少年、少女、未来。
メガネ4
第1話 星に願いをしてみよう
1 星に願いをしてみよう
「昔から人間は常に無力だった。陽の中ではさらに無力だった。人間は強者の餌として運命付けられた一匹の生物として、木の陰に怯え、葉の影に震え、他者に恐れを抱き生きていた。いや、『生きて』は適切な表現では無い。『死なず』、『消えず』にいたと表現した方が適切な筈だ。それ程、惨めな弱者だった」
少女は言葉を続ける。
「喰うより喰われ、追うより追われる弱者にとって生きる事は目立たぬ事、隠れる事だった。その為には陽より闇が望ましい。人間は陽を避け、闇の中に隠れた」
闇に溶け込んでいるのは少女の現状である。
「闇の中で長い時間が過ぎた。陽を忘れるには十分な期間だった。その間、人間は地べたと汚れきった自身の足を眺め続けた。視野を狭め、世界を縮小する。それによって恐怖に満たされた現実世界を最小限に留める事が出来た」
言葉を止め、少女は自分の足元を見る。闇。何もない空間。少女が両足をバタつかせると宙に浮かんだ身体がぐらり、ぐらりと寄れる。
「だが、ある瞬間、人間は己の足元に違和感を覚えた。闇の中でも自身と同調し、活動する存在に気が付いたのだ。この薄っぺらで地面を舐めるモノは何だ? コイツは乾いた砂の上、沈む泥地、突き刺さる岩肌などを意にすることなく付きまとう。この黒い存在は何なのだ? 」
軽く息を吐き、少女は天を仰いだ。そこには数え切れないほどの星があった。少女はそれに向かい手を伸ばした。星々の明るさで掌に明暗ができる。
「影は証だったのだ。恩恵を与えられているという証。輝きは手段だったのだ。恩恵を受けるための手段。星は福音を与え続けていたのだ。輝きを受ける価値のある者。つまり、生きる全ての者に。そして、人間はそれに気が付くまで長い時を無駄にした」
少女は伸ばしていた手を下した。長い髪が風を受けなびいた。
「闇を貫く星々の輝きが只の生物を人間へと変えた。いま、ここに私がいるのも星々の恩恵でしかない。感謝、感謝、感謝」
少女は頭上の星々を仰ぐ。そして祈った。
「夜空の星に願う」
人間となって幾億年の間、人間は星に願い、様々な困難を超えてきた。もはや遺伝子に刻まれた習性と云っても良い。
「あっ」
少女は叫びをあげた。無限の宙を星が滑り、彼方へと消える。彼女の願いが叶う前兆なのかもしれない。
少女は星の消えた先を見続けた。そして、唾を吐き出す。
「なーんつって。お星さまにお願いして済む事だったら、アタシ等、無敵だってーの」
少女の名はミキコ。フニラ王国の軍師である。
「全く以て、畜生だぜ。自らの隠密行動がこの結果か。しくじったなぁ」
崖の途中に突き出た一本の枯れ枝に襟首を捉まれ、ミキコは呟いた。
「あ~あ、誰でも良いから『助けてミキコ』かなぁ。お星さまは当てにできないし」
頭上からパラパラと小石が崩れる。命綱となった枯れ枝の踏ん張りも限界の様だ。現実にカウントダウンが始まってしまえば、説法も経典の教えもすべてリアルフィクションに変わる。
― お星さまにお願いなんて、おとぎ話でしかないのかなぁ。
他人事ならスリリングに胸をトキめかすこの状況も、自身に降りかかれば目を背けたくなるほどの厄介事でしかない。危機感の無い風がゆるゆると髪を揺らす事でさえも、ミキコには余計な事と思われた。
「私はいつまでこうしていられるのだろう」
カウントダウンが始まり、この状況からの脱却は近いうちにできるだろう。が、それがミキコの望む形である可能性は限りなく低い事は間違いが無い。
望まない状況までもを望んでしまう。今のミキコは複雑な心境であった。
周囲の闇はそんなミキコをじっくりと包む。人間が人間となっても闇は敵では無かった。弱くか弱い生物に戻れば、闇はいつだってその懐に匿ってくれる。
だが、闇が去る時刻が来たようだ。その前兆である草、木、枯れ枝でさえも沈黙する静寂の刻をミキコは感じた。
― ん?
