2-7

「木尚さん、ちょっといいですか」

 そう二井見から声を掛けられたのは、

昼飯のカップ麺を胃に流し込んだあと、味噌風味のゲップが喉元に込み上げるのを感じながら、デスクチェアに腰を落ち着かせて楊枝を咥えている時だった。


「どしたい」

「これ、どう思います?」

 そう言って、二井見がクリップで纏めてある書類の束を差し出して来た。束と言っても、数枚程度で、一番上に挟んであるのは写真が一枚。


 写真に切り取られている人物は、二人。

 一人は十代前半の少年、もう一人は、おそらく三十代半ばごろの中年女性。

 少年の方は、詰襟の学ラン姿。少し袖が余っている所を見ると、袖を通して日は浅い。中学一年生というところか。

 中年女性の方は、白いセーターにジーンズ履き。照れくさそうに立つ少年の隣に、抱き着くように寄り添い、笑みを浮かべてピースサインを作っている。

 仲睦まじい母と息子。一目でそれとわかる一枚だ。写真の日付は、今年の春頃になっている。

 背景は、室内。二人の背後に見える家具類からして、一般家庭の居間。二人の様子で、彼ら自身の生活空間とわかる。


 そして、これは木尚の直感だったが、この二人は母子家庭であるように思えた。

 根拠は二つ。まずは、二人の距離感だ。少年の方は、母親とのツーショットに気恥ずかしさこそあれ、抵抗を感じている様子がない。この年頃であれば、異性の親に対して、少なからず反発を覚えても不思議ではないはずだ。それが感じられないのは、片親だからではないか。母親が、父親の役目も兼ねようと努力しているからだろう。


 そしてもう一つの根拠は、母親から受ける印象だった。彼女からは、その容貌以上の年齢を感じる。老けているというわけではない。元々の顔の造りは、寧ろ若々しいくらいだろう。化粧気も、年齢を考えれば薄い。だが、浮かべる笑みの端々に気苦労が窺える。そして同時に、誇りも。女手一つで息子を育てたという気高さが、その笑みにあるように思われた。

 写真を眺める木尚に、二井見が二人の素性を説明する。


「女性は、雛森ひなもり暁子しょうこ、三十六歳。少年は、雛森あきら、十三歳。埼玉在住の親子です」

「旦那は?」

「夫は、交通事故で十年前に亡くなっています」

 直感が当たったらしい。

「それで」と前置き、写真と一緒に纏められた書類へ眼を通しながら、木尚は問いを発する。まず眼を通すのは、書類の名義と、その発行元だ。


「埼玉管轄の捜索願い届が、どうしたってんだ」

 親子二人分の捜索願い届けに押された発行印は、埼玉県警の物になっている。となると、縄張りも部署も管轄外。本来であれば、埼玉県警の生活安全課が請け負う山だろうに。


「そう言わず」

 拝む二井見に、改めて書類を見る。何も木尚とて、彼がただ管轄を無視して、他所の案件を持って来たとは思っていない。

 この二井見という男は、刑事という仕事に熱を入れ過ぎない。冷めているというわけでもなく、さりとて熱しすぎることもない。捜査を一歩離れた視点から俯瞰する、木尚の世代には居なかった、新しいタイプの刑事デカだ。意味もなく、他所の管轄に手を出す男ではない。


 さて、見るとはいっても、捜索願い届けの記入項目は非常に多い。行方不明者の戸籍登録情報に始まり、身体特徴、行方不明時の着衣、声音や訛りから歩行などの細かい行動癖、経済状況や各所の土地鑑など、挙げ出せばキリがない。


 木尚がまず確認したのは、届け出人の身元である。

「届け出したのは、同僚か」

 血縁者ではない。書類には、親子二人は互いの他に身内はないとなっている。

「はい、勤務先は市立病院。雛森暁子は看護士です」

 看護士。なるほど、雲行きが一つ怪しくなって来た。それは、死に携わる立場だ。


 さらに紙面に視線を走らせ、行方不明となった場所の情報を拾う。

 それは母親の勤務先である病院。それも母親のみならず、息子の方まで、行方不明となった現場は、病院という事になっている。


「こりゃあ」

 何故か。答えは、息子の捜索願い、その健康状況を記入する項目にあった。

 余命宣告を受けた、小児がん。


 思わず、木尚は呻く。

 母親は勤務先で、息子は入院先で行方を眩ませた。

 眩ませたと考えたのは、これが自主的な行動であると判断したからだ。特死係の刑事としては、そう考えるのが妥当だろう。


 実際、池袋がチャイナタウン化した二〇〇〇年当時は、こういう話はいくらもあった。

 死別を前にして、それに抗う術があるのなら、はたしてどれだけの人間が、手を伸ばさずに居られるだろうか。

 家族が、恋人が、友人が、あるいは自分自身が死に晒されたのなら、わらでも縋る。

 そんな想いで、この池袋チャイナタウンへ足を運んだ者は、引きも切らない。


 だがこの街は、そんな人間を、より深い絶望の底へと引き摺り込んだ。

 死の底に沈み逝くのを掬い上げたい、そう大切に想う者に組み伏せられ、悲哀に染まる緑色の瞳に映りながら、はらわたを貪り喰われる。その絶望はいかなるものか、想像もつかない。


