第2話 リーザロッテ大いに泣く。あと、王子様は童貞でした

「フォル・レストリア?」


 フォル、とは尊称である。そしてこの地の名の付いた名前を聞いて、お供の人形は思わず「ほ、本物の王子様だぁ!」と叫び、リーザロッテも飛び上がった。


「いや、もう王子じゃないよ。王位継承権は返上してるし」

「ととと、とんでもない! トンだ粗相を……あうあう」

「貧乏小国の元王子なんだし気にしなくていいってば。まぁ貧乏って言っても城に戻ったら朝御飯くらいはあるから」


 ちょっぴり皮肉ってニヤリと笑った少年は「名前が長いから僕のことは『レディル』で」と気さくに手を振ったが、恐懼したリーザロッテは「ははーっ!」と平伏した。


「こちらのお嬢さんは?」

「あたいはプッティってんだ」


 気さくに応えた人形は「あ、いけね」と、自分の頭を小突いた。


「ゴメンな王子様。あたい、礼儀知らずで口の利き方も知らねえからこんなカンジで話すけど悪気はねえんだ」

「気楽に話せるからその方がいいや。よろしくプッティ」

「あいよッ」

「プッティは、私が魔法で創った友達なんです」


 胸を張った人形の横からリーザロッテが口を挟む。


「独りだと寂しくて創った私の家族……のはずなんだけど。この通り口は悪いし、私のことガミガミ怒るし。魔法の掛け方が悪かったのかなぁ……」

「おい、てんめぇ王子様の前でつまらねえことホザいてんじゃねえぞ!」

「ひぃぃぃ!」


 プッティが傍らの薪ざっぽを手にして立ち上がり、リーザロッテは情けない悲鳴をあげる。レディルが「まぁまぁ」と宥めるとプッティはフンと鼻を鳴らした。


「王子様は優しいなぁ。おいリーザロッテ。シミったれた愚痴なんか二度と言うんじゃねえぞッ!」

「ううっ、これじゃどっちがご主人様なんだか」

「あはは……」


 愉快なやり取りにレディルは笑ったが、笑い声はすぐに萎んでしまった。本当は呑気に笑ってなどいられないことを思い出したからだった。……この国は今、とある危機を抱えていたのだ。

 リーザロッテ達に遭うまで、彼は馬上でそのことにずっと思いを巡らせていたが、考えても考えても小さなこの国を護る糸口さえ見当たらなかった。

 だが、それを今この二人に打ち明けたところでどうなるというのだろう。レディルは黙って鍋に水を足し、お茶代わりの重湯を作り始めた。

 ふと見ると、向かい側ではリーザロッテが何やら汚れたズダ袋に手を入れゴソゴソ掻きまわしている。


「リーザさん、どうかしたの?」

「はい、あの……助けていただいたお礼に何か差し上げられないかと」

「お礼なんていらないよ」


 そう言われてもリーザロッテはなおも袋の中を探し回り、しまいには袋をひっくり返した。

 だが、貧しい身なりの魔法少女が王族出身の少年に献上出来るような高価な所持品など持っているはずもなかった。出てきたのは紙クズみたいな護符 アミュレットやら宝石も嵌め込まれていない安物の魔法杖 ロッドやら、ガラクタ同然の怪しげな物ばかり。


「うう困ったぁ。何もなーい……」

「本当にいらないってば」


 リーザロッテは目に涙を浮かべて項垂れたが、急に何か思いついたらしく「そうだわ! これがあった!」と顔を輝かせてネックレスを首から外し、付けられていた宝石を取った。

 それは透き通った石だったが、中で星のように光がきらきらと七色に輝いている。王族出身で珍しい宝石を多少は見慣れているレディルでさえ目を見張った。


「不思議な宝石だね。初めて見た……」

「『星石』といいます。この世に存在しないはずの石。この世界を眺めている神様が気が向いた時に天から落としてくれる星の欠片だそうです。たくさん集めた者は天の祝福を受け、神々の書物に記されるのだと亡くなったお婆ちゃんが言ってました」

「お婆ちゃん?」

「ゾルフィー・プレッツェル。西の果てに隠棲していた私のお婆ちゃん。魔女でもあり、お母さんでもありました」


 リーザロッテの顔に敬虔なものが浮かんだ。


「お婆ちゃんなのにお母さん?」

「私、捨て子だったんです。この石はお婆ちゃんが持たせてくれました」


 思わず言葉を失ったレディルへ、リーザロッテは「受け取ってください」と、こともなげに宝石を差し出した。


「そんな大切な形見、受け取れないよ。貴重なものなんでしょう?」

「そりゃまあ特殊魔法はコレがないと使えないし。でも、どのみち使っちゃったらなくなるってお婆ちゃん言ってましたから」

「だったらなおさら受け取れないな。気持ちだけありがたくいただくよ」


 レディルはきっぱりと断り、リーザロッテは途方に暮れてしまった。

 コンロの火はプッティが集めた木々や枯葉でそのまま夜明かしの焚き火になっていた。温かなオレンジの炎が行きずりで出会った三人を優しく照らし出す。

 会話が途切れ、レディルは揺れ動く炎をぼんやり見つめて明日のことを考えた。

 帰城したら、自分の中に抱えたこの苦悶を宮廷にどう話せばいいだろう……


 そのときだった。

 何事か決心したリーザロッテが、ヨシ! と頷き、顔を上げた。


「じゃあ……私を差し上げます!」

「は、はいぃぃ!?」


 レディルは「まだ話終わってなかったの? ってゆーかちょ、ちょっと待って!」と目を白黒させたが「御覧の通り貧相な身体ですがよろしければ……」と迫られ、背中を反らせて両手をブンブン振った。


