第141話 七つの門
「助けに来たぞ、ヒース!」
壁を壊したことで、粉塵が舞い散る室内。ベッドの上には手首と足首をギチギチに縛られていたヒースの姿があった。
角度や光の具合で色が変わる美しい
エリカが、瓦礫を乗り越え、ヒースの下に駆け寄った。
「ヒース! ヒース! 無事!? 何もされてない!?」
服の乱れはない。イルも傍にいたし、即座に駆け付けたから襲われていないはずだ。
「エリカお姉ちゃん…斬られた傷は…? 声は…? 治ったの?」
ハンカチで顔を拭われながら、ヒースは呆然とエリカを見つめる。
「ええ。旦那様に全部治してもらいました」
「旦那様って、シラン様のこと?」
「ヒース、動かないで!」
エリカはヒースの質問に答えず、片手で靴底を触ると、護身用の小さなナイフを取り出した。そのナイフでヒースを縛っていた縄を切る。
余程きつく縛ってあったのだろう。ヒースの手首と足首に赤紫色の跡が残っている。
そのままヒースを背に庇うと、エリカはキッと元夫であるオダマキを睨んだ。
オダマキは何かをブツブツと呟いている。とても不気味だ。
「何故なんだ…何故なんだ何故なんだ何故なんだ何故なんだ」
服のポケットから箱を取り出した。パカッと開けると、青色の宝石がついた腕輪が二つ鎮座していた。
「ほら…俺とおそろいのブレスレットも用意したんだぞ」
オダマキが手に持っていた箱が、ブレスレットごとエリカの光弾によって弾き飛ばされた。
「ヒースには渡させません!」
「何故なんだ何故なんだ何故なんだ…何故俺の邪魔をする!?」
憤怒で顔が歪んだオダマキの周囲に大量の水の球が浮かんだ。
「無差別攻撃するつもりだよ!」
どうやらイルがヒースの封印を解いたらしい。心を読んで、鋭い声で注意を飛ばす。
その時、俺の隣を誰かが駆け抜けた。
高速で白銀の光が輝き、俺の目の前にランタナが現れた。俺を背中に隠して庇う。
ヒュンッという空気を切り裂く音と共に、水の球が一斉に弾けた。水が重力に従って床に落ちる。
一瞬で駆け抜け、全ての水の球を斬り裂いたのだ。
「ランタナ。ありがとう」
「これが私の仕事ですから」
ランタナは自慢する様子もなく、当然のことのように淡々と言った。
狭い室内を高速で移動するなんて、並大抵のことではない。流石近衛騎士団の部隊長様だ。
「一体何が!?」
あまりにも速すぎてオダマキはランタナの姿を捉えることができなかったようだ。自分の魔法がいつの間にか斬り裂かれて、わけもわからず呆然としている。
「全て斬らせていただきました。もちろん、貴方も」
「ぐはっ!?」
「安心してください。柄で殴りつけただけですから」
遅れて倒れ伏したオダマキに、ランタナは見下ろしながら冷たく言い放った。
普段は優しげな声音のランタナだが、今は怒りを感じる。ヒースを誘拐して無理やり襲おうとしたことが、同じ女性として許せないのだろう。
オダマキは床に倒れたが、気絶はしなかったらしい。憎々しげに俺たちを睨んでいる。
もういい加減大人しくして欲しい。
俺は誰にも聞こえないようにボソッと魔法を発動させる。
「《
相手の意識を奪う魔法だ。オダマキには視界が真っ暗になったと感じただろう。
白目をむいて意識を失う。床にバッタリと倒れ伏した。
それだけでは終わらない。俺はイルに念話を飛ばす。
『イル! 行くぞ!』
『ふむ。いいだろう。
俺たちは同時に心の中で叫んだ。
『『《
夢魔のイルの力を使って、オダマキの精神世界に入り込む。一種の夢渡りだ。
心の中は時間も空間も関係ない。ルールもない。想像すれば、何でもできる。
オダマキの心を支配したイルが、真っ黒な空間を作り出した。上下左右もない闇の空間。自分が闇の中に呑まれて消えそうだ。
その中心に、ポツーンとオダマキの姿が現れる。訳が分からず辺りを見渡している。
俺とイルに気づいたオダマキは、顔をゆがめ傲慢に怒鳴る。
「ここはどこだ!? 俺を解放しろ!」
「そう言われても、ここはお前の心の中だ」
「心の中、だと?」
「そう。心の中。現実世界の人には何もわからない。誰も気づかない。どんなことをしてもな」
無感情な声で俺は言った。
叫ぼうが、暴れようが、逃れることはできない。イルが支配しているから、俺やイルが許さない限り目覚めることはできない。
読心の能力を持つヒースにもバレないように細工をしている。
俺は独り言のように呟いた。
「俺ってさ、無理やり女性を犯そうとする奴が大っ嫌いなんだよね。傷つける奴も。やっぱり笑顔でいて欲しいんだよ」
「そ、それがどうした」
「エリカとヒースを傷つけたお前を許さない。可愛いイルも攫ったからな。地獄を見ろ。《クル・ヌ・ギ・ア》」
