、海の反対側には雑木林と崖と森。それ以外に何があるのかは実際にあの中へ入って行くしか確かめる方法がないわけですが、なかなかそんな勇気は出ません。
いま一番欲しいものは「船」ですね。自分では操縦できないので船長もセットでお願いします。
あたしがこの場へ持ってきた物をしいて挙げるとするならば、Tシャツとジーンズと下着とヘアゴム……以上になります。ぜんぶ身につけているものなので替えはなし。これ以上のものは何もなしです。手ぶらです。ポケットに入っていたはずのスマホと家の鍵と財布もどこかへ消えてしまいました。
当然、ナイフも水も将棋盤もなしです。
あまりにも現状を受け入れられずに、こうしてお母さまに向けてボトルメールを書いているのですが、紙とペンがないのでぜんぶ頭のなかで書いています。冒頭のほうはもうすっかり忘れてしまいました。
そもそもあたしは大阪から出た記憶がないというか、諸々の記憶がだいぶ欠けているのでひょっとしたら何かの拍子に〈関空〉からでもぽろっと飛び出したのかもしれませんが——〈関空〉からぽろっと飛び出した飛行機からさらにあたし個人がぽろっとお空に飛び出してしまったのかもしれませんが——それでもパスポートは持ってないので、少なくとも海外には出てないはずなんです。でもここはどう見ても日本ではありません。沖縄ともまた違っています。
じゃあこの状況はなんなん? って思います。
……あたしがさっきから何を言いたいのか、何を伝えたいのかをお母さまならもうとっくに察していらっしゃるかと思いますが、あえて現状をひと言で説明しますと、
あたし、いま、無人島にひとりなんですね。
***
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