ドイツ、歴代首相で辿る戦後史

北風 嵐

第1話 はじめに

初めに


戦後ドイツの首相はアデナウアー(CDU―ドイツキリスト教民主同盟)、エアハルト(CDU)、キージンガー(CDU)、ブラント(SPD―ドイツ社会民主党)、シュミット(SPD)、コール(CDU)、シュレーダー(SPD)、メルケル(CDU)と8名しかいない。

それに対して、日本はなんと34人(一番短いのが宇野69日、長いのが佐藤栄作2798日)の首相である。


『戦争と革命』シリーズでドイツ革命(帝政ドイツの崩壊)からワイマール共和国をへてナチス(第三帝国)までを書いた。8人を辿ればドイツの戦後を描き出せるのではないかと思った次第。日本?34人、到底、無理(笑)。


日本とドイツはあの大戦で敗北し、瓦礫と廃墟から見事に復興した共通の歴史を持つ。また、どちらも経済大国、技術大国として世界から認知されている。

終戦の日、日本は8月15日、天皇の玉音放送を一斉に経験したという神話が作りだされた。一応、5月8日がその日になっているが、ドイツにはその日がない、ヒットラーは無条件降伏を拒否し自殺した。連合軍によって進駐され解放された日が終戦、それぞれの町、都市、地域によって違った。

 ベルリンを陥落させ、ナチス帝国を倒したのはソ連である。連合軍でも米英仏はそれぞれの都市で解放軍として歓迎されたが、ソ連軍は必ずしも解放軍としてみなされていない。ヨーロパ大戦の中における東部戦線の比重は圧倒的に高く、それ故に独ソ戦は過酷な戦いであり、その犠牲も考えられないほど大きいものであった。


 日本は戦争の終わりの頃、満州でソ連軍の侵攻を受けただけで、ほとんどソ連とは戦っていない。戦後日本はアメリカ一国の占領であったが、ドイツは米英仏ソの分割占領であった。東西の体制の違いが明確になって、ドイツは分断国家となった。日本とドイツにはそういう違いが存在する。


『先に知っておくと便利なドイツ政治制度の特色』


CDU、SPDによる2大政党による政権交代が行われています。どちらも勢力が伯仲していて単独で過半数を取ることはありません。それで第3党を加えた連立政権となり第3党がキャステイングボートを握ります。自由民主党(FDP)や緑の党がこれになります。時にはCDU、SPDの大連立(過去2回)が行われました。


連邦制

連邦制をとっていて16の自治権を持つ州によって構成されています。その自治権限は強い。各州はそれぞれの財源を持ち、日本とは格段に違い、行政分野においても各州は広範な権限を有します。


参議院(総票決数69)

この自治権を担保するのが、ドイツの参議院です。非常に特徴的です。16州ある各州政府の意思を連邦政府の政策に反映させる議会と考えて下さい。議員は選挙で選ばれません。各州政府が人口に応じて決められた票決数(4~6)の代表者(普通州首相や大臣)を送ります。州に関連する連邦法案の審議に限定されますが、国政に参加できるのです。そのような法案には参院の同意が要るのです。「州に関連する法案」とされるものの比率は過去事例では平均40%ほどです。連邦で与党であっても、16州の多くが野党に握られていたら、国政がスムーズに進みません。州の議会選挙の重要度が日本とは格段に違うのです。このようなユニークな参議院制度は、統一前のドイツが領邦国家で各領邦の議会という歴史的背景が考えられます。日本では地方政治の首長選では無所属が圧倒的ですが、ドイツでは政党政治が貫徹されています。


第2衆院と化しているとされる日本の参院改革に何か参考になりそうですね。その前に地方自治(道州制とかの)の思い切った改革が必要だと考えます。


ドイツの選挙制度

連邦議会(基本定数598)は小選挙区比例代表併用制をとっています。並立制の日本と異なり、議席配分は比例代表で各党が獲得した票数に基づく。比例で得た議席数から、全299の小選挙区の当選者の数を引いた数が、各党の名簿上位から選ばれます。小選挙区の当選者数が、比例で得た議席数を上回った場合は超過議席として認められる。だから、598を超すこともあるのです。