オダマキを中心に、真っ暗な精神世界に白く輝く巨大な門が、円を描くように七つ出現した。地獄に存在する七つの門。神聖で静謐な気配も感じると同時に、邪悪さと禍々しさを感じる門だ。
この門をくぐるたびに、何かを生贄に捧げなければならない。
「まずは一つ目。味覚」
門の一つがゆっくりと開き、中から形容し難い巨大な気持ち悪い腕が伸びてきて、悲鳴を上げるオダマキをつかみ取った。そのまま門に引きずり込まれる。
五感の内、今は全然必要ない味覚を奪い取った。
オダマキの姿が、再び中央に出現する。
「二つ目は、身体の自由を貰おうか」
二つ目の門がゆっくりと開き、また暴れるオダマキが腕に掴まれて門の中に消え去った。次の瞬間には、身体の自由が奪われて、硬直したオダマキが再び現れた。
実際は、イルの力で動かなくすることもできたけど、今回は門の力で奪うことにした。でも、目は動くし、声は出せるようにしている。
「や、止めろ! 俺を誰だと思っている!? ウンディーネ家の当主だぞ!」
「うるさいなぁ。次はその声を貰おうか」
三つ目の門がゆっくりと開き、悲鳴を上げるオダマキが腕に捕まれ門をくぐった。
オダマキから声が奪われる。
「どうだ? お前がエリカにしたことだぞ?」
「………」
口をパクパク動かしているが、オダマキは喋ることができない。顔を憤怒で歪めている。全然反省していないようだ。
「四つ目、恐怖と苦痛以外の感情」
四つ目の門が開き、吐き気を催すほど気持ち悪い腕が伸びてきて、オダマキが消え去った。
中央に現れた時には、恐怖以外の感情を抜き取られ、顔が真っ青になっていた。目をカッと見開いている。
今オダマキが感じられるのは、恐怖と苦痛のみ。絶望することも許さない。反省もできないけど、仕方がない。俺の目的は苦しめることだ。
「五つ目、嗅覚。六つ目、触覚。ふむ。痛みだけは残しておくか」
五つ目の門が開いて腕に連れ去られ、すぐに六つ目の門の腕が伸びてきて、オダマキは門をくぐる。五感の嗅覚と痛み以外の触覚が奪われた。
これでオダマキは、身体のあらゆるところを触られても痛みしか感じられない。
「試しに叩いてみると……どうだ? 痛いか?」
「………」
オダマキは口を大きく開いて叫んでいる様子だが、声が出せないから全くわからない。顔は恐怖と苦痛で歪み、涙がポロポロと流れ落ちている。
『くくく! まるで拷問だな』
「何のことかなぁー? これはただの悪夢だよ、イルさん」
俺は周りの人を幸せにするためだったらどんなことだってやってやるさ。何かで傷ついたときも。自分から血に染まるし、拷問だってする。今みたいに。
『別に誤魔化す必要はない。悪辣な
「惚れ直すのはいいが、後でイルにもお仕置きするからな」
『なにっ!?』
いや、当たり前じゃん。そんなに驚かなくても。
縋りついてくるイルを無視して、最後の仕上げをする。
《クル・ヌ・ギ・ア》の残りの門は一つ。奪える力も残り一つだ。
俺は無感情に、恐怖と苦痛で震えるオダマキを眺める。
「さて、残り一つだな」
「………」
オダマキの周りを歩いて、彼の身体をペチペチ叩いて拷問しながら、耳元で囁く。
「お前、エリカの目も潰そうとしたんだってな? あの綺麗な
「………」
「だから、最後にお前の視覚を奪う。永遠に闇に囚われろ」
最後の門がゆっくりと開き、巨大な腕が伸びてきて、オダマキの身体を掴み取った。何もできないオダマキは、七つ目の門をくぐって、視覚を奪われた。
オダマキは、味覚、嗅覚、視覚、痛み以外の触覚、恐怖と苦痛以外の感情、身体の自由、そして声を失った。残っているのは聴覚くらい。
「どうだ? 今の気分は」
「………」
「おっと。喋れなかったな。気分と言われても、残っているのは恐怖だけか」
見えなくなった瞳からポロポロと涙を流すオダマキを、冷たく無感情に眺めながら、俺は囁き続ける。
「《クル・ヌ・ギ・ア》で奪ったのは、ここだけの出来事だ。現実世界には何ら影響はない」
『恐怖は刻まれただろうがな』
イルがクスクス笑いながら付け加えた。
「ここで起きた出来事は、全て忘れさせる。お前は何も覚えていない」
『おや?
「そんなわけないだろう? もっと苦しめるさ」
俺は冷酷にオダマキを見下ろす。
今俺がしていることは人として許されない行為だ。相手を一方的に苦しめ、痛めつける拷問だ。
でも、俺はヒースとエリカを傷つけたコイツを許せない。
「永遠に苦しむがいい」
俺はギュッと拳を握り、オダマキの身体を見えない鎖で締め上げる。
ここは精神世界。俺とイルが支配している世界だ。好きなことが出来る。
オダマキは、恐怖と苦痛で無言の悲鳴を上げ続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます