10.船出
リューズの歴史に残るであろう式から二日が経ち。
すっかり傷も疲れも癒えた僕たちは、リューズを出発することにした。
長くお世話になった宿を出て。
まずはお礼と別れを告げるため、トウスイ家へと向かうのだった。
「私たちはのんびりしてたけど、あれから色々と大変だったみたいね」
晴れ渡った空の下、並木道を歩きながらセリアが言う。
確かに、シキさんとコウさんが握手を交わしたあのパーティが終わってから、リューズ国内はちょっとした騒ぎになったそうだ。
あの日、公民館にいた人たちはある種熱気に浮かされるように喜んでいたものの、詳しく事情を知らなかった遠方の国民などはそうならなかった。まずスイジン家の続けてきた悪行に驚き、一様に非難の言葉を発したそうだ。当然、息子であるコウさんの印象も悪く、そんな彼がトウスイ家に助けてくれと縋ってきたのだと話が捻じ曲がってしまったらしい。
しかし、そこは流石のシキさんというか、迅速な立ち回りで国中に連絡を回し、正確な事実を周知していった。彼が話したのはそれだけでなく、コウさんと亡くなった息子のライさんとのエピソードも一緒だったので、それが国民の共感を集めることが出来たようだ。
「そりゃ、対立してた当主たちが仲良くしていくって言うんだから、大きな変化だよね。……でも、上手いことやっていってほしいな」
「同感。いがみ合っていても良いことないわ」
そう言って、セリアは暢気に欠伸をした。
街の中心部から山の方へと進み、長い階段を経て分岐路を左へ曲がる。来た当初は疲れる階段だなと思ったりもしていたのだが、この滞在で慣れてしまったな。
トウスイ家。懐かしさのあるこのお屋敷とも、今日でお別れだ。
「おはよう、お二人とも」
「コテツさん。おはようございます」
「ヒュウガさんは?」
「うむ、あいつは寝坊だ」
……仕える者としていいのかそれは。
「まあ、あいつも忙しく動き回っていたんでな。一応、非番ということにはなっている」
「はは……ならいいですけど」
コテツさんも同じように忙しそうではあるのだが。
ともあれ、コテツさんに案内されて、僕たちはシキさんの待つ部屋へと向かう。扉が開かれ中へ入ると、そこにはシキさんの他にコウさんとナギちゃん、キリカさんが待っていた。
「おはようございます、皆さん」
「ああ、おはようございます。お待ちしていました」
「うむ。来てくれたな」
以前までなら、この屋敷内にスイジン家の人間がいることなど有り得なかったはずだ。それが今、ただ普通にそこにいるというだけで、なんだか温かい気持ちになった。
「もう出発しちゃうんだってね」
「キリカちゃん、もっと滞在していけばいいのにってさ」
「ちょっと、ナギちゃん」
ナギちゃんとキリカちゃんは、生贄の問題を乗り越えて一段と仲が深まった様子だ。ナギちゃんの性格上、口喧嘩っぽく見える場面が多々ありそうなのは容易に想像できるが。
「体の調子もすっかり良くなりましたし、順調に魔皇を倒していけてるので、どうせなら早いうちにと思いまして」
「やっぱり世界は魔王が倒されるのを望んでるしねえ。今までで一番早く倒せれば、喜ばれるんじゃないかしら」
「実際、頼りなさげなのにペースは早いよね。まだ旅を始めて一ヶ月ちょっとなんだっけ」
「そのくらいかな。経験値が少ないのは自覚してるんだけども」
「大量のスキルがあるんだし、それなりに活用もできてるから問題ないと思うけどね」
「ふ。お前がそこまで褒めるとはな」
「っと、変なこと言わないでよお父さん」
ナギちゃんはポコンとシキさんの肩を叩く。仲睦まじい親子だ。
思えばリューズでは、親子や仲間の絆というのを色濃く感じてきた。文化の違いゆえだろうが、他の国よりも人と人との繋がりは確かに強いのだろう。
ちょっとばかり社会派染みてしまうが、元居た世界に――少なくとも僕の過ごした小さな世界に、欠けていたものなのかもしれない。
僕自身、欠けていたのだし。
「……半ば軟禁のような形になってしまったにも関わらず、こうして魔皇を討伐してくれたこと、それだけでなくシュウ=スイジンの悪事を暴いてくれたこと、改めて感謝する」
「まだまだ困難は続いていくでしょうが、私たちは負けません。挫けたら、お二人に笑われてしまうでしょうからね」
「そこまでは。……でも、応援してます。旅が終わったらまた遊びに来たいですね」
「トウマったら、来たい場所どんどん増えてくじゃない」
「だって実際、そう思うんだから仕方ないでしょ」
これまで旅してきた場所を、もう二度と訪れないということはない気がする。
もう一度見たい場所、会いたい人がいっぱいだ。
「はは。その際は心から満足していただけるよう、努めていかなくてはいけませんね」
「そうだな。若いからと言って軽んじるつもりはないが、過保護になるつもりもないから、そのことは理解しておくのだぞ」
「……はい、承知してます。その上で、手を取ったんですから」
「……ふ。ライも喜んでいることだろう」
息子が目指した未来のため。
シキさんも、手を取ったのだ。
たとえいなくなってしまっても、強い意志は根付き。
そしてここで、育っていく。
「そう言えば、結局シュウさんの一件については進捗あったの?」
思い付いたように、ナギちゃんがシキさんに質問した。どうやらその後進展があったのかどうか、聞かされていないようだ。
「いや、仕立て人についてはまるで痕跡がなくてな。あの腕前の弓術士ならば数も多くないとは思うのだが」
