第五十七話 失礼なのは貴方……ですわっ!
休日の朝。
一人寂しくレトルトパックの御飯を食べ終えると、玄関のドアからノックする音が聞こえた。
「はぁーい」
声を出して応じながら玄関へ。
丁寧だったノック音から察すると宅配員かセールスだろうと予測した。少なくとも身近の親しい人では無い。
俺は特に怪しむこともせずにドアを開けた。ところが視界に映ったのは向かい側のマンションのベランダ――つまり人影が見えなかったのだ。
あれ、まさかピンポンダッシュならぬノックダッシュ……? なんて思ったが、それは違うのだとすぐに気付く。目線を下ろすと小学生くらいの小さな女の子が立っていた。
「……貴方は誰ですの?」
「それこっちのセリフなんだけど……」
女の子は整った顔立ちをしているが、こちらを睨み付けるような鋭い表情はとても年相応の様には見えなかった。更に黒色のスーツを乱れなく着こなしていて、外見だともはや違和感を通り越して不気味の域に達していた。あと胸の大きさが子供らしからぬビッグサイズ。白色のワイシャツが窮屈そうだ。おかげで目のやり場に困る。
「使用人……ではなさそうね。それとも愛人……? いやいや、お嬢様に限ってこんな貧相な男を気に入るはずはないか……」
「あのー……」
若干、というか相当失礼な事を独り言のように呟く女の子だが、彼女が口にした言葉から考えると相手が何者なのかおおよそ想像がつく。
「志賀郷……の親族の方とかなの?」
「ん……? あぁ、私は志賀郷家のメイドとして雇われてるナタリーと申します。
「なるほど。えっと……ここは俺の部屋で、志賀郷なら隣の部屋だけど……」
「隣……? あら、これは失礼しました。我々が把握していた住所が間違えていたようですね」
淡々とした口調でさらりと一礼。さっきまでの鋭い目つきは収まったが、怒りもしなければ笑いもしない表情は幼い見た目とはそぐわない。
そういえばナタリーさんって志賀郷が前に言ってた『
「最後に申し上げておきますが、貴方……年上と話す時はせめて敬語くらいは使いなさいな。人としての基本ですわよ?」
「あ、えっと……ごめんなさい」
「きっと勘違いしていたのでしょうけれど……私は二十九歳と十八ヶ月ですから」
「…………それってつまり三十さ――」
「二十九歳と十八ヶ月です」
「……ごめんなさい」
強い語気で跳ね返されてしまった。怖い……。年齢を聞いたら尚更怖くなった。「ランドセルが似合いそうですね」なんて言おうものなら確実に息の根を止められるだろう。
もう目を合わせるのも億劫になってしまうが、それでも俺はナタリーさんに聞きたいことがあった。内容はもちろん決まっている。
「志賀郷に何の用があって来たんですか?
まさか引越しでは……ないですよね」
「ご主人様の許可が下りてない以上、私の口からお答えすることはできません。それでは」
冷たく一蹴されてしまった。もしかしたら俺、嫌われてる……?
