空色

春野 穹

空の色

僕が彼女に出会ったのはもう数年以上前のことだった。


僕はその時サッカーの試合中に靭帯を切り心がかなり荒んでいた。

大好きだったサッカーは二度と出来ないと言われ、それどころか歩くのすら難しいとかまで言われた。

僕は未来と過去の努力が消え去り生き死人となった。

そんな日々の中でいつものように病院の中庭でただ空をぼーっと眺めている時だった。

「ここいいですか?」

少し後ろの方から女の子の声が聞こえた。

とっさに僕は振り返ったそこには杖を片手に持った同い年くらいの女の子がいた。

「えっと・・・どうぞ」

柔らかい笑みを浮かべながら、その女の子は僕の右隣に座った。

「私、随分と前からここの病院に通ってるんですけど、この場所って、日向ぼっこが気持ちよくて来る度にここでゆっくりしちゃうんですよね」

彼女はニコニコしながら言った。

「あなたも日向ぼっこですか?」

特に理由もない、なんていうのは少し味気ないと思うと、僕は適当に理由を付けることにした。

「空を眺めていたんです」

「空ですか?」

すると彼女は少し困った顔をした。

「私、生まれつき目が悪くて、空ってどんなものがよく分からないんです」

そう言われ、僕は自分のした失言に気づいた。

「気にしないでください、でもちょっと空って見てみたいです」

彼女はそう言いながらカラカラと笑っていた。

しかしその笑顔の中に見えた寂しそうな、そして羨ましがるような表情が僕の中に鮮明に刻み込まれた。

「空って水色なんですよ」

僕はなんとか彼女にそれを説明した。そこでまずは色から説明してみることにした。

「ごめんなさい、水色もわからないんです」「じゃあ・・・水色っていうのはとても明るくて、でも静かそうでそんな感じの色です」僕はこの時、いくら子供だったからとはいえ水色を説明するのが限りなく難しいことに気がついていた。