「5%条項」

(1)比例で5%以上を得票する(2)三つ以上の小選挙区で勝利する、のいずれかを満たさなければ、政党は議席を得られません。ワイマール期、小党が乱立して政治が不安定化し、ナチスの台頭を招いた反省から生まれたのです。


議院内閣制

連邦も州も議員内閣制度を採用しています。日本の知事が直接選挙で選ばれるのとは違いますね。ドイツでは間接選挙制度を多く取っているのは、ヒットラーが国民投票を独裁、侵略戦争に使ったことの反省の上に立っています。


議会の解散

日本では議会の解散は、衆議院において内閣不信任案が可決され(憲法69条)か、憲法第7条による解散です。実際の解散例をみると第 69条に基づくものは少く,ほとんどは第7条に基づくもので,解散権は総理大臣の特権事項とされる所以です。

ドイツでは任期満了か〈建設的不信任〉でしか首相は交代させられません。『建設的不信任決議』とは次の首相を選んだ上で責任をもった不信任決議をしなさいと云うことです。戦前のドイツで内閣不信任案が乱発され、倒閣のための倒閣が繰り返されたことで安定した議会政治が営めなかった反省に立っています。

しかし、ドイツ連邦議会に解散がないわけではありません。与党側が信任案を出してそれを否決(与党議員は棄権に回ります)して、首相候補を立てない場合です。過この事例は2回しかありません。


大統領

議会が選出します。大統領は国家元首とされていますが、儀礼的存在で、その権限は「中立的権力」に留められています。これは、ヴァイマル共和政下において(大統領の緊急命令権)が認められていて、ヒンデンブルク大統領が内閣を次々に入れ替えた結果、政治が不安定になり、最後にはナチスの権力掌握を許してしまった歴史への反省が反映されたものです。

しかし連邦議会での連邦首相に対する指名選挙が3回に及んでも統一見解を得ない(過半数が取れない)場合、連邦議会を解散するか、大統領権限によるいわゆる少数与党政権を任命することが可能と、議会が混乱したときの最終権限を持ちます。


ドイツの主な政党

2017年9月現在連邦議会に議席を持つ。

■ドイツキリスト教民主同盟(CDU) - ワイマール共和国時代におけるカトリック政党である中央党の流れを汲む中道右派のキリスト教民主主義政党。与党として首相を輩出してきた。党員数: 43万4000。

*バイエルン・キリスト教社会同盟(CSU) - ワイマール共和国時代における地域政党であるバイエルン人民党の流れを汲む保守主義政党。CDUと統一会派を構成し、バイエルン州で活動する。14万4000。

本当はCDU/CSUと書かねばならないが、連邦議会では一体として活動しているので特別な場合を除いてCDU表示される。


■ドイツ社会民主党(SPD) - 19世紀からの伝統を持つ、戦前は社会主義を唱える労働者党。議会を通してそれを実現する主流派と革命でそれを成し遂げる急進派とが存在した。戦後は中道左派の国民政党となってCDUに対抗し、政権を担う勢力になった。43万6000

■自由民主党(FDP) - 自由主義政党。1949年以来長らく連邦議会のキャスティング・ボートを握る「要の党」としてCDU/CSUないしはSPDと連立政権を構成した。2013年の連邦議会選挙で阻止条項を下回って連邦議会における全議席を失った。2017年の連邦議会選挙で議席を回復。5万4000

■同盟90/緑の党- 環境主義政党緑の党と旧東ドイツにおける民主社会主義政党同盟90が合併して成立した中道政党。1998年から2005年までSPDと赤緑連合を構成した。6万1000

■ドイツのための選択肢(AfD) - ユーロ圏離脱を掲げ、2013年に結成した。2017年の連邦議会選挙で議席を獲得。極右とも呼ばれる。2万5000




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