第133話 メイドの心

 

「何度言えばわかる!? 俺のヒースに会わせろ!」


 濁った青髪のイケメンが、赤紫色の瞳のメイドに迫る。彼女は無表情だが、瞳には怒りや嫌悪の光が宿っている。職務上仕方なく元夫、オダマキ・ウンディーネの応対している。

 喉を斬り裂かれて喋ることが出来ないエリカの心の中は、罵詈雑言の嵐が吹き荒れている。

 ソファに踏ん反り返って座ったオダマキは、偉そうに元嫁に命じる。


「ヒースを呼んで来い!」


 公爵が皇女を呼び捨て。普通ならあり得ないことだった。しかし、この部屋にいるのはエリカとオダマキとその母アザミ・ウンディーネ、そして彼らが連れてきた使用人だけだ。

 皇族に敬意を感じられない態度に、エリカはギリッと奥歯鳴らす。


『姫様は体調を崩されております。今日はお引き取りください』


 エリカは怒りを押し殺し、筆談で公爵たちに告げる。オダマキは、紙を奪い取り、破り捨てた。


「いつになったら治るんだ!? 手紙を送ってもその返事ばかり! 折角我が家に歓談の場を設けたというのに! ヒースは俺と約束したぞ!」

「約束を破られて可哀想なオーディ。本当に使えない女ね」


 アザミが可愛い息子の頭を撫でながら、エリカをキッと睨みつける。

 オダマキは、先日のパーティでヒースを誘い、ヒースは即答して返事した。それ以来、オダマキはヒースに手紙を送り、家に来るように促している。が、毎回体調を崩しているから行けないと返事が返ってくる。

 そのやり取りは数日続き、とうとう痺れを切らして、オダマキが城に乗り込んできたのだ。


「顔だけはいいから私の可愛い可愛いオーディのお嫁さんにしてあげたというのに、失敗だったわね。声はキンキン響いてうるさかったし、何よりもその反抗的な目! 本当に気持ち悪い」


 息子を甘やかすアザミが、吐き捨てるように言った。ぽっちゃりとした体形に、今にも破れそうなほどピッタリとしたドレスを纏い、ゴテゴテの宝石を手や腕や首や耳につけ、右手首には豪華なブレスレット。強烈な香水が臭い。

 エリカは、湧き上がる吐き気と殺意を必死で押さえる。


「あんたの実家とも縁が作れると思ったのに、当てが外れたわ。捨てて正解だったわね。オーディはかっこよくて引く手数多だから影響はないけれど、あんたのような女を貰う馬鹿はいないわ! ただでさえ離婚した女は嫌がられるというのに、その傷があったらねぇ~。おーっほっほっほ!」

「ママ! 一応エリカとも楽しめたし、俺は結婚してよかったと思ってるよ」

「まぁ! 私のオーディは優しいわねぇ!」


 気持ち悪い親子を眺めながら、エリカは拳を握りしめる。綺麗に整えられた爪が喰い込み、皮膚を突き破って血が滲み出す。

 目の前の親子が憎い。そのバカ息子に純潔を捧げ、穢された自分が嫌になる。

 貴族の家に生まれ、政略結婚だとわかってはいたのだが、ここまで酷いとは思っていなかった。ヒースが居なかったら、エリカはとうの昔に自ら命を絶っていただろう。今ここにいるのは全てあるじであるヒースのおかげだ。


「そうよ! お見舞いに行けばいいじゃない!」

「それ、名案だよ! 流石ママだね!」

「今からお見舞いに行くわ。私と可愛いオーディを案内しなさい!」


 アザミが命令する。エリカはペンを手に取ると、怒りと殺意で思わず力が入り、ミシミシと砕きそうになりながら、紙に書きなぐる。


『今はティターニア様が看病をなさっています。お引き取りを』

「あら。丁度いいわ。挨拶できるし一石二鳥よ」

『アポイントメントも無しに、皇王妃殿下にお会いするつもりで? 公爵と言えど許されません』


 エリカはバンッと叩くように罅が入ったペンを置いた。怒りの炎を燃やし、赤紫色の瞳で、今すぐ帰れ、と無言で訴える。


「腹立たしいけどその通りね。オーディ、今日は帰りましょう」

「でも…」

「今度はちゃんとアポイントを取って、会いに来ましょう。そのほうが皇王妃殿下や皇女殿下の覚えもいいわ。男の子は紳士でいなくちゃ」

「わかったよ、ママ!」


 アポイントを取らずに姫様に会いに来たお前らが何を言っている、とエリカは心の中で叫ぶが、メイドとして顔には出さない。

 公爵親子はソファから立ち上がった。


「また来るわ」

「次こそは俺に会わせろよ! 帰ろっか、ママ!」


 従者を伴い、オダマキとアザミが部屋から出て行った。一人部屋に残されたエリカは、無表情だった顔を憤怒に染め、拳を力いっぱいテーブルに叩きつけた。血が滲んだ手に猛烈な痛みが走る。だが、怒りは治まらない。

 先代の公爵が生きていた時はアザミもオダマキも大人しくしていた。先代当主はエリカにも優しくしてくれた。彼が亡くなってしまったことが悔やまれる。

 何度も深呼吸をして、心を落ち着かせる。滲んだ血は、ハンカチで拭う。赤く爪の痕が残っているが、隠せば何とかなりそうだ。


(このハンカチは…)


