第242話 手掛かり無し

 

「黒翼凶団の情報は何かあったか?」

「いいえ、何も」


 俺の問いかけに執事のハイドが答える。

 デートを切り上げた俺たちは城へ戻り、何かと理由をつけて女性陣から離れ、今こうして情報収集を行っているところだ。

 ちなみに、レナちゃんはちゃんと孤児院へと帰し、テイアさんセレネちゃん親子は俺の屋敷だ。城ではない。


「人が多すぎます。信者の目印である紋様も服で隠れてわかりませんから」

「だろうな」


 どうしたもんかな。暗部は諜報暗殺部隊とはいえ、人数に限りがある。親龍祭の期間中も王国中に散らばっているし、王都に居る者たちは多くが城での警備に携わっている。

 情報収集に密偵の排除。影からの王族の護衛。

 暗部も暗部で祭りの期間中は手いっぱいだ。


『ファナ。商人の噂話もないのか?』


 念話を繋げた先は大商会のトップであるファナだ。

 商人は噂話には敏感だ。情報が命だから。

 彼女は裏世界も率いているし、小さな手掛かりでもいいからあると良いのだが。


『残念ながら空振りね。娼館の女の子たちにも話を聞いてみたのだけどダメだったわ。情報なし』

『そっか。じゃあ、どこかの貴族が依頼したとかスポンサーになっているとか……』

『無いことは一番あなたが知っているでしょ? お祭りの前に散々探ってみたのだから』

『だよなぁ……』


 親龍祭が始まる前、貴族たちが変なことを企んでいないか全部調べ上げたのだ。黒翼凶団への接触は確認されていない。

 だから、残る可能性は……。

 一つ目、単なる見間違い。ただ、見間違いとは言い切れない目撃情報の具体性。凶団の信者の特徴とピッタリと一致しすぎだ。

 二つ目は、他国からの依頼。他国だったらどうしようもない。

 三つ目は、誰かに恨みを持った一般人の依頼。これもどうしようもないな。情報を手に入れるのは難しい。

 最後に、黒翼凶団が自分たちの存在と力を知らしめるために勝手に動いている可能性。これが一番可能性としては高いかもしれない。

 恐怖をもって自分たちが信じる神の力を示し、血と生命を捧げる。だから、黒翼凶団はテロ組織と呼ばれているのだ。


『相手は狂信者と呼ばれる異常者たちだから、情報を漏らすくらいなら死ぬでしょうね。いえ、そもそも情報を漏らすような人間が凶団に入ることはないわね。だって、狂信者ですもの』


