第十五話 褒めても何も出ない……からねっ!

「狭山くんのお隣さんに志賀郷さん……。それは凄いビッグニュースだねぇ」


 ここ数日間の経緯を一頻り話すと、石神井先輩は首を縦に振りながら驚いた表情を見せた。

 なんでも志賀郷咲月という名前は先輩が通う高校にも知れ渡っているらしい。関東有数の名門校の中でも頂点を極める志賀郷は『東京の華』なんて呼ばれてるんだとか。あのドカ食いお嬢様、かなり有名人じゃねぇか。


「でも困りますよ。自分だけの生活費でなんとかプラマイゼロになる収支なのに、志賀郷を助けるなんて無茶振りですって」

「そうだよねぇ。私達みたいな一般人と違って色んなところにお金を使ってそうだもんね」

「まあ確かに金のかかる奴なんですけど……」


 主に食費である。ファッションやアクセサリーにかかる費用ではなく……飯代がとんでもないのである。あいつ、食いすぎ。


「でもお金が無くたって人助けはできるよ。狭山くんは女の子に優しいし、愛の力でどんどん養っていこうよ!」

「そう言われましても……」


 さらりと反応に困る発言をしてくるな……。女子に優しくしてるつもりは無いのに。


「それでも現実的な話でお金に困ったら……。志賀郷さんもウチでバイトすれば良いんじゃないかな?」

「志賀郷がここで……?」

「うん! 夕方のシフトは人が足りてないし、もし入ってくれるなら店長も助かるって言うと思うよ」

「…………確かに」


 人手不足なのは事実だ。俺や先輩達の学生組はほぼ毎日シフトに入っており、誰かが休んでしまったら今日みたいに少ない人数で店を回すことになる。忙しくなれば時給アップ、なんて制度があれば人手不足万歳であるが、そんな理にかなったシステムがコンビニバイトにあるわけが無い。あと一人は追加人員が欲しいところだ。


「志賀郷さんがどんな人なのか私も見てみたいし……。良ければ誘ってみてよ!」

「わかりました。一応聞いてみます」


 仮に志賀郷がこの店で働くことになったら絵面が凄いことになりそうだ。レジの前に立つ店員は片や中学生風の童顔美少女、もう片方はスタイル抜群の可憐なお嬢様……。一部の客層が偏って押し寄せてきそうで怖い。地下アイドルのライブ会場みたいな状態になりそう。


「それにしても狭山くんのすぐ側に女の子が来るなんて……。今までの狭山くんはお金しか興味なかったから、これで少し変わるといいけどね」

「先輩は俺の親か何かですか……」


 芳子さんにも同じようなことを言われた気がする……。あくまで俺は将来の安寧を掴むために節約を心がけているだけで、女性に興味が無い人間ではないのだ。恋愛はコスパ最悪だと思っているけれど、そもそも俺は恋ができるほど優れたスペックを持ち合わせていないので無駄遣いする心配は無い。可愛いね、良い人だね、と思うだけならタダだ。適度な関係に留めておくのがコスパ最強。


「親じゃないけど保護者だと思ってるよ。両親から離れた場所で暮らす狭山くんをお姉さんである私がしっかり見届けてあげないとね!」


 言いながらえっへんと両手を腰に構える先輩だが、恐れながらとても年上のお姉さんだとは思えない。俺の心配をしてくれているのは非常に嬉しいのだけれど、見た目が幼いので背伸びしたい年頃の可愛い妹と言われた方がしっくりきてしまう。だがそれが石神井先輩に眠る癒しの源であり、大きな魅力に繋がっているのだろう。