 おおよそ、池袋チャイナタウンで死んだ人間は、死の淵から這い上がるや凶暴化し、最も近くに居合わせた人間を喰らい、虚無へと堕ちる。

 死と同じくして、それが避けられようのない事実であると広まってから、死から逃れようとこの街へ足を踏み入れる者は減った。


 だが、皆無というわけではない。こういう噂があるからだ。

 そうでないモノもあると。死の淵から這い上がり──キョンシーへと転化しながら、人の生き肝を口にせず、虚無へも堕ちず、光を宿すその緑眼に、この街を映す。そういう存在があると。

 思わず、溜息を漏らす。そうして深く息を漏らす度に、ニコチンが不足している事実を思い出し、上着のポケットを探ってみるも、入っているのは禁煙舌には甘すぎる飴玉一つ。


 今度は浅く息を吐き、手元の捜索届けに意識を戻す。

「行方は? まさか一から捜査始めたわけでもあるめえ」

 ごまんとある捜索願いの全てに、眼を通すのは不可能だ。この親子が特死係の捜査網に引っ掛かった切っ掛けは、偶発的なものだろう。


「既に池袋に」

「どうやって割れた」

「三日前に通報があったんですよ。タクシー運転手から、子連れの女を埼玉から池袋まで乗せたと。蒼白めいた顔の男児と、鬼気迫る顔をした女だったそうです」

 チャイナタウン化からこっち、この手の通報は後を絶たない。隣人の身を慮って──ではない。それなら番号が違う。この手の通報が110番に届くのは、疑心によるものだ。


 隣人が人食いの怪物へと転化するのではないかという疑心から、池袋の住人は、他人の死に敏感だ。

 こういう統計がある。近頃、徐々に問題視され始めた孤独死だが、東京二十三区で最も世帯数に対して比率が少ないのが、池袋を有する豊島区だ。もっとも、死後に死体が独りでに徘徊するという性質上、統計が取り辛いという背景もあるのだが。


「それで、その運ちゃんの話は聞けたのか」

「はい。親子の写真を見せると、この二人だと。池袋駅北口辺りで下したそうです」

「その後の足取りは?」

「つかめてません」

「まったくか」

「ええ、皆目。病身の子連れで屋外ってことはないでしょうし、人目にも付く。ドライバーの他に通報者はなし。宿を取れば、足が付く。一応、北口付近の無人受付のラブホテルも当たってはみましたが」

「外れか」

「ええ。空振りでした」

 妙な話だ。


 二井見の言う通り、屋外には人の眼がある。他所から来たとなれば、土地勘があるとも思えない。病身の子供を連れて、身を潜められる場所に当てを付けるのは難しいだろう。

 宿泊施設を利用しようにも、受付を通れるかどうか。適当な理由を付けて拒まれるか、警察に一報が寄越されるかのどちらかだろう。


 くだんの親子が、独力でこの街に潜むのはひどく困難だ。となれば──

「匿ってるヤツが居るな」

「俺もそう思います。でも、目的がわからない」

 そう、それが肝心要なところだ。余命幾ばくの子供と、その母親を匿う目的。その目的に、思い至るところがある。


「なあ二井見、この山、一旦俺に預けてみる気はねえか。なあに、悪いようにはしねえ。ただこの一件、下手をすりゃあ、幽幻幇を突く羽目になるかもしれねえんでな」

 幽幻幇というその名を耳にして、二井見は表情を強張らせる。

 幽幻幇は、幇会チャイニーズマフィアである。


 チャイナタウン化は、その一部に華僑──つまり中国系移民の居留地を抱える土地で起きる現象だ。移民の背景に裏社会が関わるのは、世の常。華僑の裏側にも、幇会が常に蔓延っている。


 華僑の密入国斡旋を組織立って行う蛇咬会じゃこうかい


 一九四〇年代に起こった中国国内の内線時、今はもう存在しない国民党軍人の人脈に端を発した44ツゥフォゥケイ


 香港で創設された秘密結社に起源を持ち、香港映画業界や麻薬流通のみならず、中国政府とも密接な関わりを持つとまことしやかに語られる天義安てんぎあん


 最も歴史の古い起源を持ち、一九四〇年代前半の大東亜戦争時、阿片密売によって裏社会で隆盛を極めた、麻薬流通の中核を成す和克和わかつわ


 これらの傘下組織や、名も通っていない弱小組織まで数に入れれば、その数は五十を超えるとされている。


 その内の一つが、幽幻幇だ。

 その起源を遡れば、香港は九龍の、九龍城砦にたどり着く。


 九龍城砦は、一九九四年に取り壊された中国最大規模、いや人口密度で言えば、三〇〇平方メートルにも満たない土地に五万人以上の人間が暮らしたという、世界最大過密人口だった貧民街だ。