 信仰が全て。神が全て。自分たちの神を信じない者は人間じゃない、と平然と言うような奴等だからなぁ。裏切者は瞬き一つしないで容赦せずに殺すだろう。

 そういうところは実に厄介。


『あなたは休んでおきなさい。いざという時、動けるのはあなただけだから』

『でも……』

『普通、彼らの対処するのは警備兵や巡回の騎士たちよ。私たちは影の存在。表立って動いてはダメ』

『……わかった。ファナも休んでくれ。今日は表の仕事を頑張っていただろ』

『私は適度に休んでいるわよ。まあ、でも―――』


 その時、念話が途切れて、背後から妖艶な声がした。振り返る前に、チクリと首筋に痛みが走る。


「ご褒美くらいは貰うわね」


 首を噛まれ、血を吸い取られる異様な快感。吹き付けられる熱い呼吸。

 いつの間にか背後に立っていたファナが血を吸っているのだ。

 俺を包み込む肌の柔らかさと温かさ。そして、甘い匂い。

 吸血鬼の吸血行為に伴う媚薬効果によって身体がカッと熱い。


「ごちそうさま。親龍祭が終わったらこの続きをしましょうね。それまではお預けよ」


 そう耳元で妖しげに囁いたファナは、頬にキスするとスッと気配が消えた。振り返っても誰もいない。

 椅子の背もたれに深くもたれかかって、天井を見上げながら思わず心の声が漏れる。


「……生殺しだよ」


 身体は熱いまま。彼女の残り香が心をくすぐる。

 まったく、誘惑するだけ誘惑して何もしないなんて酷い女性だ。そして同時に素敵な女性だ。

 そう言われたら、男なら頑張るしかないじゃないか。

 全てが終わった時のご褒美のために頑張ろう……とは言っても、今は休息の時間だ。休むのも仕事の内。

 悶々とした興奮を深呼吸して抑え込む。


「ハイド。少し休む」

「かしこまりました」


 大きく伸びをして部屋を出る。向かう先は自分の部屋。

 多分、女性陣が女子会を開いているだろうけど。

 先にお風呂に入って部屋に戻るかなぁ?

 廊下の角を曲がる。すると、別の方向からやって来たエルネスト兄上と出会った。


「げっ! 兄上!?」

「シ~ラ~ン~? いろいろとお話ししようか? 今の挨拶だったり、昼の出来事だったり、その首筋のキスマークだったり」

「うげっ!? お、俺は今からお風呂に……」

「じゃあ、久しぶりに風呂に入ろうか。ついでにお説教も」


 首根っこをむんずと掴まれる俺。


「だ、誰か助けて! マリアさ~ん!」

「残念だったな。マリアは明日まで休暇を取った。今夜くらいゆっくり休んで欲しい。だから、今日こそはシランに王族としての心構えをみっちりと教え込んでやる」

「いぃ~やぁ~!」


 そこにちょうど通りかかる父上。


「エルネスト、シラン。どうしたんだ?」

「いえ、風呂に入りながら弟にお説教をしようかと思いまして」

「ふ、風呂だと!?」


 チラッチラッと誘って欲しそうに見るんじゃない! 父上キモい!


「父上、偶には一緒にどうです? 王太子として国王の心構えをもっと知りたいのですが。ついでに、シランへのお説教も参加してくれると助かります」


 止めて! 父上断って! 陰で仕事を手伝ってあげてるよね? 今、その恩を返して!


「あっはっは! いいよ!」

「軽っ!? 父上は国王ですよね!? 返事が軽っ!? ちょっ! 兄上、手を放して! 父上も引っ張らないで!」


 俺は兄上と父上にお風呂へと引きずられていく。侍女も執事も見て見ぬふり。


「せめて……せめて水着を着てぇ~!」


 心の底からの願いが廊下に木霊する。




 ▼▼▼



 バッチリ化粧をして着飾った美女がイラ立ちを隠さずに爪を噛んでいた。眉間に寄った皺は深い。


「ちっ! あの小娘が! あんな乳臭い乞食の地味女のどこが良いのよ!」

「イライラしているようだな、ケマ」

「うっさいわね! アンタらは儀式かなんかの準備をしてなさいよ!」


 ケマは眦を吊り上げ男を睨んだ。

 男は黒翼凶団の幹部。枢機卿。今回のリーダーだった。

 血が足りないのか顔は青白い。それに、あまり寝てないのだろう。目の下にははっきりとした隈がある。しかし、瞳は血走り、ギラギラと異様な輝きを放っていた。

 ずっと寝らずに、祭壇で祈りを捧げていたのだ。


「準備は整った。後は、供物をささげ、神の降臨を待つのみ。全ては我が神のために!」

「その神様は私の願いも叶えてくれるのよね?」

「もちろん。祈っても何の力を貸さない神もどきとは違い、我らが信仰する神は、供物を捧げれば力を与えてくれる! 願いを叶えてくれるのだ!」

「なら、早くその神様を降臨させなさい!」


 ちっ、と舌打ちをして、ケマは腹立たしげに命じた。

 やれやれ、と男は行動に移る。地下室の扉の奥へと消えていった。

 再び舌打ちし、イライラして部屋の中を歩き回るケマは、化粧台に手をつき、鏡の中を眺めて大きく深呼吸をした。

 自分の美しい顔が怒りで歪んでいたのだ。これは美しくない。ヒステリックに叫ぶ自分も綺麗じゃない。

 特に、眉間に皺が残ってしまったらいけない。

 常に、男を誘惑する綺麗な自分でいなくては! そのためには、若く、美しくなくてはいけない!

