第三十五話 狭山くん凄い景色……ですわっ!

 自宅の最寄り駅から地下鉄に乗り、今は乗り換えの為に東京駅の十番ホームに来ていた。ここから東海道本線でひたすら静岡方面に進んで実家に帰る形だ。


 列車が来るまでの間、志賀郷は興味津々な様子で辺りを見回していた。だが、視線はやがて正面を見上げた所で固まる。


「あの新幹線、北海道まで行くんですの?」

「そうだな。昔は青森までしか行かなかったみたいだけど」


 高台になっている奥側のホームには緑色の車両が特徴的な東北新幹線が停まっており、行き先表示の画面には新函館北斗と表示されていた。あの車両も数時間後には北海道にいるのだと思うと中々に感慨深い。


「なるほど。では、これから私達が乗る新幹線はどこまで行くのですか?」

「ん? 新幹線は乗らないけど」


 そもそもここは普通の電車のホームだし……と志賀郷に言っても通じないのか。


「え……。乗らないのですか……」

「いやそんな悲しい顔されても……。安く済ませたいし、電車でも十分帰れる距離だから」


 志賀郷はてっきり新幹線を使うのだと思っていたらしく落ち込んでいるようだった。気持ちは分かるが、金が無い貧乏人は時間をかけてでも安さを選ぶものなのだよ……。


「そうですか……。新幹線に乗れると思って楽しみにしていたのに残念ですわ……」

「……乗ったこと無かったの!?」


 マジっすか。セレブ(だった)志賀郷なら「旅行はいつも新幹線のグリーン車でしてよ?」とか言いそうなのに。意外な反応である。


「ええ、今まで移動は車か自家用ジェット機の二択でしたので。流石に鉄道を買い上げることはしなかったですからね」

「……なるほど。やっぱり住む世界が違ったんだな」


 金持ちのスケールがでかすぎて笑える。自家用ジェットってなんだよ。ファーストクラスじゃ物足りないっていうのかよ。


「だから私は狭山くんのような方達の生活にも興味があるんです。あぁ、新幹線乗りたかったですわ……」

「まあ……。バイトしまくって余裕ができたら考えてもいいけどな」

「本当ですか!?」

「お、おぅ……」


 食い付きが凄いな。そんなに乗りたかったのか。なんか小さな子供みたいで可愛い……かもしれない。


「では、お金を貯めてからまたご実家にお邪魔しなくてはなりませんわね!」

「……別に俺の家じゃなくても、普通に旅行とかで良くないか?」

「旅行……それってその……デ、デートみたいになってしまうではありませんかっ!」

「四谷や石神井先輩辺りを誘えばいいと思うんだけど……」


 どうせ旅行に行くなら人数が多い方が楽しいだろう。それに、志賀郷と二人で出掛けたら妙に緊張して旅行どころではなくなりそうだしな。


「た、確かにその通りですわね。すみません、私ってば何を思って……」


 志賀郷は顔を真っ赤にして俯いてしまった。やっぱり俺と恋人のフリをしたり、二人きりになるのは嫌なのだろうか。――嫌だから恥ずかしがってるんだよな。顔立ちも良くなければ金持ちでも無い奴の相手なんて好んでするはずがないし。


