第二章 貧乏お嬢様と学費補助

第十六話 これじゃまるで子供みたい……ですわっ!

 長い授業が終わり、疲れた体で帰宅すると志賀郷は当然のように後ろを付いてきた。玄関で革靴を脱ぎ、丁寧に向きを揃えて端に置く。

 そして黒いハイソックスの両足でぺたぺたと進んでから、おもむろに冷蔵庫横の戸棚を漁り始めた。お前は俺の家族か腐れ縁の幼馴染かよ。


「何故お前は俺の部屋に直行するんだ……」

「そんなの決まっていますわ。夕方の食事をいただく為でございます」

「ですよねー」


 逆に飯以外の理由で俺のプライベート空間に立ち入られても困るのだが。絶対に有り得ないけど志賀郷が俺に気があるとか……。絶対に有り得ないけど。


「……おかしいですわね。ここに味噌味のカップ麺があったはずなのですが」


 志賀郷は戸棚の下段を舐め回すように探っていた。いつの間に食料の保管場所を把握していたのか疑問であるが、それよりも志賀郷の体勢が気になった。膝を曲げずに屈んでいるためスカートが腰元に引っ張られてしまい、後ろから見ると細い裏ももと共に隠すべき布切れまで露になりそうなのだ。みえ、みえ……。いや、やめよう。見たら多分後悔する。煩悩退散。


 俺は志賀郷から目を逸らして一言呟いた。


「お前って……一人だと凄い危なっかしい奴だよな」


 寝坊して遅刻した件もそうだ。部屋の鍵はかけないしパジャマも乱れていた。その気になればいくらでも襲えるくらい無防備なのに、エロ本という単語を発するだけで顔を真っ赤にしてしまう純潔な美少女……。

 きっと志賀郷はお嬢様らしく過保護に育てられたのだろう。両親は育児放棄だと言っていたが、それでも専属メイドや他の大人達に守られていたに違いない。だが今は違う。守ってくれる大人は誰もいないのだ……。


「そうですか? 危ない目に遭った経験など一度もありませんけれど」

「そりゃそうだろうな」


 過去は良くてもこれからは分からない。呑気に首を傾げる志賀郷を横目に、俺は台所の方向を指差した。


「カップ麺ならこっちだ。味噌ラーメンは昨日食ったから無いけど、担々麺ならあると思うぞ」

「ありがとうございます。では早速準備いたしますわ!」


 素直な返事と共に長いウェーブの髪が大きく舞う。すっかり俺を信用しており、一日の大半を共に過ごしている志賀郷は現状をどう受け止めているのだろうか。誰も助けてくれない――違う。俺しか助ける人がいないけれど、不安で心が押し潰されたりしないのだろうか……。


「わからねぇな」


 苦笑いを作りつつ呟く。俺が志賀郷を守るんだ、なんて恐れ多くて言えないが、彼女が俺の部屋に入り浸っているからには相応の対処をせねばならない。『貧乏』という共通の秘密を守るために志賀郷のサポートをするだけ。そこに下心とかいやらしい感情は無いはずだ。


「この粉末スープは先に入れるのですね。危うく間違えるところでしたわ」


 カップ麺の側面に書いてある説明を細めた目で睨む志賀郷をぼんやりと眺める。今の彼女はお嬢様ではなく単なる食べ盛りの女子高生だな。



 ◆



「志賀郷……コンビニでバイトしてみないか?」


 リスのように頬張りながら麺をすする志賀郷に問う。


「わたし……もがっ……こん……ふがっ」

「飲み込んでから話しなさい」


 食事中に聞く俺も悪いと思うが、お嬢様らしく行儀の良い受け答えをしていただきたいものである。恐らくこれが志賀郷の素の姿なのだろうけれど、学校で見せる態度とのギャップが有り過ぎるので少し戸惑ってしまうんだよな。


「っくん…………。私がアルバイトですか?」

「ああ。自分で食う飯ぐらい自分で稼いでもらわないと困るし……」

「確かに……。でも私に務まるお仕事なのでしょうか。まったくの未経験ですけれど……」

「まあ大丈夫だろう。最初からできる人なんていないから」


 俺もバイト初日は緊張で心臓がはち切れそうになってたっけ。誰しも一度は通る道ではないだろうか。


「狭山くんがそう仰るのなら、きっと平気ですわね」

「……なにを根拠に?」

「狭山くんは嘘をつかないと私が信じてるからです」


 人差し指でぴしっと俺の顔に突き立てながら志賀郷が答える。俺はいつの間に絶対的信頼を得ていたのだろうか……。確かに嘘はついていないけれど……。


「脅すつもりではないが、あまり人を軽く信じちゃ駄目だぞ」

「もちろん承知しておりますわ。両親をはじめ、私の周りには何を考えてるか分からない危険な人が多くいましたの。ただ……狭山くんは私の秘密を守ってくれていますわ。信用に値するかどうかはそれだけで十分だと思いますよ」

「そ、そうか……」


 志賀郷の目は真っ直ぐ俺を見据えていた。どうやら発した言葉に嘘偽りは無いようだ。ここまで直球で答えられると流石に照れるぞ……。


「それに、狭山くんの顔を見ればすぐに分かります。お世話になってからまだ数日しか経ってないですけれど、狭山くんが良い人なことくらい私にはお見通しですわ。こうみえて私、様々な人と目を合わせてきましたからね」


 毎日のように訪れる来客で忙しかったのですよ、と付け加える志賀郷。腐ってもこいつはお嬢様なんだなあと改めて身分差を感じつつも、彼女の口元を見れば再び親近感が蘇ってきた。


「話に水を差すようで悪いが……。口に挽肉が付いてる」

「え…………うわ」


 恐らく、というか間違いなく担々麺を頬張っていた所為だろう。まあ素の志賀郷なら、これくらい抜け目があった方が安心するけど。


「は、恥ずかしいですわ……。これじゃまるで子供みたい……」

「おお、そしたらあだ名を変えるか? 貧乏お嬢様改め、貧乏お子様に」

「だからそれは私のあだ名ではありませんの! しかも貧乏お子様って……私の要素無くないですか」


 むむぅ、と分かりやすい表情で抗議する志賀郷に対し笑顔で返す。とりあえず、バイトの件は承諾してくれそうだし問題無いだろう。

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