第183話 約束

 

 俺とソノラは買い物デートを続けていた。あちこちの店を回り、価格や品質を一つ一つじっくりと確かめていく。選ぶ時のソノラの目は真剣だ。飲食店で働いているから、厳しく指導されたのだろう。


「ふむふむ。ナッツ類を混ぜるのもありですね。形は孤児院の建物が良いかもしれません」


 手を繋ぎ、腕に抱きついているソノラが、ブツブツと呟いている。

 周りは賑やかな商店街。店主たちが元気な声で話しかけてくる。


「ソノラちゃーん! あら、デート中かい?」

「あははー。実はそうなんですよー」

「あらあら! ついにソノラちゃんがねぇ……ほら! お祝い!」

「ありがとうございまーす」


 お店のおばちゃんに、大量のお祝いを押し付けられる。そのおばちゃんの大声が商店街中に響き渡り、ほぼ全員が一斉にこっちを向いた。ザワリと殺気が放たれた気がする。


「ついにソノラちゃんに春が来たのねぇ~。おめでたいわぁ~」

「なにっ!? ソノラちゃんに彼氏だと!?」

「相手はどこのどいつだ!?」

「俺たちの娘のソノラちゃんに悪い虫が付きやがって! 一発ぶん殴ってやる! 俺は王子だろうが国王だろうがやってやるぞ!」


 おっさんたちが、怒りの形相で、腕まくりをしながら近づいてくる。妻であろうおばちゃんたちも興味津々で取り囲む。

 この商店街では、ソノラは人気者らしい。多分、孤児院時代から通っているのだろう。

 ソノラが恥ずかしそうに笑って、横に立つ俺を紹介する。


「彼、本当に王子様なんですけど、殴ります?」

「へっ? よ、よよよよ夜遊び王子!?」


 俺に気づいたおっさんたちが、顔を青くして一、二歩後退った。


「ソノラちゃんの彼氏があの夜遊び王子だと?」

「元気で清らかな俺たちの娘に、女好きの王子の毒牙が……」

「殺す! 例え王子だろうがぶっ殺す! ほら、お前らやっちまえ!」

「お前がやれよ!」


 あのー? 俺、ソノラの彼氏じゃないんだけど。毒牙って言われても、俺は何もしていません。

 突如始まったおっさんたちの喧嘩を、俺は呆然と眺める。

 一体何がしたいんだろう?

 いつの間にか、ソノラはおばちゃんたちと仲良く喋っている。ようやく夢が叶ったわね、という声がちらほらと聞こえてくる。まだまだこれからですよ、とソノラは反論しているらしい。

 しばらく商店街でお喋りし、大量のお祝いと、『ソノラちゃんを泣かせたらただじゃおかないよ』という脅迫もたくさんもらって、俺たちはデートに戻る。お祝いは、俺が異空間に仕舞った。

 ソノラは少し申し訳なさそう。


「殿下、ごめんなさい」

「謝ることじゃないさ。ソノラは愛されてて、良いことじゃないか」

「昔からお世話になってる商店街ですからね。ありがたいことです。両親ってこんな感じなのかなぁって、いつも思います」


 ソノラは孤児院出身。捨て子だ。親の顔も知らない。

 俺と出会った時のソノラは、ガリガリで今にも死にそうだった。少しでも運命が違っていたら、今、ソノラとデートは出来なかっただろう。あの時、ソノラと出会えて本当によかった。


「殿下、私は幸せ者です! だから、ありがとうございます」

「何のことかな?」

「ふふっ。私がただ感謝したくなっただけです」


 知らんぷりしてもわかっていますよ、と言いたげに、軽く体当たりしてきた。どうやら、俺の心はお見通しらしい。乙女の勘は鋭い。

 俺たちは、密着して歩く。

 いくつかの店を回り、ようやくソノラが決めた材料を買い始める。時々、ベンチに座って休憩もする。お喋りをしたり、飲み物を飲んだり、甘い物を食べたり。

 全部の材料を買い終わった時には、太陽は傾いて、空はオレンジ色に染まっていた。ソノラは孤児院に泊まるらしい。非常にゆっくりとした足取りで、孤児院に向かう。

 一歩歩くたびに、帰りたくないという気持ちが伝わってくる。

 ソノラの足が止まった。おどおどとしていたが、ギュッと目を瞑り、覚悟を決める。


「あの、殿下! 言いたいことが……」

「あら~。そこにいるのは、どこにあるのかわからないお店の貧相な店員さんじゃないの」


 突然、ソノラの声が妖艶な声にかき消された。

 妖艶でグラマラスな体型の美女が、美しい笑みを浮かべて立っていた。丁度近くを通りかかったようだ。高級な服に高級なバッグ、豪華なアクセサリー。

 美しい女性だが、人を見下したような、蔑みの雰囲気を感じる。

 男なら誰もが鼻を伸ばしそうな女性だが、正直言うと、俺の好みではない。

 ソノラがその女性の名前をボソッと呟く。


「ケマさん」

「知り合いか?」

「いえ、知り合いという知り合いじゃないんですけど、親龍祭で開催されるコンテストに出場する方です」


 ファタール商会が開催する『働く女性コンテスト』だったはず。ソノラも出場予定だ。ソノラに絡んできたケマという女も出場するのか。

 ケマが礼儀正しい綺麗な動作で一礼をする。


「初めまして、シラン殿下。わたくしは王都の『龍の息吹』というお店に勤めておりますケマと申します」


『龍の息吹』は王都にある超高級料理店だ。貴族御用達のお店。ケマはそこで働いているらしい。この見た目なら、料理人ではないだろう。給仕のほうか。確かに、人気になりそうな美貌だ。