ナタリーさんは「お前には用は無い」と言わんばかりに乱暴に後ろを向いてそのまま隣の部屋に移動する。
玄関のドアが
良かねぇだろ。
閉まりかけたドアに体重を預けて勢いよく外に出る。隣を見ると、ちょうどナタリーさんがノックをして志賀郷を呼び出している最中だった。
「……まだなにか?」
「いえ、お構いなく」
何が構わないのか自分でもよく分からないが、鋭い目つきのナタリーさんにとりあえずの返事。見た目小学生の女の子にビビりまくる男子高校生というなんとも不可思議な構図が出来上がっている。
部外者はさっさと引っ込んでろと内心思ってそうな顔で睨むナタリーさんに屈せず、俺は志賀郷が出てくるのを待つ。ナタリーさんも諦めたのか、こちらに文句を投げつける事もしなくなった。
「どちら様……ってナタリー!?」
「ご無沙汰しております、咲月お嬢様」
突然の訪問に驚く志賀郷に対して、ナタリーさんの声音はとんでもなく優しかった。さっきまでの牙を剥いてた態度がまるで嘘のようである。
「貴方が来たということは……」
「ええ。先日お送りした手紙で理解されたかと存じますが、お嬢様にお会いしたいと申される方がおりまして」
「どうせあの人でしょ。私は断ってるのに……しつこいですわね」
「まあそう仰らず。志賀郷家に相応しい由緒正しき家柄のご子息だと私は思ってますよ」
「それは名家の血を引いてるだけだからでしょう? 私はあの方の顔も見たくないのですけど」
きっとこれは……前に志賀郷が言っていた
ただ……。見合い相手に拒否反応を示した志賀郷を見て俺は不思議と「安心」という感情を抱いていた。仮に志賀郷がその人に好意を抱いたとしても、今の生活がすぐに変わる事は無いはずなのに、何故自分はこんなに安堵しているのだろう……?
「ですがお嬢様。もう御食事会の準備はできておりますので、今更断るのは少々無理がございます」
「なにそれ……まさか私に非があるって言いたいのですか? そもそも当事者の許可も取らないで勝手に話を進めるのが悪いと思いますわ」
「仰る通りなのですがお嬢様……。これもご主人様の意向なのでどうかご容赦を……」
「はぁ……。ほんといつも強引なんだからあの人は」
ドアから顔だけを覗かせる志賀郷はやれやれと大きく溜息をつく。そして若干の間を置いた後、ようやくこちらの存在に気付いたようだった。
「狭山くん……! もしかして今の話、聞いてましたか?」
「まあ、一応……」
「そうですか! じゃあ少しお願いしたい事があるのですが……」
すると暗い顔が一転。志賀郷は目を大きく見開いて嬉しそうにとことこと駆け寄ってきて俺の背中に回り込んだ。
「志賀郷……!?」
「ごめんなさい。ちょっと……頼らせていただきますわ」
耳元で小さく囁かれる。なにこのこそばゆい感覚……。しかもかなりの至近距離に居るのか、背後から志賀郷の体温がじんわりと伝わってくる。やばい……途端に緊張してきたんだけど……。
ただ、同時にナタリーさんの表情は段々と曇っていく。
「お嬢様……。一体何をなさっておられるのですか」
「この方は私と同じクラスの狭山くん。貴方達に追いやられてからの私を色々手助けしてくれた恩人ですの」
「えっと……。まず、お嬢様を追いやったのではなく、家の存続とお嬢様を守る為に行った苦肉の策という事を申し上げておきます。そして狭山君――ですか。まさか私にタメ口を使うだけではなく、お嬢様の隙を狙って干渉するなんて失礼にも程がありませんか」
冷めきった目で睨まれる。もう俺の印象が最悪になってるじゃないか……。
「ナタリー! 失礼なのは貴方ですわよ。自重しなさい」
「しかしながらお嬢様。私共が世話役を送り込まなかったとはいえ、どこの馬の骨かも分からない男に心を許すのは危険極まりない行為です。もしお嬢様の身に何かあったら……」
「結果的に助かりましたから別にいいでしょう? 無責任な貴方達にとやかく言われる筋合いはありませんわ」
後ろから志賀郷のイライラとした声。俺は読んで字のごとく板挟みとなってしまっている。すごくきまずい。
「ではお嬢様。話を戻しまして、食事会の件もございますからまずは社交の場に相応しいお洋服に着替えましょう。不平不満はその後に仰ってください」
「はいはい。じゃあ着替える前に一つだけ……」
すると俺の両肩に志賀郷の手が乗る。うわ心地良い……なんて変態チックな気分に浸ると同時に志賀郷の力強い声が響いた。
「私を食事会に連れていきたいなら狭山くんも参加させなさい。彼と一緒じゃなければ私はここから動きませんわっ!」
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