それから小1時間ほど僕は貧弱なボキャブラリーを使って色を説明した。

そうしてしばらく経ったところで見計らったように担当の看護師さんが僕に声をかけてきてその場はお開きとなった。

でも別れ際を片手に歩いていく彼女はこう言ってくれた。

「来週も中庭にいますから」

僕はその言葉を聞くとまだ不安定な足を踏み出しながら温かい何かを抱え病室へと戻った。


「えっと君だよね?」

彼女は人の気配を頼りにこの日も僕に声をかけてきた。

「うん、こんにちは」

「こんにちはちょうど一週間ぶりだよね?」僕達はそれから前回のように中庭で話した。

今日こそは空の色をそんな気持ちで僕はいた。

今回は下調べをし、自分でも使ったことがないような単語を並べ、一生懸命に説明した

「・・・ってことなんだよどうかな?」

すると彼女は小さく苦笑いを浮かべた

「ごめん、全然分かんないや」

僕はそれを聞くと少しがっかりしたが、不思議と落胆よりも次に生かそうという気持ちが大きくなった。

「次こそは分かってもらうよ」「頑張ってね」

そしてその日は彼女の方から僕のことについて質問してきた。

年齢とか趣味とか得意な科目とか、ただ彼女はなぜ病院にいるのかについては特に何も聞いてこなかった。

言いたくないことをさせてくれていたのだろうか。

少しだが2人の距離が縮まったところで彼女との2回目の雑談もお開きになった。

それから僕は入院している間いつの間にか中庭に来てしまう癖がついてしまった。

「だいぶ明るくなったよね」

いつも僕の事を呼びに来る看護師さんが、そういった。

「そうですか?」

「前より笑顔が増えたよねあの子のおかげかな?」

素直にそれを認めるのは少し恥ずかしかった、でもそれがおそらく理由なのだろうが。

「あの子もだいぶ笑顔が増えたし看護師としては嬉しい限りよ。それにあなた達が中庭で楽しそうに話しているのを見ると、何だか院内も明るくなってる気がするのよ」


それから彼女との雑談は続いた。

僕は一生懸命空の色を、彼女は僕についてのこと。

しばらくすると僕は晴れて退院となったが、それからも彼女が来る日には必ず中庭に座っていた。

「だいぶ私も色がどんなものなのか分かってきたような気がするの」

目の見えない彼女が本当に色を理解しているのかは分からなかったが、僕はその言葉を聞いて不思議な達成感に包まれた。

「色って見ていて幸せになれたり表現を豊かにできるみたいだけどね私は感情一番表せるものは色だと思ったの」

今まで僕の話を聞くだけだった彼女が自分の考えを言い始めたのだ。

「赤色って情熱的な色でしょだから怒っている時とか興奮している時の色だと思ったの。他にも緑色とかだって落ち着いている時とか集中している時の色なんだと思ったの」

そう言った彼女に僕は期待を込めて聞いた。

「じゃあ空の色は分かった?」

すると彼女は眉を寄せながら言った。

「それだけはわかんないの」

彼女は空を見上げながら言った。

「例えば太陽は暑いから赤っぽいのはわかるけどそれだけは感情でも感覚でも伝わってこないの」

「そっか・・・」

少し残念だったがここまでの進歩に僕は少なからず喜びを感じた。

「いつか君が空の色をわかるようにどれだけだって頑張るから」

すると彼女は少しだけ頬を赤く染めて小さく言った。

「それってこれからもずっと会ってくれるってこと?」

「もちろんだよ君が分かるまでだったら何度だって何年だって」

「そっか、ありがとう君は優しいね」その時の彼女の笑顔がどんな色よりも綺麗だったことを僕は未だに覚えている。


それから僕達の間には数年の月日が経った。


そして今でも僕らの雑談は続いていた。

しかし僕らの合う場所は中庭ではなく病室になっていた。

彼女の目の病気はだんだんと悪化していき確実に体を蝕んでいたのだ。

病気の進行によって彼女は入院することになった。

「あれ、いらっしゃい」

僕の気配に気づいたようで彼女はベッドから少し苦しそうに体を起こした。

「無理しなくていいから横になってて大丈夫だよ」

「別に体を起こすくらいなら。そんなことより今日はどんな話をしてくれるの?」僕はそう言われ自分のカバンの中から一冊の本を取り出しページを開いた。

「今日は趣向を変えてみジャックと豆の木にしてみたよ毎日小難しい本ばかりじゃ、僕が参っちゃうからさ」

こうして僕は時間があれば図書館や本屋に行き、空に関係しそうな本を見つけては彼女に読み聞かせている。

「こうしてジャックは幸せに暮らしたとさ。めでたしめでたし」

僕が本を読み終えると、彼女はいつもニコニコしながら小さく拍手をしてくれる。

「豆の木ってどれくらい高いんだろうね」

「雲に届く位だから、人間が何百人か肩車したくらいかなぁ」

「そんなに雲は高い所にあるんだね、やっぱり育ってすごいんだね」

少しずつであったが、彼女の体を操れていき、最近では呂律も悪くなっているような気がする。

そんな彼女の病気を治すことも、彼女の痛みを和らげることさえできない僕だから、こうして最後の時までに「空の色」知っていてほしい。

水色、そう言ってしまえばそれまでだけど、きっと空はそんな一言では言い尽くせない。

夕焼けに染まる空や、虹がかかった空も、僕は彼女に伝えたい。

「あなたは空のこと好き?」

「僕は好きだよ」

毎日のように空について調べているうちに、僕自身も、空の魅力に惹かれているのに自分でも気づいている。

すると彼女は少し恥ずかしそうに言った。

「変なこと言ってもいい?」

「常識のある範囲だったらどうぞ」

彼女は見えるはずもない僕とは反対側の窓の外を眺めながら言った。

「空って君みたいだよね」

「どういうこと?」

「私を包み込んでくれるところとか、見えないけど、コロコロが表情か変わったりするところとか、どれも素敵なところとか、それと・・・」

少し間を置いて彼女がこっちを向き、笑顔で呟いた。

「どこまで行ってもそばにいてくれるところとか」

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空色 春野 穹 @sorairo217

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