千枝とひかり

 自宅前から道なりに通りを真っ直ぐに進み小路に入ると、すぐに待ち合わせ場所であるお泥沼広場公園に到着した。

 砂場とすべり台、ブランコがあるだけの簡単な造りの公園で、どちらかと言えば子どもたちの姿よりも広場のベンチで寝転んでいる中年男性やグランドゴルフをしている老人の姿の方が多い。

 昔から、この公園で千枝と遊具で遊んだり、ベンチでお喋りをしたりしたものである。


 既に、そんなベンチの一つに腰を下ろしている千枝の姿が見えた。約束の時刻よりも早く来て、僕が現れるのを待っていてくれたらしい。

「悪いことをしちゃったな。それなら、もう少し早く来れば良かったな」

 いつから千枝がここに居るのかは分からなかったが、僕は千枝を待たせていることに申し訳無さでいっぱいになってしまった。

「千枝さんが来ているの?」

 千枝の容姿を知らないひかりが、横で首を傾げている。

「ああ、ごめん。あれが千枝だよ」と、僕はベンチに座っている千枝を指差した。

 ほんのりと茶色の掛かったセミロングの髪先を落ち着かない様子で、指で巻いている。携帯やら文庫本やら見ておけば良いのに、千枝は緊張しているのか、視線を前に向けたまま固まっている。

「可愛らしい人じゃない!」

「う、うん……」

 彼女のことを褒められるのは何だか照れ臭くて、僕は顔を逸らしたものだ。


 少し離れた場所から千枝を見ながら、僕はひかりに言った。

「えっと……。打ち合わせ通りにお願いするね。僕じゃ、千枝とは話ができないから……」

「任せておいてよ! 千枝さんとお話ができるように上手くはからってあげるから!」

 ひかりは自信満々にウインクをすると、千枝の居るベンチに向かって歩き出した。

──霊体である僕がいきなり千枝の前に飛び出したところで、彼女には僕の声は届かないし、姿も見えない。

 そこで、先ずはひかりに仲介役となってもらい、千枝に事情を説明してもらう。

 もしも、千枝がひかりの話を信じてくれたなら、後はひかりを介して話をすればいい。

 ひかりはとても重要な役割を担っていた。


「千枝さんですか?」

 ひかりが近付いて声を掛けると、千枝が驚いた顔になる。

「……えっ? あ、はい。そうですけど……」

 突然、見ず知らずの女性から話し掛けられたので、千枝が困惑するのも無理はない。

「隣り、宜しいですか?」

「え、ええ……」

 戸惑いつつも千枝は頷いた。

 承諾を得て、ひかりは千枝の隣に腰掛けた。

「あの、彼のことなんですけれど……」

 モゴモゴとひかりが口の中で呟く。

 どうやら、ひかりも大役を任されて緊張しているようだ。言葉が上手く出ていない。

「……はい? 私に言いました?」

 千枝が首を傾げる。

——全然、噛み合っていない。

「ええ。亜久斗君についてのことなんですけど……」

「えっ!?」

 千枝からすれば、見知らぬひかりの口から待ち合わせ相手の名前が出たのだ。その驚き様ったらない。

 そんな目を見開いている千枝に向かって、ひかりは愛想笑いを浮かべた。

「貴方、亜久斗君の彼女さんなんですってね? 話は全て、彼から聞いているわよ」

「は、はぁ……?」

 何だか誤解を招きそうな言い回しであったが、千枝は別のことを思ったようだ。

「ああ。貴方が、連絡を下さった方ですね!」

「連絡……?」

 今度は、千枝の言葉にひかりが困惑する番であった。

 困ったようにひかりは僕に視線を向けてきたが、僕とて千枝の言葉の意味が分からないので指示の出しようもない。

「彼がどうなったか、分かっていますよ」

 千枝は悲しげな目をしながら、顔を伏せた。

「彼の遺留品を拾って下さったのですね?」

──千枝は、僕が死んでしまったことを知っているようであった。

 考えてみれば、連日バス事故の報道がテレビやネットのニュースなどを賑わせているのだから、千枝だがそれを目にしていたとしても不思議ではない。もしかしたら、犠牲者の一人として僕の実名が挙げられた記事などもあったのかもしれない。


 ひかりが返事に困り、口篭っていると千枝は不思議そうに首を傾げてきた。

「彼のフリをして私を元気付けてくれたことには感謝しています。お陰で、少し希望が持てましたもの。もしかしたら、本当に彼が来てくれるんじゃないかと……少しばかり、そんな気持ちにもなれましたもの」

「いいえ。私は彼に言われて此処に来たの。実は、彼は今、貴方の目の前に居るんです!」

 そう言いながら、ひかりは僕をビシッと指差した。

「気休めは止めて下さい!」

 途端に、千枝はムッとしたように声を張り上げた。

「彼の遺体は私も実際に確認しているんですから、変なことを言わないで下さいよ。亜久斗君はあんなにも安らかな寝顔で眠っているんですよ! そんな彼を冒涜する気なら許しません」

 千枝は瞳に涙を浮かべながらひかりを睨み付けた。

 そう言えば──と、僕はあることを思い出していた。

 千枝の父親は刑事だ。実際に千枝が僕の遺体を確認したということは、千枝の父親もその捜査にあたっていたのだろう。

「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんだけれど……」

「……私の方こそすみません。突然、取り乱してしまって」

 ひかりも千枝も、お互いに冷静さを取り戻して頭を下げた。

「私ね、貴方には感謝しているのですよ」

 そう語る、千枝の顔には笑顔が浮かんでいた。

「貴方のお陰で、少しだけでも、彼が生きているっていう希望が持てたんですから。貴方がどういう意図でそうしたのかは分かりません。……でも、お礼を言いたくて、今日、私は此処に来たんです」

 端から千枝は僕ではなく、僕を偽ってきたであろう人物に会うためにここに来たらしい。

 これまで僕が返した電話や連絡は、全てひかりのイタズラと捉えられていたようである。

──それはそれで、悲しかった。

 でも、仕方ないという思いもある。

 幽霊から連絡が来ていたなどという発想に至る方が、考えたら不自然である。


 ひかりの出方を伺った。それはそれで、肯定すれば千枝を安心させることができそうだ。

——ひかりは、なんというだろうか?

 首を横に振るって、ひかりはキッパリとそれを否定した。

「申し訳ないけれど、私は貴方と連絡を取ったことはないわ。信じられないかもしれないけど、全てはあなたの彼がやったことだから。その事実は変わらないわ」

 それが真実であったが、どうやら千枝には受け入れ難いことのようであった。

 千枝は再びムッとした表情になり、「そうですか」とひかりの言葉を軽く聞き流した。

──また機嫌を損ねてしまったようだ。

 これ以上、何を言っても無駄だろうとひかりは判断したようである。大きく一つ溜め息を吐いた。

「ごめんなさい。これ以上、私にはどうすることもできないわ……」

 僕に対して申し訳なさそうにひかりは呟いた。

 千枝が聞く耳を持ってくれない以上、次の段階に移るわけにはいかない。また日を改めるか、或いは別の手立てを考えるしかないようである。

 僕がひかりの意図を察して頷くと、ひかりはベンチから立ち上がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る