END-21
ジッポが紙巻を咥えたのを、細剣を片手にデュポンは目を
察するにあれが、奴の魂魄功術が強化された種。紙巻に仕込んだ薬物を火で燻して吸引する仕組みだろう。
そこまで看破しておきながら、デュポンの足取りは変わらない。
ぎらりぎらりと、デュポンの歩調に合わせてレイピアが剣光を照り返す。その道すがらに、ウイングチップの爪先が硬い物を踏み付けた。
足を上げて確かめるまでもない。クロームメッキのオイルライター。最前、もんどり打った弾みにジッポが落としたものだ。
爪先を蹴って、明後日の方向へライターを蹴り飛ばす。もう奴に、紙巻へ火を着ける手段はない。
引導を渡す。もう、あの女の残響に煩わされる事もない。そう思った矢先に、シュボッ——と遠い昔に聞き慣らされた摩擦音を耳にする。
聞き違えようはずもない。マッチの頭薬を、ジーンズ生地へ擦り付ける擦過音。
かすかに甘い桃木の香りが、鼻を撫でる。
「なぜ、お前が……」
デュポンの鉄面皮が、瞠目をあらわにする。
ジッポが口許に咥えた紙巻へ火を点したのは、桃木を軸木に使ったマッチ。それは、生前の黄燐が愛用していたものだ。
何故ジッポが、それを手にしているのか。その由縁を、デュポンは知らない。
先日の墓参り、墓前に備えるシガリロへ火を着けるのに使ったこの桃木のマッチを、ジッポはずっと懐へ忍ばせていたのだ。
今すぐに、あの火を根絶やしにしろという念と、うすく甘い桃木の香りを忍ぶ感情が、デュポンの心中に葛藤を産み、剣柄を掴む指先が白む。
余剰な力を込められたレイピアの剣先が、
感情の渦をはらわたに呑み込もうとするデュポンとは別に、禁断の分水嶺を超えて四本目の劇薬を喫したジッポは、致命的なタガが外れて、命の源泉が止めどなくこぼれてゆくのを自覚した。
直火に置いた鍋の水が滾るように、活力は沸く。だが限度を忘れた肉体は、過剰な火力に掛けた鍋から湯が吹きこぼれるように、魂魄を流出してゆく。
もう、それを留める術はない。深刻な域に達した内傷は、タガを完全に破壊してしまった。
前に道はないという詩があるが、今のジッポには、後ろにさえ道はない。退く道は、失われた。留まる選択も、眼中にはない。
ならば、進むだけだ。たとえそこが、崖淵の先だとしても。そこに道があると決めたなら、迷わず踏み出す。ジッポという男は、そういう風にできている。
火の消えたマッチを、ぴん——と指先で弾き飛ばす。桃木の燃え差しは放物線を描いて、立ち尽くすデュポンのかたわらを過ぎ去った。
流し目でそれを見送ったデュポンは、眼力を込めた視線をジッポへ突き刺すと共に、刺剣の剣先を持ち上げる。
「立て」
その剣運びにはもう、無機質な死神の気配がない。やはりこの男を狗のように殺したところで、全ての決着は着かないのだ。
全霊の力を注いだ死闘の上で、トドメを刺す。そうでなければ、決別にはならない。
後ろにできた道など、必要ない。目的へ向かって邁進するだけの足掛かりさえあれば、振り返る以外に使い道のない道程など、必要ないのだから。
「簡単には死なせん。お前はこの俺が、手ずから殺す」
この男と自分とを結ぶ因縁というものがあるのなら、それを裁つ。
「やれるもんかよ、お前に」
デュポンの殺気を受け止めながら、ジッポはおもむろに身を起こす。
「俺は、ここで停まったりはしねえ」
ぎしり——と床を軋ませながら、彼は立ち上がった。デュポンの殺気へ応えるより前に、その視界へ眠ったままのリュィを捉える。
「停まれば、アイツの中にある俺のカケラが消えちまう。そう考えただけで、ひどく、たまらなくなるのさ」
だから、停まらねえ。そうつぶやきを発するや、ジッポは指先に執ったマッチの頭薬を、フィールドジャケットの生地へ擦り付ける。
火花が奔り、デュポンを狙う。
「
