第160話 奢る

 

 肩と頭に日蝕狼スコル月蝕狼ハティを乗せ、十代半ばの姿になった吸血鬼のファナとデートをしている。

 おやつの時間で少し小腹が空いたので、立ち寄った店でアイスを買った。ペロペロと舐めながら街を歩く。

 冷たい甘さが美味しい。疲れた身体に染み渡る。

 俺は自分で思っている以上に疲れきっていたらしい。不意にボーっとしてしまい、丁度目の前に歩いていた親子にぶつかってしまった。


「きゃっ!?」


 もつれるように女性を押し倒してしまった。女性は女の子と手を繋いでいたけど、咄嗟に離して巻き込まれてはいない。でも、手に持っていたアイスを女性の胸の辺りにひっくり返してしまった。やせ細った体にアイスが溶けて伝っていく。


「つ、冷たっ!?」

「えっ? あっ! すいません! 大丈夫ですか? お怪我は!?」


 俺は慌てて離れて、ハンカチを取り出すが、際どいところだから拭くわけにもいかない。胸の間にアイスが垂れていく。

 混乱していると、猫の獣人の幼女が母親であろう女性に駆け寄った。


「ママだいじょーぶ?」

「え、ええ。大丈夫よ。セレネは怪我はない? 痛い痛いしてない?」

「してない!」

「そう。良かったわ」


 娘の頭を撫でている母親に向かって頭を下げ、ハンカチを差し出す。


「本当にごめんなさい! 俺のハンカチを使ってください!」

「ありがとうございます…あら? 貴方は…」


 よく見ると、見たことがある女性だった。猫の獣人の女性だ。赤みがかった金色の瞳。日長石サンストーンだ。露店で何度か会ったことがある。何という偶然。

 ハンカチを押し付けるように渡すと、申し訳なさそうな顔で汚れを拭き始めた。悪いのは俺なのに。

 彼女が拭き終わった後、俺は深々と頭を下げた。


「本当に申し訳ありませんでした」

「いえいえ。お気になさらず。それよりも貴方は大丈夫ですか?」

「俺は何も怪我はありません」

「そういう意味ではなくて……お辛そうですよ?」


 ほら、とファナから咎める眼差しで睨まれ、日蝕狼スコル月蝕狼ハティからは肉球ペチペチされる。

 さっきも似たようなことがあったんですけど。


「母親になったら、子供の様子に敏感になったのです。気に障ってしまったらごめんなさい」

「にぃにぃ。セレネがナデナデしてあげりゅね。イタイのイタイの飛んでけ~!」


 服を引っ張られたので無意識にしゃがむと、セレネちゃんが小さな手で頭をナデナデしてくれた。可愛らしくて癒された。天使だ。レナちゃんと同じ癒しの天使がここにいるぞ。


「せめて何かお詫びを…」

「お気になさらず。お気持ちだけで十分です」


 女性がチラッと横にいるファナに視線を向ける。デートの邪魔になることはしたくないようだ。でも、そういうわけにはいかない。何かお詫びをしないと俺の気が済まない。


「セレネちゃん? 甘い物食べたくない?」

「甘い物!? セレネ食べたい!」

「セレネ! ダメよ!」

「この後ご予定が何もないのでしたら、奢らせてください」

「私のことは気にしないでくださいな。夫がご迷惑をおかけしたので、お詫びをさせてください」


 ファナからの援護射撃。ナイス! というか夫って…。いや、いいんだけどさ。今度妻って言ってみよう。どんな反応するかな? 楽しみだ。

 俺とファナの謝罪の気持ち。そして娘のセレネちゃんのキラキラおねだりビーム。女性は、猫耳をペタンと倒した。


「わかりました」


 セレネちゃんを巻き込むなんて俺って卑怯だな。まあいいや。女性が折れてくれたので、甘い物を奢りに行きますか。

 俺たちが案内したのは、もちろん行きつけのこのお店。まるで絵本の世界に紛れ込んだようなログハウス。隠れ家レストラン『こもれびの森』。王都で一番美味しいお店だ。ここはデザートも絶品なのだ。

 しかし、ドアには『本日貸し切り』の看板が…。

 どうしようかと悩み始めた瞬間、ドアが勢いよく開いて、十歳にもなってない少年が飛び出してきた。


「逃げろー! わふっ!?」

「おっとっと。大丈夫か?」


 ぶつかってきた少年を抱きしめるように勢いを殺すと、少年は、ヤベッ、という表情で見上げてきた。


「ご、ごめんなさい! ……って、あれ? 女誑しの兄ちゃんじゃん。謝って損した」


 目をパチクリさせた少年は、孤児院のちびっ子の一人だった。ぶつかった相手が俺だとわかってホッと安堵している。

 ほうほう。謝って損したねぇ。生意気なちびっ子め!


「おいコラ! どういう意味だコラ!」

「うぎゃ~! 痛い痛い痛~い! や、止めろぉぉおおおお!」


 お仕置きの拳骨グリグリ。少年は手足をバタバタさせて悲鳴を上げる。

 全く! 今度院長さんに言いつけるからな! 相手が俺だったからこれで許してあげるけど!

 少年に制裁をしていると、再びお店のドアが勢いよく開いて、ドタバタとエプロン姿の少女が飛び出してきた。栗色の髪をポニーテールにしているのが特徴の少女だ。


「こらぁ~! 飛び出したら危ないでしょうがぁ~!」

「やあソノラ。今日も元気だな」

「……ふぇっ!? で、でででで殿下ぁ!? 何故ここに!?」


 俺に気づいてキョトンとして、次の瞬間には可愛い驚きの悲鳴を上げ、そして顔を爆発的に赤らめたソノラ。忙しいな。でも、ソノラらしい。


「ちょっと立ち寄ったんだけど、今日は貸し切りなのか」

「あっ、いえいえ! 貸し切りですけど、殿下ならどうぞ! 孤児院の子供たちが来てるんです」

「おう! 兄ちゃんも寄ってけ!」

「殿下。その子はお預かりしますね。きっちり絞めておきますから! どうぞどうぞ! いらっしゃいませー!」


 ぎゃー嫌だぁー、兄ちゃん助けてー、と叫んで暴れている少年をソノラに引き渡し、俺たちは店の中に入った。

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