第314話 オーロラ

 

『もう無理だ……』

『勝てるわけがない……』

『終わりだ。この国はもう滅ぶんだ』

『痛い! 痛い痛い痛い! 助けてくれぇ~!』

『怖いよぉ』

『パパ……ママ……どこにいるの……』


 不安。恐怖。絶望。苦痛。

 襲い掛かるモンスターたちに抗う力がない民は負の感情に囚われる。

 無理もない。王都へ向けて数万匹ものおぞましいモンスターが地響きと甲高い雄たけびを上げながら迫ってきているのだ。

 心に強烈な負荷ストレスがかかり、誰もが俯いて目を閉じる。目を手で覆う。耳を塞ぐ。座り込んで顔を埋める。家族の身体で覆い隠す。

 彼らの瞳から涙が零れ落ちる。

 僅かに心を保った人たちが近くの人を懸命に励ます。が、効果は薄い。


「……違う」

『PykyuaaaAAAAAAAAA』


 言語に表すことが出来ない不気味な金切り声が少女の呟きをかき消した。

 王都の広場の上空に飛び上がった複数の不気味な影。体長3メートルを超えたブヨブヨしたモンスターが襲い掛かる。

 絶望と恐怖の悲鳴が上がった。

 咄嗟に動けたのはただ一人。否、彼女が動いたときにはもう終わっていた。


「《流星突》」


 ドラゴニア王国の近衛騎士団の美女だ。

 琥珀アンバーの瞳を輝かせ、虚空へと飛び出たランタナは、銀色の細剣レイピアを高速で振るう。

 轟音とともに放たれた白銀の刺突が流星の如く夜空を駆け、モンスターたちを撃ち抜いた。

 細胞の一欠けらも残さずに消滅。


「……違う」


 少女の呟きは衝撃波によってまたもやかき消された。

 タンッと軽やかな動きでランタナは地面に着地。第三王子の伴侶を護衛する。


「ヒース?」

「ヒース様?」


 エリカとランタナが小柄な少女ヒースを心配げに様子を伺う。

 彼女は一人で耐えていた。歯を食いしばり、拳は固く握られている。

 読心の能力によって、ヒースに際限なく流れ込む避難民たちの負の感情、それが彼女を苦しめていた。

 ギリッと奥歯を噛みしめる。


「……違う。そうじゃない」

「ヒース。辛いならここから離れて……」

「ううん、違うの」


 ヒースはエリカの提案を拒否し、震えながら言い放つ。


「あぁもう! イライラするぅー!」

「「 は? 」」


 エリカとランタナ。冷静で真面目な二人が珍しく間抜けな声を漏らした。

 周囲を護衛する近衛騎士も『えっ?』と間抜け面を晒していた。

 一人、ヒースは苛立ちを露わにして足を踏み鳴らす。


「もう無理? 何言ってんの? 勝てるわけがない? この国が滅ぶ? 必死に戦っている人がいるのに決めつけるなぁー! 怖い? 私だって怖いよ! 皆怖いと思ってるよ! なんで俯いてんのぉー!」


