死者の帰還

 からすが木下の体をもてあそんでいる間に、僕は第三会議室を後にした。

 用心のため嵐山の体に憑依ひょういしたまま地下を歩いたが、烏が後を追ってくることはなかった。


「嵐山様ぁ、お疲れぇっすぅ!」

 一階に上がると、何も知らない信者の一人が軽やかに挨拶をしてきた。

 そろそろ嵐山の憑依が解ける心配もあったので、僕は嵐山からその信者へと憑依を移した。

 頭に浮かぶのは、第三会議室でのおぞましい光景だ。あの巨大な烏によって四肢ししを引き裂かれた木下の無残な姿——。

 お陰で僕は、必要以上に用心深くなっていた。生身の肉体で地上をうろつく気にはなれない。

 信者の体に憑依したまま、僕は木下教団のご近所支部を後にした。


 そうして周囲に細心の注意を払いながら、ひかりの待つ旅館を目指した。通行人の体を乗り継ぎ、夜明けには前には旅館に辿り着くことができた。

 流石さすがに旅館の中まで他人の体で上がり込むのは気が引けたので、近くで憑依状態を解くことにする。

 朝日が昇り、死神の活動時間が終わる。

 もう危険な目に合うことはないのだが、臆病おくびょうになっていた僕は霊体のままビクビクしながら路地を歩いたものだ。


 玄関の扉をすり抜けて部屋に入ると、ひかりの姿が目に入った。

 ひかりは僕の帰還きかんを待ち構えていたようで、入り口に正座して出迎えてくれた。

 僕の姿を見るなり、ひかりが床に三つ指をついて頭を下げる。

「お帰りなさい」

 僕は目を丸くしたが、ひかりの顔を見て気が抜けてしまう。自然と顔から笑みがれた。

「ただいま……」

 そんな僕に、ひかりも笑顔を返してくれた。

随分ずいぶんズタボロみたいだけれど……」

「うん。もう死んでるからね」

 僕は自虐的に笑ってみせた。

 死を覚悟した瞬間もあったが、他愛たわいもないそんなひかりとのやり取りを僕はとても幸福に感じたのだった。

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