その途端、闇が消えた。そして光が現れた。
「マジか。夜明けかよ」
ミキコの眼下には輝き、色彩を帯びた世界が広がりはじめる。闇の一色ではない世界は少しだけミキコの心情をポジティブに代えた。
「けっこう、気持ちいいかも」
ミキコは眼を細め、風を感じた。心情が変わって風も光も悪くはないな、と思える。だが、心情は代わっても、現状に変化は全く無い。
こつり、とミキコの頭に転がり落ちてきた小石が当たった。その不自然な当たり方にミキコは何らかの意思を感じた。
「王子! 」
ポジティブ思考に目覚めたミキコは頭上を仰いだ。ヒロインの危機を救うのは王子であり、その後二人は結ばれるのが定石だ。だが、今回の脚本家はその定石を覆すことに決めたようである。
「けっ、カエルかよ」
表情を一転させ、ミキコは唾を吐き捨てた。
「お前なんて、お呼びでない! 」
お呼びでないと云われても、怪物ガエルには役割が有った。だからこの場に現れたのだ。
怪物ガエルはブヨブヨと膨れた舌を垂らし、ミキコをのぞき込む。
「ミツケタ」
ヘッドフォンのような機械を装着した怪物カエルが喉を鳴らした。開けた口は十分にでかいが、グロテスクな垂れ舌はもっともっと、デカかった。
「オマエガサイゴダ。クタバレ、コノヤロウ」
生きる者に平等であるべき福音は、当然ながら人間以外の生物にも与えられていた。この場合のミキコにとっては嫌がらせともとれる。
「テステステス。あ、我、最悪は継続中なり。って、冗談じゃ無いよ! グロカエルとの遭遇なんて、理想の展開から程遠い現実だなぁ。でーも、でもでも、負けなーいゾ! 」
ミキコは勇ましい叫びと共に剣を抜いた。その勢いは凄まじく、身体を吊る枝を折るほどだった。
「ウッツホー」
避けたかった状況が現実となり、その展開通りに落下するミキコ。無駄に手足をバタつかせるがやはり無駄で、そんなミキコめがけて怪物カエルが跳びかかった。
「ジャーンプ! 」
デカくなってもカエルはカエル。直線的で単純な動きは変わらない。そんな生物から逃れる事は容易いだろうと、ミキコは躊躇なく崖を蹴った。
「マズーイ! 不覚! 」
だが、すぐに自身の行動を悔やむ事となった。不覚と云えなくもないが、この場合は間抜けの方が適当であろう。今となっては、そんな訂正は無意味なのだが。
「戻れ―っ、戻ってくれーっ」
空中に飛び出したミキコは身をよじるが、翼のない身体では崖に戻る事は出来る筈が無い。当然、時間は戻らないし、リセットも出来ない。行動の結果は自らの元へと現実化してしまう。それが自然の法則なのだ。
― 考えろ。
瞬時にミキコはこの急場をしのぐ案をひねり出した。間抜けな一面もあるが、齢若くしてフニラ王国の軍師となった事は伊達では無い。
「カマーン。カエルちゃん、カモーン」
先程の動揺した姿を一転させ、ミキコは怪物カエルを挑発する。急場に動じない素早い変わり身であった。
これがフニラ王国史上、最速のスピードで立身したミキコの神髄なのだ。思考も行動も一瞬で転換できる。若くして重要な地位にまで上り詰めるには、能力と運、そして軽薄な人間性が求められる。
「カマーン! どうした? ん!」
グロガエル達はペタペタと崖を下り始めた。が、すぐに動かなくなった。
― ん?
