第14話 挙動不審

今日の葉月は顔付きが険しい。

にらんでくるというわけではないが、電車の中でも難しい顔をしてチラチラと視線を向けてくる。

いつものように、あからさまに視線をらさないのは嬉しいものの、何か悩みでもあるのかと心配になる。

「アイツ、何かあった?」

美澄に訊いてみる。

夏服に変わって、白いブラウスが眩しい。

美澄はふるふると首を振ってから、少し悪戯っぽくニッコリ笑う。

その笑みの意味するところはたぶん、行ってきたら? だろう。

「骨は拾ってくれ」

ウェットティッシュで手をぬぐってから、俺は席を立った。

近付いてくる俺に気付いた葉月は、鞄を胸元に抱えて身構える。

防御態勢に見えるが、ほんのちょっとだけ、胸をときめかせて緊張する乙女? に見えなくもない。

「葉月」

「な、なに?」

拒絶する様子は無い。

「何かあったのか?」

「ど、どうして?」

わずかに、首をかしげる。

それが和くんと呼ぶときの仕草を思い出させて、胸がちくりとする。

「いつもと違うから」

「どこが?」

「雰囲気? 上手く言えないけど、何か話したいことがありそうだったから」

葉月の視線が足下に落ちた。

落ち込んでると言うよりは、咄嗟とっさに顔を隠したように見える。

「べつに何も──」

葉月が顔を上げかけたのと、電車が急ブレーキをかけるのが重なった。

「きゃっ」

「あっ!」

甲高いブレーキ音が鳴り響いた後、停車した車内が静寂に包まれる。

……え?

有り得ない光景。

葉月の右手は俺の左腕を掴み、左手は俺の胸元にあった。

俺の右手も、葉月の左肩を支えていた。

一瞬、お互いが目を合わし、その距離に戸惑って思考が追い付かなくなる。

次に取るべき行動を、頭が導き出してくれない。

鹿が線路を横切ったため、という呑気のんきな車内アナウンスが流れた。

「なっ!」

先に我に返ったのは葉月だった。

瞬時に俺から離れると、今の出来事が信じられないとでも言うように、俺に触れた自分の手を見つめていた。

でも、葉月が次に取る行動は判る。

鞄からウェットティッシュを取り出して手を拭うか、除菌スプレーを自分にかけるかだ。

「ご、ごめん」

え? あれ? 何が?

あ、咄嗟に掴まったからか? いや、でも……。

「だ、大丈夫?」

続けざまに意表を突く言葉。

葉月こそ大丈夫なのか? 

「し、鹿が心配よね」

え? 大丈夫って、そっちか?

「……使う?」

鞄からウェットティッシュを取り出す。

何でだ?

ウェットティッシュを取り出したのは予想通りなのに、使う目的が予想に反している。

というか、全く意味が判らない。

ウェットティッシュを受け取ったとして、俺はどこに何のために使うというのか? 車内清掃?

……そうか、まだ葉月の頭は混乱しているに違いない。

俺が何も返事を出来ずにいると、葉月は何かの限界に達したようで、

「もういいから席に戻って」

と言って、俺の肩を押した。

──え!?

さっき以上の驚愕。

受動的であるか能動的であるかの違い。

「~~~っ!! いいから戻って!」

俺に怒っているような、自分に怒っているような、よく判らない取り乱し方で声を荒げる。

俺も、単純に喜んでいいものか判らないまま席に戻る。

葉月はもう俺の方を見ない。

美澄はずっと、ニコニコしていた。 


葉月の様子がおかしいのは、学校に着いてからも変わらなかった。

授業中に突然、振り向いてきたりする。

表情は、やっぱり険しいままだ。

電車でのことを怒っているのかとも思ったが、睨んでくる訳ではなく、何か言いたげにも見える。

かと思いきや、いきなり机に突っ伏したりする。

常に正しい姿勢で黒板を見ている葉月に有るまじき授業態度だ。

俺は俺で、まだ動揺している。

葉月の肩に触れた右手を、何度も閉じたり開いたりする。

最後に触れたのはいつだったか思い出せない。

ついさっきの感触も、まるで夢だったみたいに遠くなりそうで、出来ればペンさえ持ちたくない。

触れられた場所も、熱を持ったように意識される。

もしかしたら葉月は、俺に触れた場所を消毒したくて落ち着かないのかも、などと考えもするが、その割にはその右手で頬杖ほおづえをついたりもするし、その左手を右手で包むような仕草も見せる。

訳の判らないまま、午前の授業を終える。


机の上に弁当箱を広げると、また葉月が振り返った。

やはり険しい表情で、何かの決意すら感じさせる。

「か、かじゅ──」

「果樹?」

睨まれた。

俺が悪いのだろうか?

しばらうつむいていた葉月は、再び意を決したように、きりりと目力を強めた。

何か言いたいのだろうし、俺はどんな言葉でも、それこそ悪態であっても受け入れるつもりで柔らかに笑って見せる。

「~~~っ!」

また俯いた。

あ、また顔を上げた。

今度はキッと鋭い視線で俺を射抜こうとする。

それほどまでに言い難いことなのだろうが、覚悟は出来ている。

さあ来い!

「きゃじゅ──」

……今度は変換不可能だ。

「どうかしたのか?」

葉月は口惜しそうに唇を噛み締めると、まるで反抗期の子供みたいな目で俺を見た。

「もうほっといて!」

「……」

凄く理不尽な気がしたけど、俺が傷付くようなことは無かった。

何があったのか判らないけれど、嫌悪や痛みが葉月をさいなんでいませんように。


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