第172話 母は強し

 

 リタボック金融から出た俺たちは、即座に行動に移る。隠ぺいを施し、日蝕狼スコル月蝕狼ハティが狼の姿になった。太陽のような金色の狼と月のような白銀の狼だ。


「テイアさんの匂いはたどれるか?」


 今日は夕方まで雨が降った。もしかしたら匂いが消えているかもしれない。人も多く通っただろう。匂うかどうかで救出までの時間が変わる。もし匂わなかったら、しらみつぶしに探すしかない。

 でも、天は俺たちを見放さなかった。


『はい。可能です』

『微かだけど、私たちには余裕ー!』

「よし! じゃあ、セレネちゃんは……」


 抱きかかえているセレネちゃんを使い魔の誰かに預けようと思ったが、小さい手で俺の服を掴んで離さない。青みがかった銀色の月長石ムーンストーンの瞳が決意の光で輝いている。


「行く! セレネも行く! ママを助けりゅ!」

「怖い思いをするぞ?」

「行くったら行くのぉ!」


 ふしゃー、と可愛らしく威嚇をするセレネちゃん。

 説得して引き剥がす時間が勿体ない。時間が経てば経つほど危険だ。テイアさんが攫われてからもう一日過ぎている。仕方がない。連れて行こう。


「怖かったら目を瞑れよ」

「うん!」


 セレネちゃんはぎゅっと抱きつき、元気に頷く。母親が攫われているのに、泣きじゃくることなく、自ら助けに行く。勇敢な女の子だ。

 俺はセレネちゃんを抱っこしたまま、日蝕狼スコルの背中に飛び乗る。防御結界などを張って、命じる。


日蝕狼スコル月蝕狼ハティ! 追ってくれ! 頼む!」

『はい!』

『はーい!』


 その瞬間、二頭の狼が力強く走り出した。



 ▼▼▼



 王都から一日馬を走らせた距離にある森の中で、『運び屋』の男二人が野営をしていた。依頼人のところへ荷物を運ばなければならないのだ。一日で運べる距離ではない。馬のことも考え、休んだり、野営しなければならない。

 赤々と燃える火の番をするヒョロッとした獣人の男の耳に、巨漢の男の驚きの声が聞こえてきた。


「オォッ!?」


 一瞬で警戒して、鋭い視線を声がしたほうに向ける。ドスドスと足音を響かせて、巨漢の獣人が荷台から姿を現した。何やら慌てている。


「どうしたぁ~? 何があった?」

「馬車の、荷台、血だらけ。女が、死にそう」

「あぁん?」


 クンクンと鼻に意識を集中させると、確かに血の匂いが漂ってくる。確認しに行くと、閉じ込めていた女が血だらけだった。特に口の周りが酷い。痩せた猫の獣人は死んだかのようにぐったりと倒れたまま動かない。


「オデ、何も、してない。開けたら、こうなってた」

「ちっ! 舌を噛んだか? しねぇーと思ったんだがな。猿ぐつわをしておくべきだったか」

「でも、女、息してる」

「あぁ?」


 よく見ると、微かだが身体が上下している。息はあるようだ。

 ヒョロッとした男が乱暴にテイアの様子を確認する。舌は噛みきっていない。しかし、血を吐いた形跡がある。ビリビリと服を破り、身体を確認していく。

 骨の浮いた痩せた身体。明らかに栄養が足りていない。腹部には殴られた跡の青いあざがある。


「ちっ! 内臓を傷つけたかぁ~? 力加減しやがれ! この馬鹿が!」

「ごべん、なさい」

「まあいい。ポーションでも口に突っ込んどけ。死ななければ大丈夫だ」

「わがった」


 巨漢の獣人が、ドスドスとポーションを取ってきて、テイアの口に突っ込んだ。ゴホッと血と一緒にほとんどが吐き出されるが、ゴクリと喉が動き、一口分は飲んだようだ。ピクピクと瞼が動き、微かに目が開く。


「んじゃ、俺は火の番をしておく。死なないよう猫のねぇちゃんを見張っとけ。死にそうになったらポーション使えよぉ~」

「……オデ、コイツ、襲いたい」

「あぁっ?」

「痩せてる。でも、可愛い」


 服を斬り裂かれ、上半身が露わになっているテイア。巨漢の獣人は彼女の裸を見て発情し始めたようだ。フーフーと鼻息が荒く、股間の辺りが膨らんでいる。


「止めろ、この馬鹿が! 死にたいのかぁ~!? 商品に手を出した奴の末路をお前も見ただろう!?」

「……うぅっ!? ドロドロに溶けた血溜まり。臭い」

「そうなりたければ襲え」

「いや、だ」

「なら我慢しろ。街に寄ったら娼館に行けばいい」

「そうする」


 巨漢の獣人は興奮が鎮まったようだ。ここは彼に任せて、ため息をつきながら、ヒョロッとした男は火の番に戻る。

 パチパチと炎が音を立てながら燃え盛る。森の中はシーンと静まり返っている。明かりもなく、暗くて何も見えない。

 その時、静寂の闇を獣の声が切り裂いた。


『『 アォォォオオオオオオオオオオオオオオ! 』』

「な、なんだぁ~! ぐっ!?」


 体が動かない。本能が恐怖する。今の遠吠えの主には絶対に敵わない。逆らえない。

 懸命に体を動かそうとする男の前に、風よりも早く駆けた神々しい金と銀の狼が姿を現した。



 ▼▼▼



 俺はセレネちゃんを抱きかかえたまま日蝕狼スコルの背中から飛び降り、震えているヒョロッとした獣人を一瞥する。この男は、テイアさんを脅していた男の一人だ。この場所で正解だ。

