チュートリアル

 仮面はあらゆる場所から現れて、僕の行く手をはばんだ。

 電灯、吸入器、公衆電話──それらはいずれもコンセントに繋がれて電気を動力源にしていた。金属製の扉やコンクリートの壁、木製の家具には仮面は沸かない。

 ならば電化製品とおぼしきものから離れれば、仮面は追って来られないのではないか。

──しかし、そこで僕は自身の選択の誤りに気が付いた。さっさと建物の外に出ておけば良かった。森や河原や林など人工物のないところまで遠ざかれば、この仮面の死神をまくことはできたかもしれない。

 それなのに、僕は判断ミスでこの医療機器に囲まれた病院内を逃げ回っていた。


 それまでは順調に進んでいた廊下だが突き当りとなり、目の前に壁とドアがそびえていた。

 ドアノブに手を掛けて引っ張ってみる──開かない。鍵が掛かっていた。

 行き場を失った僕に、笑顔の仮面が電化製品を移動しながら迫ってくる。

 すぐ脇にある天井の防犯カメラに仮面が出現した。

 絶体絶命のピンチ──。

 パニックにおちいった僕は、必死になって扉に体当たりをかます。何度も何度も、扉に体を打ち付けた。それでも頑丈な扉はビクともしない。

「うわぁああぁっ!」

 悲鳴を上げながら、さらに威勢よく扉に突っ込んだ。

──すると不思議なことが起きた。体が扉を貫通かんつうして部屋の中に入れたのである。

 確かに、昨日襲ってきた嘶く馬などは壁を透過して顔を出していたが、まさか自分にもそんな芸当ができるとは思いもしなかった。僕は勢いのまま部屋に飛び込み、盛大に転げた。

「壁を……通り抜けた……?」

 考えてみれば当然のことだろう。幽霊なのに、ご丁寧に扉を開け閉めして出入りしている方が異質に思えた。

 僕はゴクリと唾を飲み、壁に近付いた。

 そっと手で壁に触れる。──壁にはばまれ通らない。

 さらに意識を集中してみた。

 指先がゆっくりと壁を擦り抜けていく。手首──ひじ──肩と徐々に、体が壁にのまれていく。やがて、全身が壁を透過して隣室へと移動することができた。

「おおっ!? こんなこともできるんだ!」

 こんな状況ではあったものの、新たな発見に僕の胸を熱くしたものだ。


 そのまま壁を抜けて、部屋間を移動する。

 正面玄関へと向かい、そこから外に出ることにした。

──仮面の姿はない。

「兎に角、外に出てからどうするか考えるとするか……」

 先ずは、仮面が徘徊はいかいするこの危険な病院から脱出しなければならない。後のことは、脱出してから考えよう。

 そう前だけを向いて進んでいた僕は、仮面の接近には気付けなかった。

「なっ!?」

 カウンターの陰にあった電話機に仮面が待機していたが、死角でそれは見えなかった。そこから伸びてきた半透明の触手が、僕の腕を掴んだ。

「しまった!」

 気付いた時には遅かった──。

 物凄い力で締め付けられ、体が仮面の方へと引き寄せられていく。

 あらがうことはできなかった。腕をガッシリと掴んだ触手を振り解こうと手を振るっても、より皮膚に食い込むばかりで離してはくれない。

 カウンターの陰にあった仮面が、何かに押されるようにして表に出てきた。電話機の中から半透明の何かがこんもりと盛り上がっている。それは風船みたいにふくれていき、徐々に僕との距離を詰めてきた。

──海月くらげだ。

 笑顔の仮面をつけた海月が僕を体内に取り込もうと肥大化し、頭を近付けてきたのである。

 僕は絶句した。

 必死に身悶みもだえするが僅かな抵抗にもなっていない。

 観念して目をつぶったその時──。

「面会の時間は遠に過ぎているから、こんなところで暴れていては迷惑よ」

 凛とした声が響き渡った。

 聞き覚えのあるその声──。

 目を開けると、目の前に着物姿の女の子が立っていた。──鬼門流ひかりである。

 ひかりは僕の腕を掴んで引っ張った。

 その瞬間、腕に絡み付いていた海月の触手が離れ、僕の体はひかりの体の中へと吸い寄せられていった。

「……ふぅ」

 僕を肉体に憑依させると、ひかりは息を吐く。

 手出しができなくなって途方に暮れたように佇む海月をそのままに、ひかりは病院を出て行った。

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