第273話 お叱り

 

 正座する俺の背後で興奮した少女の歓声が聞こえる。


「さっきの試合、とても格好良かった! バァーってなって、グォーって風が吹いて、ビュンビュン現れたり消えたりして、バーンッてぶつかり合って! とっても興奮したよー!」

「姫様、現在進行形で興奮しておりますよ」


 今も興奮しっぱなしのヒースをエリカが冷静に指摘する。

 お喋り好きのヒースは蛋白石オパールの瞳をキラッキラと輝かせている。

 さっきからヒースの言葉が止まらない止まらない。次々に口から飛び出していく。

 ただ興奮のせいか、擬音だらけで内容はいまいちよくわからない。御前試合を楽しんだことはとても伝わってくるが。

 読心の能力を持つヒースは、最近まで閉じこもっていた。だから、御前試合など初めて見たのだろう。そして、周囲の人の熱狂的な雰囲気にのまれ、他者の興奮まで敏感に感じ取ってしまい、こうして今もなお鼻息が荒くなるほど興奮が続いているのだ。

 彼女は熱い眼差しをランタナに向けている。


「とっても格好良かったです!」

「それはありがとうございます、ヒース皇女殿下」


 ピシッと王国式の敬礼するランタナ。生真面目な彼女にヒースは熱をあげる。

 格好良い大人の女性を目指すヒースには、ランタナは理想の女性に見えるのだろう。

 あぁー後ろは楽しそうだ。俺の目の前は絶対零度の空気。

 俺の意識が逸れたことに気づいた女性が、俺の顔の前で指をパチンと鳴らす。


「ちゃんと前を見て反省しなさい」

「うっす」

「……返事は?」

「はいっ!」


 ビシッと背筋を伸ばして元気よく返事。

 ガクブルガクブル。婚約者様が怖いです。誰か助けて!

 俺は今絶賛正座中。お説教を受けている最中だ。理由は、ジャスミンにランタナとのデートがバレたから。

 自分の部屋に戻った瞬間、美しい笑顔のジャスミンに迎え入れられ、俺は無言で正座したのだ。

 ……何故かランタナは正座をしていない。許されている。一緒に責任取ってくれるって言ったのに、裏切者ぉ~!

 目の前のソファに座って足を組んでいるジャスミンがため息をついた。


「あのねぇ~、別にもうシランの女好きには諦めているの。でも、どうして隠そうとするのかしら? 堂々とすればいいじゃないの!」


 えーっと、どゆこと?


「ちゃんと報告するのなら怒らないわよ。今更一人二人増えたところで変わんないでしょ!」


 そりゃごもっとも。婚約者だけで四人。使い魔を含めると……何人だろう?


「隠すからムカつくんでしょうが!」

「申し訳ございません……」


 俺は深々と頭を下げる。渾身の土下座。

 この熟練したお手本のような美しき土下座を見るがいい!


「ふべっ!?」

「なぁ~んか自慢げなのよねぇ。ただ頭を下げるだけで反省してないでしょ」


 ジャスミンはエスパーか!? ヒースみたいな読心の能力を持ってる!?

 申し訳ございません。心から謝るから、深く深く反省するから、後頭部をグリグリと踏むのは止めてください。ヒールだから突き刺さりそうです。あと禿げそう。


「なにこのハードなプレイ!?」

「姫様にはまだ早いです」


 エリカがヒースの目を覆う気配がする。

 もっと見せてぇ、と駄々をこねて暴れる14歳の少女。エリカの判断は妥当だ。これはヒースにはまだ早い大人の世界です。


「ただじゃれているだけですよ、お二人とも」


 こんな混沌カオスな状況の中でも、一人だけのほほんとしている純真天然なリリアーネ。おっとりと微笑みながら俺たちの様子を眺めている。

 ……あの、リリアーネさん。見ているだけじゃなくてジャスミンさんを止めてくれませんかね?


「ジャスミンさん、お説教はそこまでにしたらいかがですか?」

「……そうね、そうするわ」


 俺の後頭部を踏んでいた足の重さがなくなる。顔を上げると、リリアーネに差し出されたお茶で喉を潤すジャスミンの姿があった。


「シラン様もこちらへどうぞ」


 促されるままにリリアーネの隣に座る。極々自然な動作で密着するリリアーネ。さりげなく一番良いポジションを取るリリアーネさん、流石です。

 出遅れた三人は少し悔しそう。


「リリアーネ……まさかこれを狙って……?」

「くっ! これが年上の余裕かっ!?」

「では、私は反対側を」

「「 あっ!? 」」


 いつの間にかエリカが反対側を陣取っていた。腕に絡みつき、青緑色だった金緑石アレキサンドライトの瞳が赤紫色に燃え上がる。

 ジャスミンとヒースがガックリと肩を落とした。


「……ちょっと。嫌な役を演じたんだから、私に譲ってくれてもいいじゃない」

「そうなの? 確かに、ジャスミン様からあまり怒りの感情を感じなかった気が……」

「誰かが注意しないとシランは調子に乗るでしょ? 隠れて次々に女性を増やされても困るから、時々こうやって叱っているのよ。ヒース、覚えておいて。『怒る』と『叱る』は全くの別物よ」

「なるほど!」


 キラキラした瞳をジャスミンに送るヒース。ジャスミンも良いことを言うなぁ。


「しかし、今回は怒ってもいいですよね?」

「リリアーネ!?」

「シラン様、私たちに隠れて新たな女性を何人作りましたか?」


 ぎくっ!? リリアーネが鋭い。蒼玉サファイアの瞳が至近距離でじっと見つめてくる。逃げようとしてもガッチリと腕を掴まれている。

 まさか、リリアーネはこのために……?