ミキコはぎょろりとしたカエルの目玉に何らかの意図を見た。円い目玉の化け物に小馬鹿にされた気がしたのだ。
その時、大きな影がミキコの頭上を横切った。
「うわっつ、大物!」
影に気付いたミキコが叫んだ。視界には上空から突っ込んで来る巨大トンビが映る。黄色の嘴とトパーズ色に輝く爪がミキコの身体を狙っていた。
「あれは爪が痛い! さっきのグロカエルにしておけばよかったなあ」
上昇する風に煽られながらミキコはぼやいた。だが、ミキコは軍師として一群を率いる立場の人間だ。落下姿勢の状態で、勇敢とは云えなくもない姿で剣を構えた。
「ニャロー」
眼光を出来るだけ鋭くして、ミキコは襲ってくるトンビの眼玉を睨み付けた。
「とーりゃー !!! 斬」
気合一閃、剣の輝きが敵を射る。しかし、怪鳥と交差した瞬間、剣はどこかに弾き飛ばされてしまった。空中で身を翻した怪鳥は再び無防備のミキコを襲った。再度、怪鳥とミキコの姿が重なる。
「イッテー! このヤロー! アタシをフニラ王国のミキコと知っての所業か?」
次の瞬間、怪鳥の爪の中にミキコはいた。
「放せ、放せー、バーロー」
ミキコが叫ぶ。
「オ前ガ、ミキコ? 崖ノ上ニイタ連中ハ壊滅シタゼ。アンタミタイナ軍師ハ捨テテオケバイイノニ」
トンビの頭部にはカエルと同様の機械があった。
「馬鹿野郎!アタシが指揮をしていりゃあ、壊滅したのはお前達の方だ! 」
「ソノ実績ハ無イダロウ」
「てめえ! ケモノのくせに人間言葉を話すな! 気持ちが悪い! 」
「俺達ヨリ、オ前達ノ方ガ気持チガ悪イ。オマケニ下品ダ」
「ニャロー!焼き鳥にしてやる。今すぐ降ろせ! バーロー」
「ワカッタ。地面ニタタキツケテヤルヨ! 」
羽を閉じたトンビは急降下を始めた。ミキコの耳元で風が唸り、瞬く間に岩肌が剥き出しになった地面が目の前に迫った。
「ヤメロ! このヤロー 」
ミキコは身体を捩らせ騒ぎ、抵抗をする。だが、岩肌は速度を増して眼前に迫る。ミキコはその尖った岩々から目を離す事が出来ずにいた。
「アーッツ。うおーっ! イヤー! 超コワい」
痛みに耐えながら近づきつつある恐怖の源を見つめる事は、かなりの胆力を要する。叫び声さえあげてしまったが、それに耐えたミキコは豪胆と云えるだろう。
「グギャ? 」
消化不良を起こしたような意味不明の叫びを残し、トンビは地面に激突した。その衝撃によりミキコは爪の中から弾き出された。長い髪を振り乱し、固い地面の上を激しく転がる。
「いててててーな。この野郎」
頭を振りながら起き上がるミキコの左腕は力なく垂れ下がり、裂けた傷口からは血が溢れていた。
ミキコは怪我の無い片手で傷口を押さえ、怒気を感じさせる足取りでトンビに近寄った。この数分間で夜は完全に開けていた。闇が失せた澄み渡る空に、千切れた布切れがひらりひらりと舞っている。
「生モノしか食えないテメエらの方が断然下品だよ! 」
ミキコは地面に突き刺さるトンビに廻し蹴りを決め、唾を吐きかけた。
「人間様をなめるな、コン畜生! 」
蹴っても吐いても、気が収まらぬミキコの耳に、ゲコゲコゲコと音が届いた。
「まずい! 」
ミキコはグロテスク存在を思いだす。細めた丸目に小馬鹿にされた思いが、しっかりと蘇った。
「仲間に救われたな、アホウドリ」
再度、トンビに唾を吐きかけ、ミキコは仰ぐ。
「この位の怪我で、ミキコ様が逃げ出すとは思うなよ」
右手を腰に手を当てるが、いつもの感触が感じられない。見ると愛用の剣はそこには無かった。
「あれー? そういえば」
空中で抜いた剣を弾かれた感触が手に戻って来た。あわてて周囲を見渡すが、剣はどこにも見当たらない。
空手で再度、ペタペタと崖を下ってくるグロテスクカエル集団を確認したミキコはくるりと背を向けた。
「一時、撤退だ」
痛み始めた傷口を押え、ミキコは走り出した。
「アイツ、イナイ」
「イナイ、ドコヘイッタ?」
「サガセ! ミツケロ! コロロロロ」
目玉をぐるりと回し、カエル達は手がかりを探し始める。すぐに、黄緑色の縞を持つコガエルが皆を集めた。
「ココ、ミロ」
血痕だった。固い地面の上に点々と続いている。目を向けると険しい岩場を超えて続いている事が分かった。
「アソコ、ムリダ」
「ソウサクタイ、ツイセキブタイヲヨベ」
「ヨベ、ヨベ。コロロ~」
「クルル~」
「ジロロ~」
黄色のリーダーカエルの指揮の元、怪物カエルは合唱を始めた。彼らの合唱は固く、荒れ果てた地面を離れ、空気に融けていく。
強い日差しの澄み渡った空に大きく響き渡っていった。
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