思い付き短編集
もかめ
第1話『公園』
「今日も上手く行かねぇなぁ」
そう呟いた彼は、缶コーヒーを片手に持ち、スーツという出で立ちだ。
「辛いなぁ……」
彼はそう言って少し
コトン、という音が、人気の無い住宅地に反響した。
彼は呆然とした表情で缶が入ったのを確認すると、肩を
そんな彼の姿は、傍から見ても、
彼は今日、仕事で失敗を冒した、と言えば語弊がある。
何も彼のミスでは無い、なのに新人だからと言う訳も分からぬ理由で上司のミスを被せられ、他の人から指摘を受ける。
それも毎日の様に続く為、次第に指摘する先輩方の指導は厳しいものとなっていく。
上司は、彼の状況を見て、ほくそ笑む。
自分が何か手柄を立てた時は、上司が根こそぎ持っていく。
唯一彼が勇気出し、相談しようにも『新人』と言う紛れも無いレッテルが、彼に二の足を踏ませた。
何の因果で、彼を
他者の考えなど、
――仕方無い、
いつ叶うかも分からぬ淡い思いに縋り付き、自分自身に対し、
いや、そうでなければ精神的に保つ事が出来なかったのだろう。
次第に彼のそんな取り繕ったものは、
彼はそんな今の状況に心身共に、疲れ果てていた。
恐らく限界が来たのだろう。
「もう…無理だ…」
背中を丸め、吐息混じりにそう言葉を漏らした。
その時、彼は歩みを辞めた。
彼の足を止めさせたのは、線路脇にある公園のブランコだ。
「なるほどな…ドラマの主人公の気持ちが少し分かった様な気がする」
先程と比べ、少し苦笑いする様に呟いた彼は、ブランコに歩み寄り、足元に鞄を置いた。
「久しぶりのブランコもいいものだな…」
ゆっくりと揺らしながら、彼は感傷に浸った。
自分が何故、
彼はそんな事に思いを巡らせると、不意に一筋の涙が頬を伝った。
「辛い…」
そんな中、黒いスーツに身を包んだ人物が、彼に話し掛けてきた。
「すみません、貴方…お悩みの様ですね?」
唐突に話し掛けてきた男性は細身で、黒縁の眼鏡を掛けている。
眼鏡も相まってか、知的な雰囲気を醸し出しているが、何処と無く男性も少しばかり元気が無い様に見える。
「え!?」
「何かお辛い事でもあったのでは?」
彼の驚きなど意に介さず、まるで見透かした様に男性は彼に言った。
尋ねられた彼は、今までの事柄を全て男性に話した。
それは余りにも耐えかねていたにも関わらず、自分自身を欺き続けた辛さからだろう。
誰かに聞いて欲しかった。
親には心配をかけまいとして、空元気で返事を返し、彼の悩みを聞いてくれる相手など誰も居なかった。
「辛かったでしょう」
「うぅ…」
彼の
それに合わせるかの様に、
「その場合、辞めても良いんですよ。貴方は充分苦しみました。会社を辞めて、これからは自分を大事にして下さい。逃げる事は何も恥ではありません。時には逃げる事も大切な事です」
そう言って、男性は彼に微笑んだ。
「ありがとうございます…ですが…貴方は一体誰ですか?」
話を聞いて貰ったお陰か、少し明るい表情に戻った彼は、男性に尋ねた。
「私ですか?そうですね…ただの逃げ遅れた人ですよ。そのお陰で随分と人生を損しましたがね…」
「そうだったんですか…ですが、貴方もその様な会社を辞めれて良かったですね…」
「えぇ…」
彼の言葉に、男性は静かに微笑むと、
ではまた。
と言い残し、男性は去って行った。
気付けば雨は止み、男性は先程と比べ、どこか爽やかな表情少し浮かべ、
先程の曇り空は消え、夜空の中に煌めく星達が、まるで彼の気持ちの変化を祝うかの様に輝いている。
――翌日――
彼は上司に直接、退職届を突き付けた。
「ふん、辞めるのか?」
椅子にふんぞり返った小太りの上司は、片手で白い封筒を引き寄せると、じっくりと眺めている。
「辞めます」
「残念だ…君の様な素晴らしい人材には是非残って欲しかったがなぁ…」
まるでヘドロの様に、ねっとりと絡み付くような上司の嫌味に、彼は表情を変えずに、ただ真っ直ぐと上司を見詰めている。
暫しの沈黙の後、彼は上司に言い放った。
「今までありがとうございました」
彼は踵を返し、部屋を出る直前に、上司が独りでに、言葉を漏らした。
――てっきり彼の様になるかと思ったが――
ドアノブを掴んだ状態で、彼の動きは固まった。
これ以上、上司と会話をするのも嫌だったが、最後に興味本位で彼は尋ねた。
「彼の様にとは?」
「ふん、もう辞めた君には関係ない話だ。去りたまえ」
最後の最後まで、不快な思いさせる上司に、苛立ちから、彼は勢い良く扉を閉めた。
――――
いつもと変わらない帰路、唯一違うのは、もうこの道を歩く事など無い。
彼は、最後に言われた嫌味よりも、あの会社を辞めれた事から来る嬉しさからか、軽やかに足を進めていた。
彼は踏切の隣にある公園で歩みを止めた。
「あの人…結局誰だったんだろうか…」
暫し眺める彼は、そんな事を思い出し、言葉を漏らした。
彼は眺め終えると、再び歩みを進めた。
けたたましく鳴り響く遮断機の音を、気にもとめず、普段通り電車が通り過ぎるまで、彼はポケットから携帯を取り出すと、画面を覗いた。
すると、足元の脇に何か視界に入るものがあった。
彼は携帯から、視線をそこにあるものに移した。
花束だ。
最早
乾燥し、美しく咲いていたであろう花は所々枯れ散っている。
彼は呆然と花束を見続けている。
いつの間にか、遮断機が上がっていた事に気付くと、花束から前に視線を向け、彼は再び歩き始めた。
――――
それから暫く経った春の日の事、彼は満員電車に揺られる中、彼は新しい職場へと向かっていた。
何気なく車窓から外を眺める表情は、何処と無く晴れやかな表情を浮かべている。
以前の職場の踏切に電車が差し掛かった時、彼は少し微笑んだ。
微笑む彼の視線の先には、舞い散る春の桜に勝るとも劣らない、美しく咲き誇る真新しい花束が、手向けられていた。
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