ヒトミヲトジテ

おぎおぎそ

第1話 シロ

 真っ白な世界だった。

 見渡す限り、光しかない。どこから来たのか、そしてどこへ行くのかも知れぬ光だ。無機質で平坦な地面はどこまでも続き、かといってその先に何かがあるわけでもなかった。


 ナーダはそんな世界で生まれた。いや、実際にここで生まれたのかはわからない。ただナーダの記憶にこの世界しかないだけで。事実、もしかしたら自分は別の場所からきたのかもしれない、とさえナーダは考えていた。それほどまでに、この世界には何もなかったのだ。


 まっさらな平地には、ナーダを含め二人の人間がいた。ナーダはもう一人の人物を「母」と呼んでいた。ナーダは「母」という言葉の意味を知らない。ただ、母にそう呼ぶように言われていたため、ナーダはその人を母と呼んでいるのだった。


 ナーダは母についてほとんど何も知らない。自分よりも先にこの世界にいたこと。自分に必要最低限の「ゲンゴ」を教えてくれたこと。自分に名前を付けてくれたこと。基本的に寡黙な人間であること。そして……。


「母よ、聞きたいことがあるのですが」

 ナーダはこの日、確かな決意を持っていた。滅多に口を開かない母に話しかけるのはナーダにとって勇気のいることだったが、しかし彼のなかでこの世界を知りたいという気持ちは日増しに強くなっていたのだった。母と二人並んで(並んで、というには寂しい距離感ではあったが)ボーっと過ごす以外にやることもないような世界なのだから無理もない。何も無い世界では、自分の存在さえも説得力を失うのだ。

「何でしょう?」

 母の声は、ナーダの覚悟していたものよりも幾分柔らかかった。平素でもなかなか聞くことのない、優しい声だ。

「どうしてここには何も無いのでしょうか」

「いるではありませんか。私と、あなたが」

「いえ、そうではなく……」

 ナーダはここで、少し言葉を選んだ。

 ナーダが母からゲンゴを教わったときのこと。ナーダは母が自身とナーダ以外の存在を知っていることを知った。ナーダの持たぬ概念を持っていることを知った。

 世界に対するナーダの好奇心はそこから生まれ出たものであったが、しかしナーダにとっては自分と母以外の存在というものは疑わしいものでもあった。だからナーダは、言葉を選んだ。

「母よ、私にあなたの知る全てを教えてください。私には何もわからないのです。私がここにいる意味も、あなたがここにいる意味も、他にだれもいない意味も」

 ナーダの瞳は真っすぐだった。

「……よろしい。では教えましょう。私の世界、そしてあなたの世界を。この世界を、そしてここではない世界を」

 母の瞳も〝やはり〟真っすぐだった。

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