「とは言え、連合に登録していない人もいますし、クラスを偽って登録している人も稀にですがいるようですしね。ベテラン弓術士、という手掛かりだけでは探せそうもない」
「……なーるほど」
納得したのかそうでないのか、ナギちゃんは若干生返事だった。もうちょっと情報を欲しがっているような感じもする。
星の導き。グランウェールの事件でも聞いた言葉だし、ナギちゃんが関心を引くのも当然か。
「ほとんどの者が名前を耳にした人物。父は黒幕のことを、そんな風に言っていましたが」
キリカちゃんが言うと、シキさんは相槌を打って、
「その人物と仕立て人が同一人物とも限らんからな。矢を放ったのは、依頼を受けた一流の暗殺者だったのかもしれん」
「可能性は捨てきれませんね」
どうやら、今のところは進展を望めなさそうだ。
いずれ何か手掛かりが出てきて、悪事を企てたその黒幕を捕まえることができればいいけれど。
そのときは、他の事件についても明らかになるのだろうか。
それを期待するばかりだ。
「……ライン帝国、か」
僕は思わず、呟いていた。
シュウ=スイジンが繋がりを築いていた国……世界を統べる力を求めている、帝国。
最後の魔皇が待つ地であるその国へ、僕たちはこれから向かうわけだ。
恐ろしくないとは、言えない。
「トウマさんとセリアさんにとって、魔皇が一番の敵なのはもちろんですが、国家そのものが脅威にもなり得ると、気を引き締めておくのが大事でしょうね」
「忠告ありがとうございます、コウさん。……はは、これまでの旅で治安は一番悪そうですかね」
「冗談で済めばいいけどねー……ちょっぴり怖いわ」
まあ、今回騙されて連れて来られたことを教訓にして、易々と人を信用しないことを心掛けたいが。
……僕たちには難しそうだな。
「二人は何だかんだ、その人の良さで乗り越えちゃいそうな気もするけどね。とりあえず、油断はせずに頑張りなよ。また生きてどこかで会えるのを信じてるからさ」
「うん、ありがとうナギちゃん」
「お、おう」
僕が真っ直ぐナギちゃんを見て言うと、彼女はすぐについと目を逸らしてしまう。それが面白くて、皆くすくすと笑っていた。
もちろん、ナギちゃんは頬を赤らめていたけれど。
そんな感じで、話は一区切りつき。
そろそろ出発しようという時間になる。
僕たちはそのまま全員でトウスイ家を後にして。
ここへやってきたときと同じ、街外れの港まで下りていくのだった。
*
「寝坊したっすー!」
あと少しで港に着こうかというところで、ヒュウガさんが慌てて走ってきた。このまま来ないものかと思っていたが、ギリギリ起きてこられたようだ。
「コテツが船を出すみたいっすね」
「ああ、私が二人をライン帝国まで送り届ける」
そう。僕たちはシキさんの厚意で、コテツさんに船を出してもらって、ライン帝国まで運んでもらえることになったのだ。全員でぞろぞろと港までやってきたのは、その見送りというわけだった。
「行きは俺とコテツだったんだから、出発もお供させてほしいっす」
「さてはヒュウガ、家の雑用が嫌なんだ?」
「そ、そんなことないっすよナギ様!」
……なんか図星っぽい感じしかしないんですが。
「ふ、まあいい。今回も二人でトウマ殿とセリア殿をラインまで送り届けるのだ。いいな?」
「はい、シキ様」
「心得たっす!」
二人はシキさんに頭を下げ、それからこちらへ向き直る。
「というわけで、うるさくなるがよろしく頼む」
「あ、酷い」
「はは、お二人が運んでくれるなら安心ですよ」
「そうかな? 次はどこへ行くのか心配だったりはするけど」
「セリアちゃんも酷いっすよー」
セリア、まだ若干根に持ってたんだな。
「それじゃあ、行きますか」
「ああ」
港に泊められた船。僕たちが乗ってきたのと同じものだ。トウスイ家が所有するものなのだろう。
そのハッチがコテツさんによって開かれ、僕たちは船内に乗り込む。
「達者でな。再開を楽しみにしている」
「はい。また、必ず」
「ドジ踏まないよーにね」
「分かってるわよ、ナギちゃん」
じゃあ、とお辞儀をして、僕とセリアは奥へ進んだ。ヒュウガさんがハッチを閉め、皆の姿は見えなくなる。
船でのお別れは、やはり甲板からだろう。そんな風に思い、僕たちは階段を上がっていく。その間にも錨が上げられ、船はゆっくりと港から離れていった。
「ふう、これでリューズともおさらばか。国土の小ささもあるけど、滞在期間は短かったな」
「そうね。次にくるときは、もっとゆっくり温泉でも楽しめればいいけれど」
「ん、次はそうしよう」
そんな話をしながら、甲板の上に出る。
離れつつある港からは、皆が見送ってくれていた。
「またねー!」
手を振るキリカさんの声が届く。セリアも負けじと、またねと叫ぶ。
こうして明るく送り出されるのは、やはり嬉しいものだ。
「……あ」
港の少し上、街の隅にある高台にも、僕たちを見送る人たちの姿があった。
ギルドの皆だ。
「……ふふ」
セリアの肩をちょんと叩いて、彼らの存在を教えてやる。そして僕たちは、彼らにも手を振った。
振り返してくれたのはワラビさんとオーガストさんだけだったが、まあフドウさんとトウゴさんはキャラ的に振らないだろう。
遠のいていく島国。懐かしさを与えてくれた国。
それが水平線の向こうに消えゆくまで、僕たちはずっと甲板で見つめていた。
いつか、再び船に乗って。
もう一度あの輪郭を目にするときを、思い描きながら。
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