 香港を巡る、中国イギリス間の領土問題により法の及ばない、東洋の魔窟アジアンカオス

 麻薬、売春、賭博、あらゆる違法行為がまかり通る無法地帯。当然、九龍城砦は幇会の温床となった。


 その魔窟の中にあって、当時、幽幻幇は幇会として知られてはいなかった。そも、当時の公的な記録に、幽幻幇の名は残っていない。一九八四年の中英間の調印によって、一九九七年の七月一日に香港がイギリス借地から中国領土へ返還される事が決定し、それまで数十年以上こまねいていた法の手が入って、九龍城砦をあらかた洗浄し尽した時でさえも、幽幻幇の名が上がる事はなかった。


 唯一その名を取り上げたのは、当時、九龍城砦が日本でカルト的な人気を誇った際に出版された雑誌である。その誌上では、幽幻幇の名は、オカルト的秘密結社として扱われている。

 魔窟と称される九龍城砦の最奥に籠り、黒魔術めいた儀式で、死者の復活を目論む、道教を軸にした霊的団体。今となっては、その雑誌は廃刊、出版社自体も潰れてしまって、その記事の真贋は定かではない。

 今の現状、世界に蔓延るチャイナタウン化という現象と、そして幽幻幇の現状を考えれば、そこには真実味もあるが、当然、当時はまともに取り合う人間は居なかったようだ。


 現在、おおやけに明らかなのは、二つ。

 一つは、一九九七年七月の一日、香港返還当日に、世界各地で起こったチャイナタウン化による混乱を治めた火葬屋達の背景に、幽幻幇があったという事。当時、死体が甦るという常軌を逸した現象に、何もかも承知しているという態度で対処した火葬屋を遣わせたのが幽幻幇だったという話は、公然の秘密というのもはばかられる程、チャイナタウンに身を置くなら誰もが知っている事だ。


 そしてもう一つは、幽幻幇が、全てのチャイナタウンにその支部を構えているという事。チャイナタウンの裏に、必ず幽幻幇の影がある。華僑の居留地を抱える街がチャイナタウン化した時、かつてそうしたように、その場の混乱を治め、その場に居を構える。そのありようは、幇会の起源──いや、今現在における、おおよその反社会組織がそうであるように、自治組織に近しい。だがチャイナタウンは、ここ池袋に限らず、かつての九龍城砦がそうであったように、多かれ少なかれ治外法権の体を成している。そこを自治する組織がいかに厄介な存在か、言葉では尽せない。


 しかし、幽幻幇がなければ、一九九七年から続く世界各地のチャイナタウン化による混沌を収束できなかったのは、確かな事実だ。

 ここまで理解できれば、二井見の動揺も同時に理解が及ぶ事だろう。

 たとえば、一九三〇年代のアメリカ、禁酒法時代の警官が何気なく捜査していた事件の裏に、アル・カポネの名前が浮かび上がって来たなら、その警官も同じような顔をする事だろう。


「……マジですか」

「わからんがね。だが、尾っぽ踏み付けにしねえとも限らねえ。どうする。預けるか、抱えるか」

 反して、泰然とした様子の木尚が問うやいなや、二井見はがくがくと首を縦に振った。

「預けますよ。俺には荷が勝ちすぎます」

「俺が持ちかけておいてなんだが。欲がねえな、おめえさんも」

「自分の身が可愛いですからね」

「羨ましいよ、まったく」

 皮肉じゃなく、そう思う。


「よっこらせっと」と立ち上がる。若い時分には黙って立てないのかと思っていたものだが、これが中々どうして、抑えられないものだ。

「今から動くんで?」

「本日こそ吉日なりってな。急いてこそ善を成せるたあ言わねえが、やることがあんのなら、まずはそいつをやるに如くはあるめえよ」

「当てがあるんですか?」

「まあな。二、三当たってみるさ」


 デスクチェアに掛けておいたジャケットに袖を通し、写真と捜索願いを折り畳んでポケットに仕舞い込む。

「そいつが駄目でも、打つ手は他にあらあな」

 入れ替わりに取り出した棒付きキャンディを眺めて呟く。これだけでは、手土産としては不足だろうか。

「パーカッション、だったよなあ」

 禁煙中に、吸えもしない煙草を買うのは、ちょっとした苦行だ。

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