 崩れた化粧を直し、鏡の前で妖艶に微笑む。

 ガチャリ、と部屋のドアが開いたのはその直後のことだった。


「あら。貴女がここに来るなんて」


 ケマは振り返らずに、自分の背後に向かって言った。鏡に映るフードの人物。

 その人物がゆっくりとフードを外した。中から現れたのは唇をキュッと引き結んだ真面目そうな女性。


「バレても知らないわよ、


 マリア・ゴールドは無表情で振り返ったケマへと答える。


「大丈夫ですよ―――





























≪本編には関係ないショートストーリー≫



『真紅の女王の微笑み』 その6



 地面へと落ちていく吸血鬼ファナの首。

 胴体を失った彼女は身体を支えることも出来ず、ただ落ち続ける。

 しかし、彼女はまだ死んではいなかった。呪いにも似た吸血鬼の真祖の不死身の力が彼女を生かしているのだ。

 魔力ももうすっからかん。吸血鬼の魔力の源は血液。残ったのは頭部の僅かな量だけ。魔法を発動さえることも出来ないし、身体を再生させるのにも全然足りない。

 完全復活には少しの時間がかかりそうだ。

 そろそろ地面にぶつかる頃だろうか。目を閉じて、僅かに残った意識の片隅でファナは思った。迫りくる衝撃に備える。

 だが、その痛みは襲ってこなかった。

 感じたのはポフッとキャッチされる感触。誰かが自分の頭部を抱きしめている。


「もう! ソラやりすぎ!」


 聞こえてきたのは、プンプン怒った幼い少年の声だった。

 重い瞼を薄っすらと開けると、彼の純真無垢な瞳が覗き込んでいた。


「お姉さん大丈夫…………じゃないよね。えーっと、治癒魔法は出来ないし、あっ! お姉さんは吸血鬼だったよね? 僕の血を吸う?」


 ぼんやりとした意識の中、坊やは何を言っているのだろう、と思う。普通、生首をキャッチしないし、怯えもしないなんて異常だ。ましてや、世間では恐れられている吸血鬼に『血を吸う?』と聞くなんて馬鹿げている。自ら進んで血を飲ませようとする人間なんて聞いたことが無い。

 そして、更なる少年の行動に、ファナは絶句をした。彼は、どこからともなく小刀を取り出すと、躊躇なく自分の首筋を斬り裂いたのだ。

 温かい真紅の液体がファナの顔に飛び散った。


「っ!?」


 虚ろに開いた口の中。乾いた舌先に真紅の雫が一滴乗った瞬間、彼女はハッと紅い双眸を見開いた。

 熱く、鉄臭く、少し塩辛く、とても甘い味。

 酒で例えるなら3年物のウィスキー。今もあっさりとして美味しいのだが、これから年を重ねて熟成していくのが楽しみになる味だった。

 ファナは夢中になって少年の首筋にむしゃぶりつく。


「んくっ! んぅっ! んっ!」


 吸血鬼の本能が刺激され、一心不乱に牙を突き立てながら血を吸い出し、こぼれた血を舌で舐めとる。

 一口嚥下するたびに、彼女の身体が再生していく。

 ここまで美味しい血は初めてだった。いや、異性の血で初めてだった。

 ファナは、男の血が嫌いだ。少年も大人も老人も、男の血だったらどんなものでもダメだ。獣のようなニオイがして、飲めたものではなかった。身体が受け付けず、拒絶反応を示す。不味い。

