第三章 骸の黒姫の行進 編
第61話 捕縛
第三章
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暗闇の中、少女は一人で戦っていた。
光は一切存在しない真っ暗な闇。上下左右もわからない。自分の身体すら見ることができない。時間の流れも感じられない。
果てのない虚無の世界。自分の存在さえ闇に呑まれて消えてしまいそうだ。
その暗黒の世界で少女が一人、戦っていた。
「大丈夫………まだ……大丈夫…私は……大丈夫……だか…ら…」
何かを我慢している呟き。自分に言い聞かせるような小さな呟き。
それは口から漏れだしたものなのか、それとも心の中の呟きなのかわからない。
自分の身体の奥底から這い上がる何かを懸命に抑えている必死さがある。
少女は一人、戦い続ける。
「大丈夫……絶対に大丈夫……大丈夫だから………まだ………大丈夫……」
『本当ソウカ? 大丈夫ニハ見エナイゾ?
心の底から聞こえる悪魔の囁き。ぐらつきそうになる心を必死で保ち、少女は首を振って誘惑を振り払う。
この声に従ったら世界に厄災が訪れる。少女は本能でわかっていた。だから、少女は必死に抗い、湧き上がる力を抑え続ける。
『自分ヲ呪エ! 世界ヲ呪エ! 力ヲ解放シ、衝動ニ身ヲ任セロ! 殺セ!』
「………嫌っ!」
『殺セ! 殺セ! 殺セ! 殺セ! 殺セ! 殺セ! 殺セ !殺セ 殺セ!』
「………嫌………いや…なの…!」
眠って意識を手放すことができない少女。眠ったら最後、二度と目覚めないと理解していた。
意識を保ち続ける少女に、絶え間なく声が降りかかる。
頭がおかしくなりそうだ。
「…嫌……嫌なの…………あはは…もう嫌……」
何故私がこんな目に遭わなければならない?
何故私が辛い目に遭わなければならないの?
何故私が苦しまなければならない?
何故こんな暗闇に一人ぼっちで?
何故?
何故?
何故?
なぜ?
なぜ?
―――ナゼ?
『諦メロ』
優しくて甘い誘惑の声が心の中にスゥ~と入り込んでくる。
「…あき…ラ……める…?」
『ソウダ! 諦メロ! 力ヲ解放シテ、殺セ! 』
「力を……キャハ! こロす! ってダメ! そんなことしちゃダメ!」
闇に意識を呑みこまれそうな少女は、激しく首を横に振って意識を保つ。
一瞬でも諦めそうになった自分の心に恐怖する。
自分が自分でなくなっていく。自分が誰だかわからなくなる。自分の意識が喪失していく。
曖昧な少女は必死に自分に言い聞かせ続ける。
「私ハ…大丈夫………大ジョウ夫……大丈夫だカら………ダいじョうブ…」
時間がわからないこの世界で、少女は何百年も戦い続けてきた。
限界は近い。意識を保つので精一杯だ。力を完全に抑え込むことができない。自分の身体から溢れ出し、世界に解き放たれるのを感じる。
「誰か……誰カ……お願い…お願イダカラ…」
壊れそうな少女は、暗闇の中で必死で願う。
―――お願い誰か! 私を殺して!
悲痛な叫びは誰にも届かない。
叶わない願いが音のない虚無の世界に消えていく。
死ねない少女は嘆き続ける。自分が消えるその時まで。
▼▼▼
夕暮に染まる王都の街。俺の住む屋敷も夕日に照らされてオレンジ色になっている。
まるで屋敷が燃えているかのようだ。幻想的な光景。
その神秘的な雰囲気の屋敷に、怒りに燃える少女の怒号が響き渡る。
「シラン! 今日という今日は許さないから! 待ちなさい!」
俺の幼馴染であり、数週間前に婚約者となったジャスミン・グロリアだ。
短い金髪を煌めかせ、
彼女が怒りの形相で追いかけているのはもちろん俺、ドラゴニア王国第三王子シラン・ドラゴニアだ。
住み慣れた屋敷の中を必死で走って逃げている。
「こら! 待ちなさい!」
背後からジャスミンの声が近づいて来る。早く逃げなければ!
