牛は生者から霊体を引き剥がす

 商店街に着いた僕らは、老人の死神が追って来ないことを確認すると息を付いたものだ。

「どうやら大丈夫そうだな……」

「まだ油断は出来ませんけどね」

 夜となり、死神は活発化している。

 老人だけではなく、第二第三の死神が襲ってこないとも限らないのである。


 野浦と五十嵐の表情からは、疲労の色が伺えた。

 僕はそんな彼らに、唯一の対抗策とも言える手段をレクチャーすることにした。

「大体の死神は生者に手を出すことが出来ないようなんです。だから、いざという時には、生者の体に入り込めば窮地を脱することができるかもしれません」

「体に入り込むだぁ?」

 五十嵐が興味津々といったように食い付いてきた。

「ええ。こうやるんです」

 僕はたまたま横を通ったサラリーマンの体に手を伸ばした。

 サラリーマンの体に触れた瞬間、まるで吸い込まれるかのように僕の体はサラリーマンの中へと消えていった。

「すると、こうなります」

 サラリーマンに憑依した僕が顔を上げると、野浦と五十嵐が感嘆の声を上げた。

「おおっ!」

 試しに飛んだり跳ねたりと、デモンストレーション宜しく僕は色々と体を動かしてみせた。


「死神は夜の間しか行動出来ません。ですから、これを駆使して朝まで逃げ切りましょう」

「そうなのか。頑張らないとな……」

 強面の五十嵐だが、どこか表情は不安げだ。普段、凶悪犯罪者と対峙している野浦も、どことなく弱腰に見えた。


 本当に彼らは、死神と対峙するのが初めてなのだろう。

 何とも初々しい反応であろうか。


──ンン、グググェッ!


 そして、僕らの耳に新たな死神の声が聞こえてきた。

 初めにそれに気が付いた僕は、緊張から身構えつつ、音のした方向に視線を向けた。

 人混みの中を、他のどの人間よりも一際大きい生き物がこちらに向かって歩いて来ていた。

 頭部は牛であったが、首から下は人間の男のものであった。筋骨隆々で体格も良い。

 それが、自分の身の丈程もある巨大な斧をズルズルと引き摺りながら歩いている。

「ば、化け物っ!?」

 五十嵐がガタガタと体を震わせて悲鳴を上げた。

 サラリーマンに憑依状態で些か心に余裕があった僕は、すぐに二人に指示を出す。

「近くの人に憑依して下さい!」

 野浦と五十嵐は慌て出し、見様見真似で近くにいた女子高生と金髪青年にそれぞれ憑依した。


 牛は進行方向を変えずに、真っ直ぐにこちらへと向かって歩いて来た。僕らのことを狙って来ているのかは分からない。

──ただ牛は、僕らに近付くとその大きな斧を頭上に向かって振り上げた。

 瞬間、僕の頭に警鐘が鳴った。もしや、この死神は肉体ごと僕らを切り裂こうとしているのではないか──。そんな不安が頭を過ぎる。

 しかし、取り越し苦労だったようだ。牛は誰かをターゲットにしていたわけではなく、自身の足元に向かって斧を振り下ろした。

「う、うわぁっ!?」

「ひぃいぃいっ!」

──斧が地面に突き立てられたのと同時に、大地が激しく揺れたような気がした。

 途端に僕は立っていられなくなり、その場で尻餅をついてしまう。

「グゥモォオオ……」

 呻った牛の視線が、僕へと向けられる。

 存在が見付かってしまった。

──いや、それよりも、憑依状態が解けたことに驚かされる。

 僕の体はいつの間にかサラリーマンの体から飛び出し、生身の霊体の状態になっていた。

 野浦と五十嵐も同様であった。折角、見様見真似で通行人に憑依したというのに、あっという間に引っペがされてしまった。

──どうやら、その原因はあの斧による一撃にあるらしい。強制的に憑依状態を解く効果でもあるらしい。

「や、やべぇぞっ!」

 五十嵐はいち早く危険を察知し、一目散に逃げ出した。それが牛の神経を逆撫でたらしい。

「グゥモォオオオォオオッ!」

 牛は咆哮を上げると、斧を引き摺りながら五十嵐の背中を追って行ってしまった。


「五十嵐さん!?」

「た、助けてくれぇぇっ!」

 標的にされてしまっては、五十嵐も足を止めるわけにはいかない。悲鳴を上げながら走って行ってしまった。

「ふぅ、危なかったぜ……」

 そんな五十嵐と牛の姿が見えなくなると、野浦は地面にどかりと腰を下ろした。額に流れた汗を袖で拭っている。

 一般市民が窮地であるというのに、野浦に後を追う気配はなく、むしろホッと安心したように息を付いていた。

 野浦は、そんな僕からの冷ややかな視線に気が付いたようだ。

「おいおい、そんな目で見るなよ。いくら刑事さんでも、あんな化物相手に立ち向かえるかよ」

「まぁ、そうかもしれませんね……」

 それに例え勇敢に死神に立ち向かったとして、撃退する術もないので返り討ちに合うだけだろう。

「アイツは殺しても死ぬような玉じゃねぇよ。図太い奴だからな。……それよりも、俺達がこれからどうするかを考えるとしよう」

 五十嵐のことも気掛かりであったが、新たな死神の登場に一層緊張感が高まった。

「こんな町中に居るより、どこか別の建物の中にでも移った方がよくないか?」

 野浦に提案されたが、僕は乗り気になれなかった。

「どこにも安息の地なんてありませんよ。どこへ行ったって結局は一緒です。人通りの多いこの場で、やり繰りした方が良いかと思います」

「そうかい」

 野浦が肩を竦める。

「確かに、他へ移動中に襲われたらたまったものじゃないからな。……分かったよ。ここで時間を潰すとしよう」

「ええ。でも、ここは離れた方が良さそうですね。少し移動しましょう」

 先程の牛も、五十嵐を見失って戻ってこないとも限らないのである。

「ああ。行こうか」

 野浦は立ち上がり、トレンチコートの砂埃を手で払う。


 僕らは周囲を警戒しながら、商店街をさらに奥へと進んで行った。

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