第16話 合気道 武川盛三の場合 ②

 握手


 その差し出された手に飛鳥は躊躇した。


 無論、握り返す事に躊躇したわけではない。


 明らかな罠。 友好の象徴に隠された100%の悪意。


 試合が始まった直後に、誰が合気道の使い手の腕を握るというのか?



 ならば、殴る。



 当然、飛鳥も殴ろうとした。


 しかし、手を差し出しながらも武川は朗らかな表情を浮かべていた。


 そんな表情の人間を、ある意味では無防備な人間を殴る事に躊躇するのは、当然の事だろう。


 だから、それが飛鳥の隙を生んだ。――――否。隙を生まされたというべきか。


 不意に武川の手が動く。 ゆっくりと――――気がつくと加速していた。


 目潰し。 狙われたのは飛鳥の眼球。


 武川の手は握手の形をしたまま目を突いてくる。


 飛鳥は「クッ」と状態を後ろに反らして避けた……そのはずだった。


 しかし、僅かな鮮血が舞い上がり、飛鳥の顔に赤い線が入った。


 武川の爪が飛鳥のまぶたから眉毛を切ったのだ。


 流れ落ちる血液が右目に入り、視線を赤く染める。

 

 視界を奪う。最初から武川の目的はこれだった。


 よくよく見れば、武川の爪は先端が尖っている。 


 そういう形に爪を切っている。 さらにヤスリで削り、皮膚を切れるように形を整えているのだ。

 

 いや、それだけではないだろう。


 野球の投手は爪が割れないようにマニキュアを塗るというが……


 おそらく、武川の爪にも強度を増す工夫がされているに違いない。


 「うちは実戦派合気道って言ったじゃないか。これも武の内だよ。まさか、卑怯とは言うまいね」


 そういうと武川は笑った。


 挑発するようでいて、どこか禍々しさを感じさせる邪悪な笑みだった。


 それに対して飛鳥は、


 「いやいや、普通に卑怯でしょ?」


 どこか、飄々と、当たり前のように言ってのけたのだ。


 これには、笑っていた武川の表情も「むっ」と変わる。


 「昔の総合格闘技の創世記には、『なんでもあり』を『なにしてもいい』って勘違いしてる人が多くいたって聞くけど、アンタも『実戦』とか『武』とか言って卑怯な事をする免罪符に使ってるだけでしょ?」


 飛鳥の言葉に武川の顔は真っ赤に染まり、まるで修羅の如く――――


 「くっくっくっ……」と修羅が笑った。


 「愚かだね。武道家に実戦とか武を問うのかい? まぁ、いいじゃないか。どう理屈をこねた所で私らは勝った方が正しいって事になるのだから」


 そう言って、武川が視線を飛鳥から外した。


 その意味に飛鳥は気づいた。


 武川が見ている物はリングの外に設置したカメラ……つまりスマホだ。


 それが武川の狙い。 飛鳥を倒した後、証拠が何も残らないようにスマホを破壊するつもり。


 要するに、道徳的にも倫理的にも、何より法律的に許されない攻撃を仕掛けてくるつもりなのだと……飛鳥は気づいた。


 ゾクリと寒気と同時に歓喜のような物が通り抜けて行った。


 武川は不思議な構えを取る。


 右腕を上げたかと思うと―――― 素早く踏み込み、互いの間合を潰す。


 次の瞬間、上げた右腕を振り下ろしてくる。


 手刀。


 空手チョップ。 あるいは脳天唐竹割りと呼ばれる攻撃。


 近代格闘技でお目にかかることは皆無の攻撃だ。 


 それが意外なほどに素早い。 


 ガッツンと飛鳥は衝撃を受けた。 頭部に目掛けて振り下ろされた手刀が避けられず肩に直撃したのだった。


 攻撃はさらに続く。 それも血が目に入り視力が利かない右からに徹底した手刀の攻撃。


 その攻撃に対して、


 ――――飛鳥は不思議と感動していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る