何故ジャスミンに怒られて追われているのかというと、婚約してからも毎日娼館に通っていることがバレたからだ。
まだジャスミンには暗部のことは言っておらず、コソッと通っていたのだがバレバレだったようだ。
暗部は父上である国王直属の諜報暗殺部隊だ。それを率いているのが俺だ。
暗部の本拠地は娼館である。だから俺は毎日娼館に通っている。
血生臭いことを知られて欲しくないからジャスミンには黙っているのだが、ただ女遊びをするために娼館に通っていると思っているジャスミンは大変ご立腹だ。
またやってる、という使い魔たちのほのぼのとした視線を受けながら、俺は屋敷の中を逃げ続ける。
そうだ! 地下へ行こう!
地下は俺の使い魔たちの仕事場が多く存在し、その部屋のために時間と空間が歪んで迷宮と化している。時折変化して、俺でも迷うことがある場所だ。
ここまで来れば大丈夫のはずだ。
「見つけたわよ、シラン! 大人しく捕まりなさい!」
「うげっ! 何故バレた!?」
ふぅ、と安堵の息を吐いていたところに、我が美しき婚約者様が怒りの形相で現れた。
慌てて逃げ出し、再び追いかけっこが勃発する。
時折、迷宮を利用して姿を隠すのだが、ジャスミンは正確に俺の位置を把握しているらしい。あっさりとバレてしまう。
本当になんでだ!? なんかのマーカーを付けられていないよね!?
「コラ! 待てって言ってるでしょうが!」
「嫌です!」
「私たちじゃ満足できないって言うのっ!?」
少し悲痛なジャスミンの叫び声に思わず心が痛くなる。
婚約した後、俺はジャスミンとリリアーネの二人に迫られて関係を持ってしまった。
俺の使い魔たちを味方につけたらしい。ベッドに潜り込まれて、逃げられませんでした。
それから毎日愛し合っている。二人には満足している。とても可愛い。
でも、俺は仕事で娼館に行かないといけないのだ。
「満足はしている! でも、俺は夜遊び王子を演じないといけないの!」
「国王陛下からの命令ってことは知ってるけど、行く回数を少し減らしなさいよ! このバカ!」
空気の弾丸が俺を掠めて飛んでいく。
うおっ! 危ねっ! あと少しで当たるところだった。
俺は地下の迷宮を飛び出し、屋敷の二階へと上がっていく。
背後からジャスミンが猛然と迫ってくる。
咄嗟に、俺は近くの部屋に飛び込んだ。
その部屋は、壁一面緑の葉っぱで覆われ、あちこちに珍しくて綺麗な花の植木鉢が置いてある植物園みたいな部屋だった。
ノックもせずに突入し、床でセルフ緊縛祭りではぁはぁしている部屋の主を踏みつぶし、窓に手をかける。
「おほぉぉぉおおおおおおおおおおお♡」
痛みで快感に襲われ、艶やかな嬌声を上げているドМの変態のことは無視をする。関わり合いになりたくない。
「あひぃぃぃいいいいいいいいいいい♡」
無視された雌豚は、それはそれで快感に襲われビクビクと痙攣している。子供には見せてはいけない顔をしている。いや、こいつは存在自体を見せてはいけない。存在が18禁だ。
バタンとドアが開いて、ジャスミンが突撃してくる。
勢いあまって床に寝そべる物体を蹴り飛ばした。
ドМのケレナは気持ちよさそうな喘ぎ声を上げながらゴロゴロと転がり、バンッと壁にぶつかって止まる。あまりの快感で白目をむいてガクガクと痙攣している。
「しゅごいのぉぉぉおおおおおおおお♡ あへぇ~♡」
身体の穴という穴から粘り気のある透明な世界樹の体液…ではなく、樹液を垂れ流して水溜りを作っている。
ジャスミンは18禁の存在を一瞥すると、華麗に無視して俺を睨みつける。
「シラン! 大人しくしなさい!」
「嫌だ! なんでジャスミンは俺の居場所がわかるんだ!」
「昔から何となくわかるのよ! 愛の力よ! ………………ちょっと待って。今のなし」
ヤバい。ジャスミンが可愛すぎる。
真っ赤になってもじもじと恥ずかしがるジャスミンに思わずキュンとしてしまった。
今すぐ押し倒したくなるが、グッと我慢する。
ジャスミンが油断した隙を狙って、窓を開き飛び降りる。
「あっ! 待ちなさい!」
背後からジャスミンの大声が聞こえるが、もう遅い。俺は飛び降りた後だ。
地面に着地して逃げるだけなのだが、俺の着地地点にニッコリと立っている美女がいた。
「リリアーネ! シランを捕まえなさい!」
「はい!」
俺のもう一人の婚約者のリリアーネ・ヴェリタスだ。
黒髪で清楚なリリアーネが、
降ってくる俺を抱きしめるように両手を広げた。
「リリアーネ! まさかっ!」
「はい。私もシラン様の居場所が何となくわかるので、先回りさせていただきました」
「くっ! こうなったら!」
俺は魔法を発動させる。落下していたからだが重力に反して上昇していく。
ふはははは! 魔法って便利だ! 空中へ逃げれば誰も追いかけられまい!