舌に染み付いた一声を発すると同時に、デュポンもまた手許のガスライターを弾いた。
焔光が散りゆこうとする間際に、デュポンは鋭く踏み込んだ。この闘争の幕開けと状況が似ているが、今のデュポンは武装している。
攻撃力、防御力、リーチ全てにおいて、アドバンテージがある。
狗のようには殺さない。そう決めたからといって、その有利を放棄するほど、デュポンは自分へ陶酔してはいない。
ここで、殺す。
終止符を刻まんとする決殺の一刺を、まだ視界の晴れぬ内から突き入れる。
剣柄に手応え。
剣先がフィールドジャケットの布地を貫く手応えを、確かに掴む——が、それだけだ。血肉を穿つ、湿り気を帯びた感触が得られない。
剣柄へ伝うのは、軍用ジャケットを突き刺す、乾いた手応え。のみならず、剣を引こうにも何かにギチリと絡み取られたように動かない。
焔の残滓が宙に溶ける。
余韻にゆらめく陽炎の向こうに現れたのは、ミリタリーシャツを身に付けたジッポの姿。
肩に掛けていた上着のフィールドジャケットを脱ぎ払い、ジッポは生地を貫いたレイピアをジャケットで巻き取ったのだ。
引き抜けぬなら、裂き切ろうと試みるも、それすら叶わない。刺突へ特化したレイピアの刃は、細身の剣身を頑強に保つため、さほど鋭くはない。さらに、フィールドジャケットは防刃仕様でないとはいえ、軍用装備だけあって生地は分厚く、ひどく丈夫だ。
加えて、M51フィールドジャケットは初期ロットこそ、完全な木綿繊維で織られているが、後期生産品はナイロン繊維が編み込まれている。
ナイロン——石油系の化学繊維となれば、金の気による補強が可能だ。
まんまとデュポンの得物を巻き取ったジッポは、ジャケットの両袖を左右の手で掴み、万力を込めて絞りながら重心を後ろへ引いて、レイピアを奪い取る。
そのままの勢いで、ジャケットごと剣を後方へ投棄。我が手に得物を執ろうと欲目は出さない。欲をかけば、隙になる。
互いに徒手空拳。この状況に持ち込めただけで、良しとするべきだ。
「……仕切り直しだ」
ジッポとデュポン、それぞれの手許にあるのはマッチ箱とガスライター。火葬屋御用達の発火器具のみ。
どちらも、手許から離れた刀剣には目もくれない。
「抜かせ」とデュポンの一声。
仕切り直しと嘯いたジッポも、すでに終幕がすぐそこまで迫って来ているのを自覚していた。
転々と床を濡らす血痕が、二人が負ったダメージのほどを物語っている。
両者共に、全力で戦闘に臨める時間は残り少ない。
左腕の出血はすでに治まっているとはいえ、デュポンの失血量は著しい。
ジッポもまた、昂奮剤の
互いの身体が戦闘に耐え得るのは、もうわずか一度限り。
決着の時は、間近。
「もう、うんざりだ。これで終わらせる」
あの女との因縁の全てをと、デュポンが宣言する。
「やってみろ」
この俺の道を截てるものならと、ジッポが応じる。
最後の最後、最終決着を前にして、二人の構え《スタンス》はオンガードポジションへと帰結する。
この状況、この局面。己が命運を託す事のできる武器。二人のジークンドー遣いが、武器庫の中から薬室へ込める弾薬を選択するのには、一瞬の迷いすらも必要とはしなかった。
撃発。
次の刹那、二人の肉体から発せられるは、電光石火の凶弾——ストレートリード。
闘争の幕開け、その再現。
だが同じ場面で、全く同じ拳を打つほど、彼らは温くない。
拳筋を、火花が灼く。
拳を打つのに先んじて発したデュポンの蒼い火が、拳銃のレーザーポインタのように、拳筋が辿るよりも速く、ジッポを狙う。
軌道は再び、胸郭を撃つ——と思わせて、標的を急変。跳ね上がった火花が、ジッポの目許へ向かって奔る。
目眩し。いや、爆圧で眼球を叩き潰す目論みの、苛烈な火。
ジッポは、身を躱さない。わずかばかり首を傾けて、拳の照準、そのために必要な右眼だけを逸らす。
火花が炸裂。