「待って待って待って! 第一僕そんな……童貞だし、突然そんなこと言われても……」

「わ、私も処女です。だから気にしないでいいです」

「気にするよ! とにかく落ち着いて!」


 傍らでプッティが「王子様、童貞だったんだ……」と、つぶやいたのでレディルは思わず「気するのはそこじゃなくってさぁ!」とコントみたいにツッコんでしまった。

 そうしながら彼はふと、眉をひそめた。


(この娘はもしかしたら今まで……)


「リーザさん、ちょっと尋ねるけど。貴女は旅の途中で困った人に出会ったことはありますか?」

「あります」

「そのとき、どうしましたか?」

「助けますよ」


 当たり前じゃないですか、という顔でリーザロッテは答える。


「そのとき、お礼くらいは言われた?」

「……いいえ、みんな私のことを怖いものでも見るようにして逃げてゆきました」

「……」

「そりゃ、魔法を目の前で見せられたらね。まぁ仕方ありませんけど」


 モジモジしながらリーザロッテは「へへへ」と、恥ずかしそうに笑う。だが、レディルは彼女の表情に浮かんだ傷ついたさみしげなものを見逃さなかった。

 彼はようやく得心した。そして、彼女に対する哀れみに思わず心を突き動かされた。

 この世界で魔法少女といえば珍しい存在だった。昔は異世界から様々な物を召喚し災いをもたらしたと言われ、今なお忌避する人も珍しくない。そんな人々と接して、今まで感謝されたことがなかったのだ。

 だから自分が同じようにされた意味が分からず、何か「対価」を返さねばと……


「でもいいんですよ、そんなこと。べ、別にお礼を言われたくて助けた訳じゃ……」


 ツンデレみたいに口を尖らせたリーザロッテの言い訳に、レディルは付け足した。


「うん。僕も同じ。貴女と同じようにしてあげたかっただけだよ」

「へ……?」

「べ、別にお礼が欲しくて助けた訳じゃ……」


 真似して口を尖らせたレディルはそこで笑い出し、リーザロッテはキョトンとなった。


 (私と同じ気持ちで……)


「リーザさんは優しい魔法少女で、僕はそれを真似しただけだよ」

「はひ? え……あ……う……」


 彼女はRPGでいうところの「リーザロッテは混乱している!」状態に陥った。何をどう言っていいか分からない様子でオロオロしていたが、やがてその頬に銀色の美しい筋が伝った。


「あれ? なんで、どうして? 私、悲しくなんかないのに……」


 ――どんな時も人に優しくあれ。それが、いつかお前を幸せにしてくれるから……


 それが、亡くなる前に育ての母が告げた遺言だった。

 安住の地を求める旅路の中で、リーザロッテはそれを大切に守ってきた。

 足をくじいている人を魔法で治癒したり、雨に濡れている人に魔法で見えない傘を差し掛けたり。泣き止まぬ子に困り果てている母親を見かねて眠りの魔法を掛けてあげたり。

 困っている人を、幾人も、幾度も助けた。

 しかし、その後はいつも礼すら言われずにそそくさと逃げられるばかりだった。後にはさびしさだけが残るだけ。

 それでも、魔法少女なのだから仕方ないのだと黙って堪えて。

 そんな自分を「優しい魔法少女」と初めて言われ、同じようにされたと知ったリーザロッテの中から今まで感じたことのない喜びが湧き上がる。

 涙となって溢れ出たそれは、もうどうにも止められなかった。


「うう、うええ、ふぇぇぇーーーーん……」


 リーザロッテは、とうとう声を上げて泣き出してしまった。

 人は悲しくて泣くだけではない。喜びに満たされたとき、これほどの涙を流すことが出来るのだと彼女は生まれて初めて知った。

 レディルは何も言わなかった。泣き出した主人を慰めたものか、それともメソメソすんなとドツいたものかと迷っている傍らの人形に目顔で告げる。


(好きなだけ泣かせてあげよう)


 プッティは頷き、レディルと顔を見合わせて微笑み合った。労わりの想いを共有した彼等の前で魔法少女は子供のように泣きじゃくる。

 だが……

 焚火の不自然な揺らめきを見て目を細めたレディルは、マントの下にそっと手を入れた。


「リーザロッテさん」

「は……はい」

「僕を見て……僕の目を見て」


 優しい声でささやかれるまま、リーザロッテは鼻を啜りながら顔を上げた。


(も、もしかしたら自分を慰めようとキスしてくれるのかな?)


 そんな期待に、リーザロッテの胸が高鳴った。

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