 自分のモノではない男物のハンカチ。シランに借りていたハンカチだ。返そうと思ったのに再び血で汚れてしまった。また洗濯しなければならない。

 はぁ、とため息をついて、ハンカチをポケットに仕舞った。

 今回は嘘をつき通してウンディーネ親子を追い払うことが出来た。でも、長くは続かない。いずれ限界が来てしまう。


(姫様だけはあの男から守らなければならない。例え私がどうなろうとも…)


 決意を新たにし、エリカはすぐに仕事に戻る。今度はシランのお世話だ。

 主であるヒースは、ティターニアに礼儀作法のレッスンを受けている。まだしばらくは行かなくても良い。

 城の中を悠然と歩き、彼が居る部屋へと向かう。

 ドラゴニア王国の夜遊び王子。その噂はこのフェアリア皇国にも伝わっている。運動もダメ、勉強もダメ、数多の女性と遊び、夜な夜な娼館へと足を運ぶという。

 ヒースは何故かあの王子のことを知り、エリカに夢中で語りかけてきた。それはそれは嬉しそうに。初恋をした少女のように…。エリカだけではなく、皇王陛下や皇王妃殿下にも話していた。

 ヒースに変なことを教えたのは、あのイルという彼の使い魔のせいだとわかったが。

 皇王陛下から、シランが来国し、そのお世話してほしいとお願いされて、エリカは即座に頷いた。理由としては、主に相応しい相手かどうか見定めるためだ。シランの身分は申し分ない。あとは見た目と中身。今回は絶好のチャンスだった。

 最初の印象は、何の特徴もないただの少年という感じだった。顔立ちは整っているし、心地良い雰囲気を感じるが、ただそれだけだった。

 首の傷にも一切嫌悪感を抱かず、高度な魔法である念話も使う。メイドや執事、近衛騎士も彼を慕っているようだった。嫌われているというのは所詮噂のようだった。

 エリカが素っ気なく答えても、揶揄っても、彼は怒らずに楽しそう。

 もう男を信用しないと誓っていたのに、何故かペースを崩されて、彼に引き込まれてしまう…。


「よう! お疲れ様~」


 シランが居る部屋の中に入ると、微塵も王子らしくない王子がソファに座ってくつろいでいた。片手をあげて挨拶をしてくれたので、エリカは黙って頭を下げる。

 今は何も感じられないが、厩舎に行った際に、エリカは彼の本気を目の当たりにしていた。

 少しの間だけ放たれたシランの覇気。無意識に跪きたくなった。本能が、エリカの中に流れる妖精の血が、彼に従えと叫んでいた。

 能あるグリフォンは爪を隠す。まさに彼はそのグリフォンだった。いや、グリフォンどころではない。彼は爪を隠した龍だ。

 その時以来、エリカは彼から目が離せなくなった。ふと気づいたときには彼をじっと見つめている。血が熱くなる。初めての経験だった。

 シランは喋れないエリカに不快感を抱かず、心を読むヒースも恐れることはなく、いつも優しく接してくれた。

 パーティの時、自分がヒースの傍に居なかったことに後悔し、自分自身に苛立ち、シランに八つ当たりしてしまった際も、自分が悪かったとしょんぼりしていた。決して彼が悪いわけではないのに…。

 そう。シランは優しい。優しすぎる。


『エリカどうした?』

『別に何も』


 エリカは頭や心に直接響いてくる優しい声に冷たく返答する。

 シランの瞳が自分の手をチラッと見る。


『手、怪我してるぞ』

『これくらい、いつものことです』


 爪跡がついた手をサッと隠した。シランは本当に細かいところまで見ている。


『イラついているのか? 体調悪い?』

『なんですか? セクハラですか? 訴えますよ』


 何故そうなる、と顔をしかめながらも、シランの瞳には心配の色しかない。


『愚痴くらいなら聞くぞ? 喋れないから愚痴をぶちまけてストレス発散もできないだろ?』

『………物凄く口が悪くなりますよ?』

『あれっ? エリカが俺に優しい口調だったことってあったか?』


 幼い少年のように悪戯っぽい笑顔。シランの冗談。

 何故か荒んだエリカの心が癒される。そのことに、エリカは気付かないふりをする。


『……それもそうですね。では、心置きなく愚痴をぶちまけましょう』


 エリカは心の中で、盛大に愚痴を言い始める。罵詈雑言の嵐。はしたない言葉も躊躇なく言う。全て自分の心の中で言っていること。念話を繋げて聞いている方が悪い。聞きたくなかったら念話を切って、と思いながら、エリカは貴族の娘でもなく、メイドでもなく、ただの一人の少女になって、心の中で悲鳴を上げる。

 シランは嫌な顔をせず、エリカの悲鳴のような、叫びのような愚痴を全て聞いていた。

 全て言い終わったエリカはスッキリとした。でも、愚痴をぶちまけた恥ずかしさと罪悪感もある。だから、感謝とお詫びも込めて、全力でシランのお世話をする。

 エリカは、自分がシランに心を許し始めていることと、爪を突き立てた手の赤い跡が、いつの間にか無くなっていたことに気づいていなかった。

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