左眼窩を爆圧が叩き、左眼球が柘榴のように爆ぜ割れる。
凄まじい眼痛、のみならず視界の左半分が閉ざされる。だが、いかな障害もジッポの眼中にはなかった。
二天一流、三つの先。
懸の先、待の先に続く三つ目の先こそが、
躰々の先にまず肝要なのは、捨て身の精神だ。捨て身とは、捨て鉢になるのとは違う。捨て身とは、死中に活を拾うという心構え。
左眼を潰されようとも、ジッポの右眼は光を失わず、ただ前を見据える。
捨て身の精神とは別に、躰々の先、その要訣となるのは、敵の拍子を崩すという事だ。
ジッポとデュポン、二人のストレートリードは、威力、速度において同等。そのまま撃ち合えば、開幕時の焼き増しになる。
ストレートリードの要訣は、数えて三つ。
腰の捻転、肩関節の伸長、足運びによる重心操作だ
この三つの要訣が、ストレートリードのパワーとスピードを決する。
なればとジッポは、ストレートリードを撃発すると同時に、三条の火花を奔らせた。
発せられた火花は、左腰側面、右肩甲骨、右膝上部、それぞれ三つのポイントを終点にして巡る。
火花はそれぞれのポイントで炸裂し、爆圧を生む。研ぎ澄ました魂魄功術によって指向性を持たされた爆圧は、さながらジェットエンジンのアフターバーナーのような、墳炎へと変わる。
墳炎が生み出す推進力は、勁力を加速させる。
力任せの荒業。そう考えるのは、浅知恵だ。
火勢、発火タイミングに身体操作。そのどれか一つにでも寸分の誤差を許せば、姿勢制御を間違えた打ち上げロケットのように、コントロールから外れた己れの勁力に振り回されて、ジッポの肉体は自壊するだろう。
ジークンドーと火葬屋の妙技を融合させた、ストレートリード・イグニッション。
命の燃焼、最期の灯火を
火勢を勁力に転じた拳は、肋骨を砕き、肺に衝撃を与えるに留まらず、デュポンの身体を桐揉むように吹き飛ばし、壁へしたたかに打ち付けた。
床へずるりと沈んだデュポンの手許から、パラジウムメッキのガスライターがこぼれ落ちる。
得物を取り落とした指先は、微動だにしない。
勝敗は決した。拳に残る、確かな手応えがそれを告げる。
ただし、その代償はあまりにも大きかった。
拳から、手応えが消えてゆく。やがて、拳の感覚すらも、手許からこぼれ落ちてゆく。
四肢の末端を浸す、感覚の麻痺。今や自分が立っているのかどうかすら曖昧だった。
炭火を呑み込んだような灼痛を肺腑が襲ったかと思えば、その痛みすら痺れに変わる。
遠方に聞こえる潮騒のような音は、心臓が波打つ鼓動だろうか。それも次第に、さらに遠く彼方へ引いてゆく。
内傷は、もう致命的な段階に達している。残された時間は、そう長くはない。
「リュ、ィ……」
ジッポは、わななく唇からその名を呼んだ。
辛うじて動く足を、前と定めた道に向かって踏み出す。前へ前へ——リュィの許へと。
椅子の背もたれに身体を預けて
「起きろよ……」
わずかばかり、身体からこぼれ損ねた魂をリュィへと送り込み、デュポンが打ち込んだ点穴の作用を洗い流す。
残りいくばくかの余命を、そそぐ。どうせなけなしだ、惜しむほどのものでもない。
「ん……」と、閉じられた瞼が震えたかと思えば、次の瞬間に、あの木漏れ日色の瞳が覗く。
かすみが掛かって輪郭のぼやけた視界にも、その輝きをはっきりと捉える事ができた。
「ジッポ」
その瞳に映り込む、死にゆく自分の姿も。
ひでえ顔だと、口の端を歪ませる。
「ジッポ……!」
自分を呼ばう声。
身体の、自分の心の外に在る、自分のカケラ。
このカケラが、残るのなら。
なんだって、惜しむほどのものじゃない。
「じゃあ、な……」
そのつぶやきを最期にして、ジッポの意識は煙のように薄く薄く薄く、かすんで溶けていった。
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