「ありがとうございます。いつもお世話になってます」

「うむ。良い返事だね! 素直な子は私大好きだよ」

「……先輩の方が余程素直で良い人ですって」

「いやもうそんなことないってー。えへへ」


 少しだけおだててみれば先輩はすぐに照れてしまい、弾けるような笑顔が溢れ出てきた。あぁ癒される……。今日の疲れも先輩の治癒効果で帳消しになりそうだ。


「では先輩の顔を立てるためにも、俺が志賀郷をこの店に引き入れてみせましょう」

「狭山くんは頼もしいね! 優秀な後輩を持ててお姉さんは嬉しいよ」

「こちらこそ凄腕の先輩の下で働けて感謝しています」

「もうっ、狭山くんったら!」


 褒めても何も出ないよ、と髪を揺らしながらはにかむ先輩だが、こちらは十二分の元気を既に彼女から貰っている。充電はもう完了だな。


 きゃぴきゃぴと動き回る石神井先輩を眼下に店の外を眺めると、一台の三トントラックが停まっているのが見えた。あれはコンビニの配送業者の車だ。つまり商品の入荷――待ちに待った仕事の始まりである。


「三便が来ましたね。俺、台車取ってきます」

「了解。レジの護衛は私に任せて!」


 小さく敬礼ポーズを構える先輩を横目に、俺はカウンターからバックヤードへ移動する。もうひと踏ん張り……頑張りますか。



 ◆



 コンビニから歩いて帰る途中。無意識的にスマホの画面を開くと、一件の不在着信が入っていた。


「……もうそんな時期か」


 溜め息混じりに呟く。着信の相手は母親だった。


 今は六月なのだが、この時期になると両親から「夏休みは家に戻ってこい」と連絡が来るのだ。別に実家に帰ることについて抵抗は無いのだが、長時間電車に揺られるのが面倒という点と帰ってもすることが無いから気乗りはしないのだ。


 とはいえ両親の呼び出しを無視すれば、今の一人暮らしが続けられなくなる恐れがある。この生活は親からの信頼を得て成り立っているのだから、株主ともいえる親は無下にできない。俺は周囲に人や車がいない事を確認してから着信履歴の一番上の項目をタップした。


「……もしもし」

「涼介、調子はどう?」


 三コールで出た母の第一声はいつも同じだ。そして俺の返事もまた在り来りなものである。


「ぼちぼちってところかな」

「そう……相変わらず頑張ってるようね」


 母の安堵したような声が返ってくる。本当は志賀郷が隣の部屋に引っ越してきてぼちぼちどころでは無いのだが、余計な事を言うと芳子さんパターンのように面倒になるので口は閉ざしておくことにした。


「それで用件は何? 夏休みは予定通り戻るつもりだけど」

「涼介が今答えてくれたから用は済んでしまったよ」

「なら良かった」

「はぁ……。相変わらず素っ気ない子ねぇ。お父さんとそっくりだわ」

「俺は無駄な時間を過ごしたくないだけだ」

「そういう所なんだけどね。……まあいいけど」


 呆れたような深い溜め息が受話器から漏れてくる。雑談好きな母は俺の割り切った考えが受け入れられないようで、昔から「無駄話もいつか役立つ時が来る」と散々言われたものだ。

 もちろん俺だって多少の雑談なら付き合う。けれどそれはコミュニケーションの一環としてだからであり、度量を越えた会話は不必要だ。無駄話はその名の通り無駄なのである。


「外を歩いてるから長くは話せないし、もう電話切っていい?」

「バイト終わりだったの? なら疲れてるだろうしもう大丈夫よ。帰る時は連絡して頂戴ね」

「はいよ。おやすみなさい」


 欠伸混じりに別れを告げ、通話終了のボタンをタップする。やれやれ、これで仕事も一つ終了だ。


 スマホをズボンのポケットに突っ込み、夜空を眺める。晴れているが星はほとんど見えない。きっと無数に散らばる高層ビルの明かりで隠れてしまっているのだろう。


 でも実家に帰れば満天の星空が俺を出迎えてくれるはず。大して見たいとは思わないけれど、年に数回くらいなら拝んでやっても良いと思った。

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