 赤々と燃える焚火が、恐怖している獣人の男を照らしている。

 日蝕狼スコル月蝕狼ハティに威圧されていて動けないのだろう。獣人族は本能が強いから。


「テイアさんはどこだ?」


 普段隠している覇気や威圧感を全開にして、獣人の男に問いかけた。自分でも驚くほど低い声だった。男の顔が青を通り越して真っ白になる。


「オ、オマエ……たちは……」

「質問に答えろ。テイアさんはどこだ?」

「あっち! ママはあっちにいりゅの!」


 鼻をくんくん、猫耳をぴょこぴょこさせたセレネちゃんが、馬車のほうを指さし、ヒョイッと俺の腕から飛び降りた。


「ちょっ! 待ってセレネちゃん! 危ないから!」


 日蝕狼スコル月蝕狼ハティと速度でも『ふぉぉぉおおおおお!』とはしゃいで月長石ムーンストーンの瞳を輝かせていた恐れ知らずのセレネちゃんは、トコトコと駆けて馬車に飛び乗る。

 中から大きな手が伸びてきて、セレネちゃんを掴み上げたのは、その直後のことだった。

 のっそりと巨漢の獣人が馬車の中から出てくる。片手には今捕まえたセレネちゃんを、反対の手には、ぐったりとしている血だらけの女性を掴んでいた。女性はテイアさんだった。

 テイアさんは血だらけで、服は斬り裂かれている。腹部には殴られた跡。ぐったりしているがまだ生きている。僅かに見える日長石サンストーンの瞳には、生気が宿っている。

 俺の頭に血が上る。


「動くな。動いたら、オデ、コイツらを、殺す」

「ママ! だいじょーぶ!? セレネ、にぃにぃと助けに来たの!」

「黙れ」

「ぐぅっ!?」


 巨漢の獣人なら、セレネちゃんなんか一捻りで殺すことが出来る。人質とは厄介だな。

 威圧感を強めるが、男は耐性があるのか気絶はしない。恐怖には震えているけど。

 セレネちゃんが苦痛に呻く。テイアさんの耳がピクリと動いた気がした。


「へへっ。馬鹿だが偶にはやるじゃねぇかぁ~。誰も動くんじゃねぇよ」


 ヒョロッとした男もフラフラと立ち上がった。恐怖を無理やり抑え込んだようだ。刃渡りが長いナイフを引き抜く。


「この男がちょっとでも動いたらどっちかを殺せ。わかったな?」

「オデ、わかった」

「よぉ~し。あの子猫たちを捕まえているなら、お前は手を出せねぇよなぁ~? えぇっ?」


 優位に立ったからか、男の顔に余裕が戻る。俺たちは何もできないと思っているのだろう。

 警戒しつつも俺に近寄った男は、ナイフを大きく振りかぶった。


「死ねっ」


 ナイフが俺の首を斬り裂く前に、俺は行動を移していた。

 一歩踏み込み、男の腹に下から抉るようにアッパーカットを放つ。メキメキとめり込み、衝撃で肋骨が折れる感触が拳に伝わる。


「ぐぼぉっ!?」


 肺の空気が押し出された男は、白目をむいて、上空に吹き飛ばされた。

 巨漢の獣人は突然のことに驚き、行動が遅れる。

 男に向かって駆けながら、俺は魔力を噴き出させた。膨大な魔力に当てられて、巨漢の獣人は更に動揺する。この隙にテイアさんとセレネちゃんを救い出す!

 ほんの数秒。だけど、助けるには十分な時間だ。

 俺は一気に距離を詰める。

 しかし、俺が助け出す前に、全てが終わっていた。

 突如、黄金の光線が放たれ、巨漢の獣人の頭が消滅したからだ。

 灼熱の光を放ったのは、捕まっていたテイアさん。手のひらを男の顔に向けている。


「……私の……娘に……触るな」


 母は強し。最後の力を振り絞って娘を救った。

 頭を失って、ぐらりと倒れそうになる男の腕から、俺は親子を助け出した。

 セレネちゃんは強く掴まれただけ。無事だ。でも、テイアさんは今にも死にそう。身体が軽すぎる。


「ママ! ママァ!」


 セレネちゃんが抱きつく。弱々しい輝きの日長石サンストーンの瞳が、娘を捉えた。口から血を流しながら、ヨロヨロと腕を上げて、セレネちゃんの頬を優しく撫でる。


「……ごめんね……セレネ……ママ……心配……かけたね」

「ママ! ママァ!」

「……あぁ……セレネ……私のセレネ…………私の可愛い子……」


 フッと力が抜けた腕が音を立てて地面に落ち、テイアさんは赤みがかった金色の目をゆっくりと閉じた。

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