 無理に飲んだこともあったのだが、気分が悪くなって吐いた。その後数日は体調がすぐれなかった。

 だから、飲むときは必ず女性の血。それも自分が気に入った女性のもののみ。

 しかし、彼女は今、異性である少年の血を飲んでいる。奇跡的に彼女と相性が良かったのだ。それも良すぎるくらいに。


「はぁ……はぁ……もっと……もっとぉ~……!」


 首、肩、胸、腕、手、腹、腰、脚、と再生していった彼女は、いつの間にか小柄な少年の身体を抱き上げていた。その首筋に顔を埋めて、熱い吐息を吹きかける。

 吸血鬼の吸血行為はお互いに媚薬効果をもたらす。相性が限界突破した血によって、彼女の本能は熱く強く深く猛烈に刺激されていた。

 少年の血を吸い尽くす勢いで飲んでいた彼女が顔を上げた。

 鋭く伸びた牙。血で赤く染まった唇。熱っぽく潤んだ紅い瞳。紅潮した頬。陶酔した表情はとてもエロティックだ。

 脳を蕩けさせる濃密な甘い香りが溢れ出す。

 おもむろに、少年の顔へと顔を近づけていき、唇が触れ合う直前で彼女は正気に戻った。


「あ、あらっ? 坊や?」

「お姉さん。元に戻った?」


 少し顔が青い少年が心配そうに観察していた。ファナが大丈夫そうだと気づいてホッと顔を緩ませる。

 血を吸うことに夢中になっていたが、吸い尽くしたい吸血鬼の本能に抗い、致死量の血を奪うことを無意識にやめていたようだ。


「ごめんなさいね、坊や。坊やにも迷惑と心配をかけてしまったわ」

「ううん。僕は大丈夫」

「坊や。一つ聞きたいのだけど、吸血鬼に血を捧げるとか、貴方って馬鹿なの?」

「ん~どうだろ? 馬鹿かもしれないね。でも、血をあげたのはお姉さんだったからだよ! そ、それよりも、降ろしてくれないかな……?」


 恥ずかしそうに顔を逸らす少年。照れた顔が赤い。

 ファナは彼を抱き上げていた。裸で。

 いくら幼い少年だと言っても、今日初めで出会った美人なお姉さんに裸で抱きしめられていたら恥ずかしいのだ。母親でも姉でもない家族以外の女性の身体。温かく、シルクのように触り心地が良い柔らかな肌。甘い香り。そして、豊満な胸。