 そんな当たり前の事なのに……。少しだけ残念に思っている自分がいた。



 ◆



 長い十五両編成の列車は都心から郊外を抜け、海岸線を縫うように進んでいく。当初、混雑していた車内もすっかり空っぽになってしまった。

 襲いかかる眠気と闘いながら外の景色を眺める。そして、自動放送が「根府川ねぶかわ駅に到着」と伝えてきたところで俺は軽く身支度を整えた。


「よし、降りるか」

「え……。ご実家まではまだ距離がありますわよね?」


 きょとんと目を丸くする志賀郷に小さく頷いて返す。確かにここはまだ目的地ではない。いわゆる途中下車ってヤツをしてみようと思ったのだ。


「次の電車が来るまでの休憩だよ。ずっと座ってても疲れるしな」

「なるほど。これも貧乏人の知恵なのですわね」


 少し違うと思うのだが……。まあ、志賀郷が満足そうにしてるから別にいいか。



 列車のドアが開き、一時間半ぶりの外界に降り立つ。小さな駅である為か、他に降りた乗客は誰もいなかった。


「おぉ……! 狭山くん、凄い景色ですわっ!」


 開口一番、志賀郷が感嘆の息を漏らす。これは予想通りの反応だ。


 この根府川駅は海岸と崖の狭間に位置しており、ホームからは雄大な相模湾を一望することができる。海の見える駅、として割と有名な観光スポットになっているらしい。

 予め調べておいたけれど、帰り道の途中だし休憩のついでにはうってつけの場所だな。


「今日は晴れで良かったな。すげぇ綺麗だ」

「ですわね……。あれはヨットでしょうか。気持ち良さそうですわ」


 広がる海を指差しながら俺の隣ではしゃぐ志賀郷。今日はいつもよりテンションが高いようだ。おかげで高貴に振る舞うお嬢様らしさが皆無である。


「金持ちの遊びだよなぁ。憧れるけど経験できる気がしない」

「ふふ。ならば私の家の権力を使って豪遊旅行でもプレゼントしましょうか?」

「……家賃三万の貧乏人に言われても説得力無いな」


 ウェーブの金髪を見ればセレブ感はあるけれども。ただ、志賀郷は怒りもせず「その通りですわね」と楽しそうに笑いながら返した。やはり上機嫌なご様子である。


 それから俺達はゆっくりと移り変わる景色を言葉を交わすことなく眺めていた。聞こえてくるのは海鳥の鳴き声やそよ風に揺れる木々の音ぐらいで、大都会の喧騒とは真逆の環境だ。心が洗われるようで気持ち良い……。



「あの、狭山くん……。少しだけ……私の我儘わがままに付き合っていただけますか……?」


 暫しの沈黙が流れた後、不意に志賀郷が口を開いた。先程の無邪気な表情とは打って変わって、ほんのりと頬が赤く照れているように見える。可憐なのは勿論、嫌でも心臓が跳ねてしまうような、そんな姿だった。


「なんだ? 俺で良ければなんでも構わないが……」

「ありがとうございます。では……。狭山くんの手、お借りしますわね……」


 すると志賀郷は空いていた俺の左手にそっと手のひらを重ね、優しく握りしめた。


「え、ちょ…………!?」


 いきなり何してるの!? えっと……今から二人で仲良く飛び降りるとか……? 駄目だ。思考回路が滅茶苦茶になってる。


「すみません……。なんだか今の雰囲気ってデ、デートっぽいなって思いまして……。ご実家に帰る前に恋人の練習ができたらいいなと思い……」


 なるほど。男女二人で海を眺めるなんて如何にもなシチュエーションだもんな……。周りに人はいないし、それ恋人らしく振る舞う予行練習と考えれば妥当なのか……。納得できるけど、素直に納得してはいけないような気がする。


「うわぁ……」


 我ながら情けない声が漏れる。ただ手のひらが触れ合っているだけなのに、志賀郷の緊張感や優しさが直に伝わっている気がして恥ずかしかった。それにしても小さくて柔らかな手だな……。


「あのっ……! 嫌ですよね、こんなの。もう離しますから……」

「嫌じゃない! だから……続けても大丈夫……」


 もはや自分でも何を言っているのか分からなかった。緊張し過ぎて空回りしてる。続けても大丈夫って……欲望漏れすぎだろ。


「……そ、そうですか。狭山くんは優しいですね…………基本的に」

「最後の一言が余計だぞ」

「だってたまに意地悪するじゃありませんか。貧乏お嬢様とか」


 少し余裕が出たのか、頬を緩めて答える志賀郷だったが、それでも顔には熱を帯びており恥じらいが残っているようだった。


「事実を連ねてるだけじゃないか。お嬢様だけど金が無い貧乏なんだし」

「それはそうですけど……。狭山くんが楽しそうにからかうのが気に食わないのですわ」


 志賀郷はふんっと顔を背けて分かりやすく怒る。しかし繋がれた手はまだ離れていなかった。


 恋人のフリをしているだけ、というのは理解している。だけど志賀郷は俺を嫌悪している訳ではなさそうだ。むしろ、俺が志賀郷を嫌っているのではと心配されるくらいの態度なのだ。それを知っただけでも俺は嬉しかった。嫌われていないと考えるだけでこんなにも安心するんだな。


「よし、そろそろ戻すか」


 列車の接近放送がホームに鳴り響く。このままずっと海を眺めていたかったが、二人でくっ付いている所を見られたくはない。大人しく手を解き、乗車の準備をする。


「これで少しは恋人らしくなれましたかね」

「そうだな。…………ほんの少しくらいは」


 あくまで恋人のフリをしているだけ。何度も自分で言い聞かせ続けていたが、天真爛漫な志賀郷を見ると心が揺らぐような妙な感覚に陥る。

 恋心は浪費の元なのだ。真面目に勉強して立派な企業に就職してお金を稼ぐ為にも、今は浮かれてる暇なんてない。気を引き締めて冷静になろう。

 小さく頷いた俺は一人決心するのであった。




===================

作中に登場しました根府川駅は東海道線では珍しい無人駅だったりします。

ホームからは勿論、車窓からも海の景色を楽しむことができ、よく晴れた日には遠くに伊豆大島も見えたり(したハズw)します。

新幹線で高速移動もアリですが、電車で窓の外を眺めながらのんびり移動するのも悪くないでしょう。

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