嘶く馬たちの群れ

 あの着物の女の子のことがどうにも気掛かりで、どこかで会えないものかと町の中を当てもなく歩いた。

 当然、広い町の中で特定の一人と再会などできるわけもなく、時間は無駄に過ぎていった。

 誰かに助けを求めたり自宅を目指したりした方が有意義にも思えたが、何故だかあの女の子と再会する方が優先度は高いように思えた。

 どうやら女の子はどこか建物の中に入ってしまったようだ。それか、この町から離れてしまったのだろう。——結果として、丸一日時間をついやしたが再会することはできなかった。

 徒労とろうに終わってしまって、僕は大きく落胆らくたんした。日も暮れてしまい、事故発生から二夜目を迎えてしまう。

 僕は上空に星がまたたき始めると、警戒心を強めた。昨晩の死神や仮面やらが、また襲って来ないとも限らないのである。


──ヒヒーン!


 夜のとばりの中に馬のいななきが響き渡る。

 僕は自身の耳を疑った。町の中に木霊こだまする馬の嘶き——昼間は一頭も馬の姿など見掛けなかった。

 それなのに一箇所からではなく、様々な方角から——まるで共鳴でもし合うかのように、その鳴き声は随所ずいしょから上がっていたのである。

 その一つ、馬の嘶きとひづめの音が、次第しだいにこちらへと近付いて来ていた。

 僕の頭の中に、ある予感がぎる。

「まさか……ね」

 妙な胸騒ぎがした。まさかと思いつつも、この馬の嘶きの主も死神や仮面といったたぐいの、僕にとっての脅威となる存在であることもいなめない。

 僕はアパートののきに置いてあったゴミボックスの陰に隠れて、通りの様子をうかがううことにする。それで取り越し苦労であれば、別に構わないだろう。


──ヒヒーン! ブルブル!

 いななく馬が、僕の前に姿を現した。頭を左右に激しく振るって、周囲につばを飛ばす。

——確かにそれは馬であった。

 しかし、存在しているのは頭部とひづめだけ。中空に馬の頭が漂って、その下の地面を四つの蹄がパカポコと進んでいたのである。

 明らかに、僕が知っているような自然界に生息している馬のフォルムとは違う。

 異形の姿形の馬が、僕の目の前を通り過ぎて行った。


「ヒヒーン!」

——ヒヒーン!

 馬が嘶くと、遠くから別の馬からの応答が返ってくる。まるで、お互いの位置や状況を確認し合うかのように、馬は頻繁ひんぱんに声を上げた。

 まさか、僕のことを探しているのではないかと、思わず息を飲んでしまう。

 それ程に馬は僕の近くをウロウロとして、なかなか遠くへは行ってくれなかった。いつこちらに気が付いても可笑おかしくはない。

 緊迫した状況が続く最中さなか突如とつじょアパートの一室のドアが開いた。

「……じゃあ、駅前のコンビニに行ってみるよ。買って来るのはアイスだけで良い?」

 ジャージ上下の青年が玄関から出て来るなり、部屋の中へと呼び掛けた。

 部屋の中から「よろしくぅー」と、若い女性からの気怠けだるそうな返事が聞こえてくる。

 青年は溜め息を吐きながらドアの鍵を締めた。

──これは、チャンスなのではないか?

 民家での出来事を思い返す。

 中年男性の体に入り込んだ僕に、仮面は手を出すことを躊躇ちゅうちょするようになった。

 もしかしたら、この青年の力を借りれば窮地きゅうちから脱することができるのではないか──。


 サンダルをパタパタと鳴らす青年の足音がこちらに近付いて来る。

 僕は身をかがめながら青年の前に出た。

──青年は僕のことに気が付いてはいない。

 やはり、僕に気が付いた着物の女の子は異例だったのだろう。

 手を伸ばし、僕は青年の体に触れた──。


 思った通りであった。僕は青年の体に憑依ひょういし、その肉体を乗っ取ることに成功した。

 僕の思惑は成功であった。

——他人に触れれば、その体に入り込むことが出来る。


 青年に憑依した僕は、何食わぬ顔をして表の通りに出た。

 馬は脚を止めて、出目金でめきんみたいに飛び出たギョロギョロとした目玉でこちらに視線を向けてきた。だが、仮面の時とは少し違うようだ。馬はすぐに僕から視線をらした。

 どうやら馬は、僕が青年の肉体に入り込んでいることに気が付いていないようだ。また、何かを探すかのように辺りに視線を走らせていた。

「よぉし、行けそうだ!」

 活路かつろを見出せたことで、僕の心は晴れやかになる。何てことはない。今後も、もし死神と遭遇そうぐうするようなことになれば、誰かの体に入り込んでやり過ごせば良いだけの話である。

 ところが、そう楽観した僕は、中年男性に憑依した時の顛末てんまつを忘れてしまっていた──。


 突然、僕は青年の体からはじき出された。何かきっかけがあったわけではない。まるで拒否反応でも起こしたかのように、青年の体が突如として僕のことを外に押し出した。お陰で僕はアスファルトの地面を転げる羽目はめとなる。

——通りを徘徊はいかいしていた馬と、目が合う。

 思わぬ事態に、僕の体は硬直してしまう。


──ヒヒーン!


 別の場所から、馬の嘶きが響いてきた。

「ヒヒーン!」

 それに応えるかのように、目の前の馬が嘶く。


 馬と目を合わせながら僕はゆっくりと後ろに下がった。視線さえ逸らさなければ、迂闊うかつに手を出してこないのではないか。

 そんな僕のことを、どうやら馬は黙って見逃してくれないようだ。馬の四つの蹄がその場でトコトコとそれぞれウォーミングアップのごとく足踏みを始めた。


 ──ブヒヒーン!


 中空に漂っていた馬の首が嘶き、口を開いた。その口は顔の側面まで裂け、口の中に生えている鋭い牙があらわとなる。——ウマというよりもワニだ。

あれに噛まれれば一溜まりもないだろう。


 自身の嘶きを開戦の狼煙のろしにして、馬がこちらに向かって真っ直ぐに突進して来た。

 僕は咄嗟とっさに民家の石垣いしがきの上に飛び乗ることで、それを躱す。

 そのままへいの上をつたって歩き、隣家の庭に降りて着地した。

 そこからは全力疾走ぜんりょくしっそうだ。路地に飛び出すと、後ろも振り返らずに必死に走った。


 ──ヒヒーン!

 ──ヒヒーン!


 あちこちから馬の嘶きが上がる。

 僕のことを包囲でもするかのように、四方八方しほうはっぽうから馬たちの蹄の音がこちらへと迫ってきていた。

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