 静かに抱っこされているのは落ち着かない。かといって、軽く叩いたり暴れたりしたら、彼女の柔らかさを意識してしまって、それはそれで心が乱される。

 一刻も早く解放してもらいたかった。


「あらあら。可愛い反応!」


 少年の心など気にも留めず、予想外の可愛い反応にファナは思わず母性本能がくすぐられた。さらにむぎゅっと抱きしめ続ける。


「んぅっ!? むぅ~! んぅ~!」


 豊満な胸に顔が埋まって、柔らかさに押しつぶされて息ができない。命の危機を感じて、彼は激しく抵抗。


「ぷはっ!? し、死ぬかと思った」


 身を捩って抜け出し、地面へと着地。空から降りてきたメイドのソラの背後に隠れる。

 少し残念そうなファナ。仕方がない、と腕から血と魔力を噴き出さて操り、ドレスを編んで身にまとった。


「ねえ、お姉さん。楽しかった?」


 唐突に、少年が問いかけてきた。


「……どうしてそんなことを聞くの?」

「だって、さっきまでのお姉さんの顔がつまらなそうだったから。今は違うよ。今は笑顔」

「そう……私は今、笑顔なの……」


 自分の頬に手を当てて、自然と口角が上がっていることに気づいたファナ。

 ここで誤魔化すのも馬鹿馬鹿しいと思ったファナは、花のような笑みを浮かべて、心の底から本心を告げた。


「ええ、楽しかったわ」


 そっか、良かった、と少年も自分のことのように嬉しく笑う。


「今日は楽しかったわ。派手に暴れたから、冒険者ギルドから追手が来るかも。坊やたちは早く帰りなさい。そうね、また今度会った時は、私の屋敷でお茶でもしましょう」


 じゃあね、と背を向けて自分の屋敷へと帰りかけるファナ。


「待って! お姉さんも僕と一緒に来て!」


 何故か、足が止まった。そして何故か、振り返ってしまった。


「……ダメよ。私には、馬鹿だけど可愛い従者たちがいるの」

「じゃあ、みんな一緒に来て!」

「……無理よ」


 ファナが悲しげに儚く微笑む。


「無理よ。だって、私は吸血鬼だから。化け物だから」


 自分は化け物。討伐対象。普通の人とは違う。だから、一緒に入られない。彼に迷惑がかかる。従者たちだって半吸血鬼ダンピールだ。

 でも、足が動かないのは何故だろう? 泣きたくなるくらい心が締め付けられるのは何故だろう?

 自分以上の化け物のソラが幸せそうにしているから? 少年が優しくて眩しいから? 孤独で寂しい生活に戻るのは辛いから?


 ―――それとも、数百年ぶりに触れた人の温かさを感じて、諦めて忘れ去ろうとしていた感情を思い出したから?


 きっと、全てだろう。


「おや。それを言うなら、私のほうが貴女よりも化け物ですよ? ですが、私はご主人様の傍に居ます」

「そ、それは……」

「ソラ~! 自分のことを化け物って言うの禁止~! ソラはソラだよ! ハイドはハイドで、お姉さんはお姉さん! あれっ? まだお姉さんの名前を聞いてない」


 そう言えば、まだファナは少年の前で名乗っていなかった。逆に、少年も名乗っていなかったりするのだが。


「でも……でも! 私は……」

「あぁもう! 最終手段! お姉さんは、僕のメイドのソラに負けました。敗者は勝者の言うことに従ってもらいます。お姉さんはこの辺りを治めている女王様なんでしょ? 負けの意味がわかってるよね?」


 一応、自分から主張はしていないが、この辺り一帯は彼女の縄張りで実効支配している領域だ。彼女は従者を従える誇り高き女王である。負けは負けだ。

 そして、彼女はどこか安堵していた。少年と一緒に居られる理由を付けられたからかもしれない。


「わかったわ。坊やに従う」

「じゃあ、契約しよっか」


 ニコニコ笑顔の少年とファナの足元に魔法陣が広がった。


「契約の魔法? この私が約束を破ると思っているの!? それは侮辱と取っていいかしら?」


 彼女の声に怒気が混ざる。従うとは言ったが、契約魔法を使うことは一般的に信用がない証でもある。自尊心プライドが傷ついた。

 しかし、少年はニコニコと微笑むだけ。


「お姉さんの名前は?」

「……ファナ」

「ファナお姉さんだね! 僕はシラン。シラン・ドラゴニア。ファナお姉さんには僕の傍に居てもらうけど、僕がお姉さんを楽しませるから、楽しかったら笑ってね。それが契約内容」

「……はぁ?」


 思わず間抜けな声が出た。というか、突っ込みたいことがいくつかある。

 まず、ドラゴニア? それってこの国の王族の姓だ。まあ、神龍が従っているから納得は出来る。

 しかし、その後の契約内容は何だ? 楽しませるから、楽しかったら笑って? 意味が分からない。そもそも、それは契約と言っていいのか? 楽しかったら笑う、それは人間として当たり前のことだ。