「シラン! 待ちなさい!」
「ふぁっ!?」
思わず口から変な声が出てしまった。それくらい驚いた。
俺の視線の先にいるジャスミンが空を飛んでいるのだ。風を身体に纏い、虚空を蹴って空中へと飛び上がってくる。
嘘! 王国の魔法使いでも無理な芸当だぞ! 何故ジャスミンが空を飛べる!?
『あっ、報告が遅れました。ジャスミン様は空を飛べますよ』
『はぁっ!?』
頭の中に使い魔のソラの声が響き渡った。驚きで俺の身体が止まってしまう。
『我らご主人様の使い魔と時折訓練をしているのですが、彼女たちの才能は桁外れでした。人間ではあり得ないほどです。みるみるうちに成長しています。お二人は本当に人間なのですか?』
『どう見たって人間だよ!』
「隙あり!」
俺に追いついたジャスミンが、空中で器用に一回転し、容赦ない蹴りを叩きこんでくる。
咄嗟に腕でガードをしたが、威力を抑えられず、地面へと叩きつけられた。
受け身を取ってダメージは軽減することができたので、跳ね起きて逃げ出そうとしたが、足が動かず再び倒れ込んだ。
「うぎゃっ!? あ、足が! なんだこれは!」
いつの間にか両足首が紐でグルグル巻きにされていた。
紐の端を握っているのは、ニッコリと微笑むリリアーネ。地面に降り立ったジャスミンとハイタッチをする。
『あっ。リリアーネ様は暗殺術に物凄い適性を持っています。ハイドやネアが嬉々として教えていましたよ。最近では操糸術を修得したようです』
『手遅れの情報をありがとう、ソラ。わざと遅れて言ったな?』
『ふふふ。どうでしょうね?』
揶揄い口調のソラが念話を切った。
その隙に、俺は紐でグルグル巻きにされる。
婚約者二名は満足げだ。
「こんな紐、引き千切ってやる! ………あ、あれっ? 切れない。魔法は…発動しないだと!? どうなっている!」
「シランの使い魔のソラから貰った紐よ」
「使い魔用お仕置き緊縛縄らしいですよ。シラン様にも対応する特別仕様だそうです。シラン様用お仕置き緊縛縄です」
「ソラさん!? 何やってるの!」
念話でも問いかけるが、ソラからの反応はない。
くそう! 俺の味方はいないのか!
使い魔たちは俺に対する悪戯が好きだからなぁ。後でお仕置きしよう!
俺はグルグル巻きにされながら、ジャスミンとリリアーネに引きずられて屋敷の中に運び込まれる。
「さて。バカも捕まえたことだし、お仕置きしましょうか」
「そうですね。今日はシラン様を逃がさないように、私たちも頑張らないといけませんね」
「私たちを喜ばせる技術だけは超一流なんだから…ムカつくことに」
「でも、沢山愛されているのは感じますね」
「うぅ……だからムカつくのよ!」
声は怒っているのに嬉しそうな二人に引きずられていく。
誰か助けてくれー!
使い魔たちに助けを求めても、俺の言葉は無視され、ジャスミンとリリアーネを助け始める。
婚約者二人と使い魔たちに運ばれた俺は、時折身体を角にぶつけながら寝室へと消えていくのだった。
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