 フーフーと威嚇する猫のように鬱憤をまき散らすヒース。虹色の蛋白石オパール瞳が輝きを放っている。


「こんな情けない声にビビってたなんて馬鹿馬鹿しい! 過去の私のばかー!」


 今までは恐れていた夢魔の力。少しずつ受け入れて制御できるようになった読心の能力。

 でも、心のどこかではまだ恐れていた。

 相手の心が直接囁き、侵食してくるのだ。14歳の少女が怖がるのも無理はない。

 しかし、彼女はこの負の感情が渦巻く危機的状況で覚醒した。いや、開き直ったと言うほうが正しいかもしれない。

 自分の心を強く保ち、恐怖する避難者の負の感情を撥ね退ける。


「ヒースちゃん、落ち着きましょうぅー」

「はい、師匠!」


 おっとりと間延びした優しい声が荒ぶるヒースの心を静める。

 歌姫セレンによる精神干渉の声音。聞く者すべてが冷静さを取り戻す。


「ヒースちゃんはやるべきことがわかっていますかぁー?」

「はい」

「良い顔ですねぇー。シラン君の女に相応しいですぅー。ならばぁー、私もやるべきことをしましょうぅー」


 おっとりと微笑んだセレンの背中から黒い翼が生える。光や見る角度によって赤や紫や緑といった色に変化する不思議な色の翼だ。

 周囲が呆気に取られているうちに、歌姫セレンは羽ばたいて夜空へと昇っていく。

 羽が舞い散る。

 真っ先に我に返ったのはヒースだった。


「はっ!? お姉ちゃん、拡声の魔法って使える?」

「え、ええ。それくらいなら」

「お願い。私の声を伝えて」

「かしこまりました」


 また一つ成長した主人のお願いに、エリカは姿勢を正して優雅に一礼。

 何も言わず、ただヒースのことを信じて、声を遠くまで響かせる拡声の魔法を発動した。

 ヒースの声が王都の広場に、いや、王都中に広がっていく。


『ねぇ、一つ聞いてもいい? そんな顔で死にたい? 後悔しない?』


 俯いていた人が、泣いていた人が、絶望した人が、彼女の声に耳を澄ませる。


『私は嫌。だって、死ぬなら笑顔で死にたいじゃん。それに、まだまだしたいことは沢山ある。愛する人とイチャイチャして、子供を産んで、死ぬまでラブラブするの。私が死ぬときは孫も生まれてるかも。ひ孫もいるかなぁ?』


 少女の妄想にクスリと笑った人がいる。

 思わず想像をしてしまって無意識に口角が上がった人がいる。

 こんな状況で何を言っている。そう思って苛立った人も多いだろう。

 だがそれは、彼女の言葉を意識したということでもある。


『私は弱い。私にモンスターには立ち向かう力はない。守ってもらっている。皆もそうだよね? 違う?』


 そうだ、と頷きかけて、人々の動きが止まる。

 よほどのことが無い限り自らを弱者と即座に認めることはできない。人には誰しも自尊心プライドがあるのだから。

 だからこそ、ヒースは告げる。


『私は認める。私は弱いと! でも、俯いて泣いている人とは違う! だって私は戦っている人を信じてるもん! モンスターなんかにこの国が負けるわけがない!』


 明るく、元気に、笑顔で、勇気づけるように力強く宣言する。

 ヒースは人々の心に問いかける。


『ねぇ、ただ蹲って泣いているだけでいいの? 自分にできることはない? 治癒魔法が使える人はいない? コケて怪我している人はいない? 近くに迷子で一人ぼっちになっている子供はいない? モンスターは倒せなくても、避難所の目印として魔法を打ち上げることもできるんだよ?』


 人々の瞳に僅かな輝きが宿る。

 くっと唇を噛みしめ、涙で濡れた目や頬を乱暴に拭う。

 ヒースは自分の想いを乗せながら、王都中に優しく語りかける。


『俯くのはもうやめよう。今は泣いている場合じゃないよ! 自分に出来ることをしよ? もしかしたら何もできない人がいるかもしれない。でも、信じることはできるよね? 心の中で応援しよう! それに、全てが終わった後、頑張った人に何かすればいいんだよ。ありがとうって背中をバシバシ叩くとか、頭をグシャグシャに撫でまわすとか、お酒をぶっかけるとか!』


 誰もが屈強な冒険者たちの背中を叩いて頭を撫でまわすことを想像してしまった。

 少女の可愛らしい考えに、プッと吹き出し、笑いの輪が連鎖的に広がっていく。

 自分たちは何を考えているのだろう。でも、そういう未来も悪くない。

 また笑いが漏れ出す。


『《さあ、顔を上げて》! ほら立って! 私たちが信じなくて誰が信じるの!』


 違いねぇ、と男たちが立ち上がる。

 若い子に諭されるとはねぇ、と女性たちが立ち上がる。

 彼らに諦めの色はない。恐怖は拭いきれない。でも、瞳に強い輝きがある。

 全員が顔を上げた。


 ――そして、勝利の女神を見た。


 夜空に浮かぶ美しきドレス姿の女性。翼を広げて黒い輝きを放っている。

 ふふっ、と歌姫セレンの口から笑い声が漏れた。


「私もぉー、弱いですぅー。でもぉー、歌うことはできますよぉー」


 ヒースの訴えを聞いていたセレンは、よくできましたぁー、と届かない称賛を送る。


「だからぁー、始めましょうかぁー。歌姫わたし応援ライブをー!」


 大勢の観客に向かって一礼。そして、大きく息を吸って、両手を広げた。

 歌姫の口から歌が紡がれる。


「《勝利の歌》!」


 突如、ドラゴニア王国の空一面に眩い極光オーロラが広がった。

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