方角

プラのペンギン

方角

道に迷ったときにはいつも夕暮れだった。

 学校帰り、いつもと違う道で帰ろうと思ったら随分遠くに来ていた。ここがどこだかはわからないが、少なくともウチの近くに田んぼはなかった。道に迷うと田舎みたいなところに来るのは漫画の話だけかと思ってたけど、案外そうとも限らないらしい。

 今どき、誰だか知らない男子高校生に声を掛けられて不審がらない人はいない。でもとりあえず誰かに自分がどこにいるかくらいは教えてもらわなきゃいけない。だから俺は勇気を出してインターホンを鳴らした。

「はーい」

インターホンからは大人の女性の声がした。

「あの、道に迷ってしまって、その――」

「んー、ちょっとまっててねー」

「え、あの」

言い淀んでいるうちに、インターホンは切れてしまった。やはり怪しまれているのだろうか。そんなことをおもっていると玄関から女性が出てきた。奥さんって感じだった。

「道に迷っちゃったの?」

「えっと、はい迷ってしまいまして、ここはなんて場所ですか?」

「ここはC町だけど」

「え、あぁC町ですか。随分遠くまできちゃったな……」

「きみ、どこから来たの?」

「えっと、K町です。あのSプラザがあるところです」

Sプラザの情報いらなかったよな。なんで言ったんだろう。一言多い、いつも友達や家族から言われることだ。

「K町?それはまた随分遠いね。どうしてこんなとこまで来ちゃったの?」

とても言いづらい。でも嘘をつくのは苦手なんだ。わかりやす過ぎるから。

「新しい帰り道を開拓しようと思いまして……」

「ふふ、私も昔そんなことあった気がする。携帯は持ってるの?」

「携帯は、持ってないですね。家に忘れてしまって」

こんな日に限って忘れてしまったのだ。都合が悪すぎるような気もする。でもうちが留守のときに限って鍵を忘れることもあるし、こういうこともあるだろう。間が悪いというかなんというか。

「じゃあうちの電話使っていいよ。家の電話番号くらいはわかるでしょ」

「え、いいんですか」

「きみ高校生でしょ、親が心配するでしょ。だから使っていいよ。うちの子も高校生だからね」

「ありがとうございます!」

 人がこんなに優しいとは思ってなかった。K町はここよりずっと都会だから、今までのやり取りはできないだろう。「ごめんなさいね」で終わってしまうのではないだろうか。そしてありがたく電話をお借りした。

「はい」

聞き慣れた母のお外向けの声だ。

「お母さん、俺、たけるだけど……」

「猛?あんた今何時だと思ってるの!今どこにいるの?」

「ごめん……道に迷ちゃって、それで電話貸してもらってて」

「はあ、でどこなの今」

「……C町」

「C町!?」から始まり、長い説教が続いた。ほとぼりが冷めると母に家の人に代わりなさいと言われ、奥さんに電話を渡した。

「電話代わりました。近藤睦美むつみと申します――」

睦美さんっていうんだ。

 居間で待たせてもらっているが、随分長話をしているようで、かれこれ30分は経っている。母がご近所さんと話してるときも内容も話で長い間待たされたこともあった。やはり女性同士だとずっと話してしまうものなのだろうか。

「お待たせー」

睦美さんがご機嫌で居間に来た。

「猛くんって言うんだね。猛くん、今日は泊まっていきなよ」

「え?」

驚きの展開だ。まさか泊まっていくなんて、てっきり迎えに来るかと思ったけど。

「実はね、お母さんと私、中学の級友だったのよ。もうびっくりしたのよ。昔はみっちゃん、さえちゃんって呼び合ってた仲なのよ」

さらに驚きの展開だ。まさかそんな偶然があるのか。もしかして無意識的に母の級友を選んだのだろうか。

 その後数十分もの間、昔の母の話をされたが、今の母とさして変わらない気がした。

「で、だから今日は泊まっていきなよって」

どうやらここまでの話は前振りというか理由だったらしい。俺が押し負けて分かりました泊まっていきますと言うにはそう時間はかからなかった。

 お腹がぐうぅとなり、時計を見るとすでに午後9時を過ぎていた。睦美さんはその音を聞きそそくさと夕飯の残りを持ってきた。さあ食べて食べてと促されて、残さず食べるととてもうれしそうにしていた。すると今度は睦美さんの娘さんの話が始まった。20分程経ったとき玄関の開く音が聞こえてきた。

「ただいまー」

若い女子の声だ。娘さんだろうか。

玲菜れなおかえりー、ちょっと来て―」

まさかこの人僕にわざわざ紹介しようというのか。しかし泊まるということはお世話になること、自己紹介は礼儀だろうか。きっとそうだ。高橋猛です。お世話になります。高橋猛です。お世話になります。

「今日、この子泊まっていくからよろしくねー。お母さんの友達の息子なの」

「高橋猛です。お世話になります……」

僕のことを上から下まで見定めてから一言、「どうも」と会釈して二階に上がっていった。俺よりひとつ下で、成績優秀らしい。きっとモテるんだろうな、などと勝手なことを言ってはだめだよな。

 寝室は現在一人暮らしをしているらしい息子さんの部屋を使わせていただいた。バットやグローブ、野球選手のポスターがありおそらく野球部だったのだろう。後輩からの寄せ書きがある色紙などはとても良く見るものだ。教科書が積まれっぱなしできれいなままだった。あまり勉強はしない人だったのかな。ベッドは固かった。木枠の上に薄いマットレスが乗っているだけの簡易的なものだった。よくあるものだ。

 その日の眠りは不思議なものだった。慣れない環境で眠るっていうのはストレスが大きいもので、今まで見たものとは少し違うタイプの夢を見た。睦美さんと玲奈さんが夢に出てきた。息子さんは顔が分からないし会ってもないので出てこなかった。食卓を僕ら三人で囲っている夢だった。睦美さんから質問責めされる横で、玲奈さんが不機嫌そうな顔で黙々とパンを食べていた。なんとも気まずい食卓だった。妙にリアルでパンの味やコーヒーの香りを感じた気がした。

 目が覚めたのはいつもより大分早い時間だった。早起きは三文の得というが、眠いだけである。一時間ほど部屋を色々眺めていると睦美さんがやってきた。

「朝ごはん食べよ」

昨日と同じ屈託のない表情でやってきた。すぐ行きますと言って、少し身支度して居間に向かった。

近藤家の食卓は俺の夢と違って和食だった。ご飯と味噌汁と魚と漬物。我が家はパンとジャムに簡単な目玉焼きとベーコンかハムみたいな手抜きといえば手抜きな朝食だ。友達でもこれだけ変わるんだなあと思ったが、他人なのだから違うのは当然か。

 朝食の片付けの手伝いをしているうちに父と母が車で迎えに来た。母から一発殴られたが、それを見て玲奈さんがちょっと笑っていたので、嫌な気はあまりしなかった。

その後も時々近藤家に遊びに行くことがあった。睦美さんとも玲奈さんとも仲良く話すようにはなったが、別にそれ以上の進展はなかった。

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