「シラン殿下。今夜、わたくしと楽しい一夜を過ごしませんこと? たっぷりとご奉仕させていただきますわ」


 色気が漂う甘く囁き声。香水の香りが鼻腔を満たす。

 自信満々な態度がヒシヒシと伝わってくる。綺麗な瞳の奥に光るのは、自分の美しさを自慢したい自尊心、俺ですら利用しようとする狡猾さ、ソノラの絶望を楽しむ快楽。

 残念ながら、彼女の誘いに乗ることはできない。

 俺は、握った手を離してさりげなく距離を取ろうとするソノラの腰に手を回して、グイッと抱き寄せる。


「済まないが、俺は一緒に居たい女性は自分で選ぶ派でね。君の相手には、俺のような夜遊び王子は務まらないよ」


 ケマの余裕そうな表情が、ほんの一瞬だけ固まった。女好きの夜遊び王子に断られると思っていなかったのだろう。もしくは、俺が暗に言いたいことがちゃんと伝わったか。


『俺は、お前とは一緒に居たくない』


 隣のソノラには全然伝わっていないみたいだが。ケマの美しさに呑まれて、自己嫌悪をしているらしい。自信を喪失している。ソノラは美少女なんだから、もっと堂々とすればいい。

 女は自尊心プライドを傷つけられた様子を微塵も表に出さず、余裕そうに微笑んでいる。


「そうですか。お邪魔致しました。今度ぜひご来店ください。たっぷりとサービスさせていただきますわ」


 ご機嫌よう、とケマが優雅に歩き去る。最後に一瞬だけ、怒気や殺意を孕んだ瞳でソノラを睨んだ気がする。どうやらソノラを敵視しているらしい。

 彼女がいた場所には香水の匂いが残っている。

 ソノラは、自信を無くした表情で、無言で俺の腕を引っ張る。

 孤児院の門の前に着いてから、ようやくソノラが口を開いた。目は合わせてくれない。意気消沈している。


「殿下……」


 その後の言葉が続かない。今にも泣きだしそうな小さな声だった。

 俺はソノラに微笑みかける。


「ソノラ、今日は楽しかったよ。またデートしような」

「えっ?」


 やっと顔を上げてくれた。鳶色の瞳が潤んでいる。


「もし、親龍祭のコンテストで、さっきのケマという女性よりも順位が高かったら、ソノラの願い事を何でも叶えてあげよう。俺にできることなら何でも」

「で、でも、私なんかがケマさんに勝てるわけが……」

「そうか? 明らかにライバル視してたぞ。嫌がらせするってことは、それだけ警戒してるってことだ」


 俺は自信を喪失して落ち込んだソノラの頬をミニョ~ンと引っ張る。


「元気出せ。いつも俺の頭をお盆でバコンバコン叩いてるだろ?」

「バコンバコンは叩いていませんよー! そんなに強く叩いてないですぅー!」


 結構強いが、指摘したほうがいいのか? いや、止めておこう。

 ソノラはちょっと元気が出たようだ。笑顔がだんだんと戻ってくる。


「殿下、本当にいいんですか? 何でも願いを叶えてくれるんですか?」

「俺にできることならな」

「私の一方的な我儘でも?」

「もちろん」

「約束ですよ? 破ったらもうお店に入れてあげません!」


 なん……だと!? 絶対に約束を守らなければ! こもれびの森の料理が食べられなくなってしまう!


「約束だ」


 俺たちは、小指を絡ませて約束する。これで約束は結ばれた。あとは、ソノラの頑張り次第だ。

 ソノラが一歩俺から離れた。


「先ほど言いかけたことは、コンテストの後に言うことにします」

「そっか。わかった。楽しみにしてる」

「今日はありがとうございました。とても楽しかったです」

「俺も楽しかったよ」

「それで、えーっと……今日のお礼です!」


 いきなり、ギュッと抱きしめてきたかと思ったら、ふわっと甘い香りが匂い、頬に柔らかな感触を感じた。すぐにソノラは俺から離れる。

 今にも気絶しそうなくらい、ソノラの顔が真っ赤になっている。頭から蒸気がポフンと噴き出した。


「お、おおおおおおやすみなさーい!」


 顔を手で覆ったソノラは、クルリと俺に背を向けると、ポニーテールをユラユラと揺らしながら、一目散に孤児院の中に逃げ帰っていった。

 俺は一人、ポツーンと残される。


「荷物、渡してないんだけど……」


 少し呆れながら、俺はソノラの後を追いかけた。

 この後俺は、孤児院の玄関で倒れ伏していたソノラに悲鳴を上げられ、ちびっ子たちには呆れられ、ヘタレと連呼された。

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