「お姉さんが退屈になったら、いや、なる前に僕が笑わせるから。もう退屈させないから!」


 なんだそれは……。

 ぷっ、と小さく吹き出したファナは、次第に笑い声が大きくなって、最終的には涙を流してお腹を抱えるくらいの大爆笑になった。

 もう、真剣に言っているのに、とムスッとしたシラン少年の顔が更にツボに入る。


「ハハハハハ! ご、ごめんなさい。こんなに笑ったのは何百年ぶりかしら。くふふ……坊やって馬鹿ね。大馬鹿ね! あはは!」

「むぅ!」

「もちろん、良い意味で大馬鹿よ! 良いわ。その契約を結びましょう。人の一生くらい私にとってはあっという間。坊やに従います。けれど、一つだけ覚えておいて。もし坊やがつまらなくなったら、喉を噛みきって血を一滴残らず吸い尽くしてあげるから!」

「うん、いいよ!」


 シラン少年は即答する。即答するだろうと思っていたけど、やはり彼は大馬鹿だと思う。


「じゃあ、契約だね」


 何故か短刀を取り出して自分の肌を傷つけたシラン。浮き出した一滴の血が、ポチャンと地面に広がる魔法陣へと落ちた。その瞬間、魔法陣が輝き出して、深紅の鎖が飛び出す。


「えっ……?」


 ファナは焦った。その理由は鎖が飛び出して襲ってきたからではない。魔法陣の内容に気づいたからだ。いや、内容というより種類と言うべきか。


「待ちなさい! その魔法陣は魂魄契約! 今すぐに止めなさい!」

「大丈夫ですよ。ご主人様を信じてください」

「ソラ!? 大丈夫じゃないわ! 今すぐ坊やを止めなさい! 坊やの魂が消えちゃう! 私の魂に呑み込まれるわ! 坊やに耐えられるはずが……!」

「ふぅ。契約完了」


 お互いの身体を縛り上げた真紅の鎖は消え去り、無事に魔法契約が完了した。そのことに、ファナは思わず唖然とした。


「嘘……でしょ……!?」


 確かに魔法契約を感じる。自分の胸の奥が、魂が、少年と繋がっているよう。優しく包み込まれているよう。温かい。

 それと同時に流れ込んでくる膨大な魔力。突然のことで身体が熱い。


「ご主人様は私とも契約していますからね。私もあの時は驚きましたよ」

「……くふっ……くくくっ……あはははは! いいわ! 傑作よ! 坊やは坊やで私たちと同じね! 坊やの傍に居たら退屈しそうにないわ!」


 もう何度目かわからない爆笑。目の端に浮かんだ涙を拭う。


「ファナお姉さん。お姉さんがしたいことってある?」

「私のしたいこと? そうね……」


 彼について行くということは、今の古城から出て生活を一変させるということだ。今までのようにボーっと毎日を過ごすわけにはいかないだろう。心機一転のチャンスだ。

 何をしようかしら、と悩む。


『私の夢はね、将来はね……』


 ふと、少女だった頃の、過去の記憶が蘇った。忘れていた自分の夢。将来なりたかったもの。それが突如、大人になった彼女の耳に届いた。


「―――そうね、お店屋さんでも始めようかしら」


 ふふふっ、と声を漏らすファナの顔には、どこか少女のように茶目っ気たっぷりで楽しげな笑みが浮かんでいた。




<完結?>
























<おまけ>


「あぁ~あ。汗かいちゃった。泥も付いてるし、血も付いてるわ。お風呂に入らなくちゃ」

「あ、あれっ? ファナお姉さん? どうして僕を抱っこするの?」

「えっ? 一緒に入るからよ?」

「え゛っ!?」

「やっぱり仲良くなるには裸の付き合いが一番よね。大丈夫。坊やのことはお姉さんが身体の隅々まで洗ってあげるから!」

「嫌だ! 放して! 放してよぉ~! 母上たちや姉上たちと同じニオイがするよぉ~!」

「だ~め! まったく、可愛い反応ね! ご家族が弄りたくなる気持ちがわかるわ」

「いぃ~やぁ~!」


 人々が恐れる『不帰かえらずの森』。

 その森に、嫌がる少年の叫び声と、楽しげな吸血鬼の笑い声がいつまでも響き渡っていた。




『真紅の女王の微笑み』 <完結>


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