空蝉ハ望月ノ雫ニ濡レテ

志菩龍彦

第1話 ヒトガタ、起動ス

           ※


 神は土から人を造り、人は鉄からヒトガタを造った。


           ※


 大伽藍にも似たその空間は、海底のように暗く、深閑としていた。

 整然と並べられた展示物はどれも箱形の強化硝子で保護されており、その様はさながら墓標のようでもある。

 事実、過去の遺物であるそれらは、柩の白骨と変わりなく、違いがあるとすれば客観的価値の有無だけだろう。

「なあ、インターネットって知ってるか?」

 陽気な男の声が、静謐な空気を無造作に乱した。近づいて来る二人分の足音。二つの丸い光芒が闇を切り裂き、遺物達の姿を照らし出す。

「歴史の授業で習ったっスね。あれでしょ、戦前の、四十年くらい前の奴ですよね」

 答える声もまた男のものだが、完全に声変わりをしておらず、僅かに幼さを残していた。

 濃紺の制服に身を包んだ二人組は、懐中電灯を片手に空間の中に足を踏み入れた。墓泥棒ではなく、その逆の守護者である証拠に、警備会社の腕章を腕に付けている。

「それそれ。リアルタイムで世界中と情報交換出来たなんて信じられんよな」

「ヤバイ動画とかも見放題だったらしいっスね。良いなあ。使ったことあるんスか?」

「馬鹿。俺はまだ生まれてもいねえよ」

 無駄口を叩きながら、展示物に異常がないか、一つ一つ確認をしていく。今では物理的に、環境的に使用出来なくなった、かつての科学技術の結晶。沈黙してしまった機械群。

 それらは『戦後四十五年記念・科学技術と戦争』というテーマによって、二つに分類されて部屋の両側に展示されていた。

 片方にあるのは日常的に使われていた道具である。薄い鉄板のような情報端末。自動で車両を目的地まで誘導する装置。勝手にゴミを探知して掃除してくれる機械。

 そしてもう片方にあるのは戦争で使われた兵器である。軌道衛星と同期し、標的を撃ち抜く狙撃銃や小型の核ミサイル。戦術高エネルギーレーザー等の光学兵器。

「そんな時代に生まれたかったっスよ。うちの爺さんも、今は不便不便ってそればっか」

 情報端末を羨ましげに見つめながら若い方が言うと、もう一人は呆れたように、

「そりゃ便利だろうが、お前、これと戦争したいのかよ」

 そう言って、懐中電灯の光を、部屋の中心に展示されている物体へと向けた。

 闇の中に、一人の少女の姿が浮かび上がった。

 歳の頃は十五、六だろうか。鼻が少しだけ高く、瞳は玉蟲色、垂れ気味の目尻にある黒子が妙な色気を感じさせる。長く伸びた艶やかな髪は濡烏、銀糸の帯に紫陽花の柄入りの青い着物。そこから覗く手脚の膚は白磁の眩しさ。小首を傾げ、番傘をさし、腰を僅かに曲げた姿勢は、古き良き大和撫子の風情がある。

 彼女が何者なのかは解説板(プレート)が簡潔に教えてくれていた。

 解説に曰く――大戦末期の女性型ヒトガタ。

「本当に機械なんスか……好みのタイプなんスけど……」

 少女を見上げる若い警備員の口調は冗談めかしていたが、語尾が微かに震えていた。心中、美しいと思うと同時に、不気味さと不安も覚えたのだ。人間にしか見えない、人間ではないモノを前にして。

 ヒトガタと呼ばれる人造人間。金属の骨とシリコンの膚、電子機械の脳髄を持つ、人型の機械。人間によって生み出され、知恵を与えられ、社会に融け込み、その果てに人間に叛逆し、戦争を仕掛けた種族である。

「俺の叔父はこいつらに殺された。こいつも可愛い貌していやがるが、何人殺したか解ったもんじゃねえ」

 壮年の警備員は苦苦しげに言うと、もう一人の肩を小突き、懐中電灯でぐるりと展示物に光りを当てながら、

「此処にある便利なもん、全部こいつらとの戦争で使えなくなっちまったんじゃねえか。核をバンバン使ってよ、電磁波だの磁気だの狂わしまくった挙げ句がこの様だ」

 若い警備員は思わず身震いした。何かこの場所が途轍もなく忌まわしい場所のように思えてきたのだ。普段なら気にもしない、歴史の生生しい姿を目の当たりにして。

 着飾った少女のヒトガタが中央に配置されているのには意味がある。日常と戦争の丁度狭間に立つ彼女こそ、展示のテーマである「科学技術と戦争」の象徴なのだ。

「もう此処はいいだろう。次のとこ行くぞ。この博物館は広いんだからよ」

 男は肩を竦め歩き出したが、若い方は凝ッと少女を見つめたまま動こうとしない。目を何度も擦り、ギリギリまで顔を近づけて、何かを確認しようとしている。「何やってんだ」と背中を叩かれると、ビクリとして、蒼白い顔で振り返ると、

「いや、なんか瞬きしたように見えて」

「冗談言うな。光の加減でそう見えるんだよ」

 苛立たしげに舌打ちするが、彼もヒトガタに異変が起きていることに気が付いた。

 少女のヒトガタの姿勢が、さっきと微妙に違っているのだ。曲がっていた腰はすっと真っ直ぐ伸びており、顎が引かれ、貌は丁度二人を見下ろすようになっている。

 二人の体は硬直してしまっていた。眼前で起こっていることが現実なのか、それとも目の錯覚なのか解らない。夢でも幻でもないのならば、それは何を意味するのか。

 その時、決定的な変化が起こった。

 少女がゆっくりと右足を上げたのだ。

 次に左足をあげ、右足をあげ、つまりは歩行をしている。行く先には保護用の強化硝子があったが、彼女が掌を擦るように当てると、亀裂が走り、粉粉に砕け散った。

 少女は、自ら開け放った透明な檻から、軽やかに降り立った。まるで天女の如く。

 警備員達は、引き攣った顔で声にならぬ悲鳴を上げていた。逃げたくても足が言うこと聞いてくれないのだ。

 少女は円らな瞳で二人に一瞥をくれると、華奢な腕を無造作に振るった。

 西瓜の割れるような音がして、少女の頬にドロリとした赤い液体が付着する。何気なく指で拭うと、それはまるで頬紅の如く拡がった。

 微動だにしない人形と化した警備員達の間を、少女は優雅にすり抜けていく。

「お見事。問題はなさそうだね」

 突然、闇の中から、拍手と共に男の声がした。深夜の博物館には、客は勿論のこと学芸員もいない。雇われていた警備員は二人だけだ。

「では、次の段階に進もう。目的地は解っているね?」

 いるはずのない男は念を押すように問うた。少女は無表情で男を横目に見ていたが、淡い桜色の唇を開き、

「情報伝達速度に微少な遅延があるが、支障はない」

 鈴を転がすような心地良い、しかしまるで温かみのない声だった。抑揚はあるが、感情など微塵も籠もっていない。人間の模造品の声である。

「途中で一暴れすることも忘れないように。繁華街に丁度良いゴロツキ共がいる」

「十人程度懇ろに相手をしよう」

「久久の狩りだ……血が騒ぐかい? 君でも興奮するのかい? なあ、空蝉?」

 空蝉と呼ばれた少女は、男の言葉を無視して、番傘を片手に闇に融けていった。

 新たな遺物を迎え入れた大伽藍に再び静寂が戻る。

 ただ、クツクツと木霊する男の苦笑を除いては。


                               

                                  つづく


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