 婚約者たちのジト目が俺に襲い掛かる。ランタナのジト目も突き刺さっている気がする。

 皆に隠れて仲良くなった女性はアルスとソノラだけかな。

 歌姫セレンについては……ずっと前からだからセーフ! だといいなぁ……。


「えーっと、親密な女性は二人……かな。何人か仲良くなった女性もいます」


 ランタナとかテイアさんとか。二人については頬にキスまで。

 婚約者三人&ランタナが一斉にため息をついた。なんかごめん。


「わぁお! モテモテだね、シラン様! というか、私にも手を出してよぉ~! いつでもウェルカムだからぁ~!」


 一人だけ肯定的な少女がいる。ヒースだ。

 飛び掛かってくるヒース。俺にぶつかる直前、横に座っていたエリカが彼女をキャッチ。そのまま自分の膝の上に座らせた。

 仲の良い従姉妹だなぁと思いきや、エリカはヒースを抱きしめることで拘束している。恐ろしや。


「ランタナさん、覚悟してくださいね」

「リ、リリアーネ様? 何の覚悟ですか?」

「シラン様のハーレムに加わるなら、それ相応の覚悟が必要ですよ」

「そうですよ、隊長。シランって意外と自分から手を出さないんです。変なところでヘタレというか……」

「おい!」

「だってそうでしょ? ずっとシランを待っていた幼馴染の私が言うんですから信憑性があると思いますよ。どれだけシランや自分に怒ったことか。結局、自分から動いて、結ばれて、今はもう怒る余裕なんてありません」

「シラン様のハーレムはお美しい方々が大勢いらっしゃいますから、自分を磨き上げるので精一杯なんです。周りを気にする余裕なんてありません」


 うんうん、と頷くエリカと、そうなのっ!? とビックリ仰天しているヒース。


「旦那様は夜も凄いですし……」

「あれは凄いわね」

「凄いですねぇ」


 経験者の三人がしみじみと呟く。でも、どこかうっとりと色香を漂わせた女の顔で微笑んでいる。

 なにそれ詳しく、と興味津々のませたヒースの口はエリカによって塞がれた。もごもごとくぐもった抗議の声が上がる。


「というわけで、隊長が加わるのならご自由にどうぞ。デートでも何でも好きにしてください。ただ、シランもこう見えて一応王子ですので、伴侶になるということはそれ相応の義務も発生することをご理解ください」

「……ご忠告、感謝します」


 ランタナは、いろいろと複雑そうな表情で一礼した。

 ……なんか巻き込んでしまって申し訳ない。深く反省した俺でした。





















 ▼▼▼



 人形製造者ドールメイカーは回想する。


「御前試合のあの女性……ランタナとか言いましたか。真面目そうで美しい女性でしたね」


 細剣レイピアを振るって巨躯の男に立ち向かうランタナの姿は、凛々しくも格好良く、勇敢で、そして美しかった。何より、優しげな橙色の琥珀アンバーの瞳が気に入った。

 騎士で真面目な性格なら、自分に忠実に仕えてくれそうだ。彼はそういう想像をして心が躍る。

 観客席からという遠い場所ではなく、今度は近くで、自分の手元に置いて、じっくりと美しき彼女を観賞したい。


「”女性たちレイディーズ”」

「「「 はい 」」」

「”少女たちガールズ”」

「「「 はい 」」」


 傍に控えていた無機質な美しい人形たちが抑揚もなく返事をする。表情も声も無感情。

 彼女たちを造った人形製造者ドールメイカーは命じる。


「ランタナという女性の情報を調べなさい」

「「「 かしこまりました、創造主メイカー様 」」」


 一糸乱れぬ動きで綺麗に一礼する造られた女性たちはすぐさま行動に移る。

 満足げに眺めた人形製造者ドールメイカーは、ふと、蜃気楼のように突如現れた少女の姿に気づく。


「おや出来損ない。準備は終わりましたか?」

「…………」


 出来損ないと呼ばれた歪な少女は無言でコクリと頷いた。透明な髪がゆらりと揺れ、透明な瞳は瞬きすらしない。


「そうですか。後は時が満ちるのを待つだけ。スポンサーは今回の威力偵察に満足していただけると良いのですが……終わってみなければわかりませんね」


 もう布石は打った。後は待つだけ。しかし、ただ待っているのも暇だ。面白くない。


「折角ドラゴニア王国に来たんですし、美しい女性サンプルでも見つけて楽しみましょうか」


 彼は楽しげに笑う。

 歌姫が到着し、更に盛り上がる親龍祭の裏で人形製造者ドールメイカーは動いている。

 出来損ないと呼ばれた歪な少女は、陽炎のように揺れて周囲の景色に溶け込んで消えた。


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