第九話 可憐な私を無視するなんていい度胸……ですわっ!

「お待たせしましたわ」


 放課後。

 学校からの最寄駅で俺は志賀郷と待ち合わせをしていた。

 庶民の常識を知らない彼女を一人で帰らせるのは不安。でも二人で帰る姿を知人には見られたくない……という理由でこのような合流形式になったのだが、いざ志賀郷がやって来ると途端に緊張してくる。


 駅で女の子と待ち合わせなんて……まるでこれからデートに行くカップルみたいじゃないか。


「よし、行くか」


 俺は素っ気ない返事をした後、とことこと向かって来る志賀郷から逃げるように歩き出した。まだ近くに生徒がいるかもしれないから、数メートルの間隔を保ちつつ進んでいく。


「狭山くん、歩くの速いです……」


 後ろから呼ぶ声が聞こえるがそのままスルーしておく。心が痛いが……今だけは許してくれ。



 ◆



「もうっ。可憐な私を無視するなんて狭山くんはいい度胸ですわ」

「だからごめんって言ってるだろ……」


 自宅近くの駅に着いた頃には、志賀郷はすっかりご機嫌斜めだった。

 ここまで来れば知人に見られる恐れはほぼ無い。その為、隣に志賀郷を連れて歩けるのだが、先程までの冷遇さが気に食わないのか彼女は頬に空気を貯めてそっぽを向いていた。


「私は怒ってますの。もう狭山くんに話し掛けられても答えてあげませんから」

「あぁ、それは残念だな。…………今度コンビニで売ってる豪華なカップラーメンをご馳走してあげようと思ってたのに」

「え、何それ美味しそう。もっと詳しく教えていただけませんか!?」


 おい早速口聞いてるじゃねぇか。食べ物に関する話題だととことん弱いな。


「全然怒ってないじゃん。寧ろ嬉しそうじゃん」

「そ、そんなことありませんわよ? 私は今もお、怒っていますからねっ!」

「素直じゃない子にはラーメン奢らないけど?」

「ごめんなさい私が悪かったですわ」


 切り替え速いな。税込三百円程度の即席麺に釣られる元大富豪とかチョロ過ぎるだろ。

 細く整えられた眉を八の字にする志賀郷を見て俺は思わず苦笑いを浮かべるのだった。



 ◆



「そういえば狭山くん。私の部屋には何故かシャワールームどころかバスタブさえ備え付けられていないのですけれど、あれは俗に言う欠陥住宅というヤツなのですか?」


 志賀郷はもみあげから伸びる金髪をくるくると弄りながら不満を口にした。


「欠陥じゃねぇよ、あのアパートはコンパクトさがウリだからな。場所を取る風呂は付けられなかったんだよ」

「なるほど……。平民は入浴さえも満足に行えないのですね。知らなかったですわ……」

「いや今のは冗談だから。普通の家には風呂ぐらい付いてるから」


 危ねぇ。志賀郷の頭に極端な偏見が刻み込まれるところだった……。というか俺達庶民の常識が本当に通じないんだな。発言には気を付けないと……。


「なるほど。でもそうですわよね。あの家畜を飼う檻のような狭苦しい空間が普通ではないですものね」

「家畜って……お前もその家に住んでるんだけどな」

「今のは自虐ネタですわ。貧乏人はプラス思考でないとやっていけないのでしょう?」


 そう言ってにひひ、とほくそ笑む志賀郷を見て思った。こいつ環境の変化に慣れるのが速すぎではないだろうか。俺ですらボロアパートの生活に馴染めなくて半年くらいホームシックになったのに、志賀郷は既に貧乏人としての風格さえ感じる。褒めてないけど凄い。


「その通りだよ貧乏お嬢様。段々と様になってきたじゃないか」

「余計なお世話ですわ。あと話を戻しますけれど……」


 志賀郷は一瞬だけこちらを睨んでから続ける。


「狭山くんはどこでシャワーを浴びてますの? 私、昨日から髪が洗えなくて困ってますわ」

「ああ、そうだったな……」


 我が家に風呂は無いが、風呂に入れない訳ではない。代わりの手段があるのだが、それを志賀郷に教えていなかったな。


 とはいえ……。志賀郷の長い髪からは今も甘い良い香りが漂ってきている。バスタオルを持ちながら「お風呂上がりですわ」と言われても信じてしまうレベルだ。


「まず、家で済ませるならシートで身体を拭いて、髪は台所からお湯を出して洗うのが基本だな」

「なにそれ……凄く貧乏臭いですわ」

「貧乏だから仕方ねぇだろうが。あとでっかい湯船に浸かりたければ銭湯に行くといいぞ」

「せんとう……? 誰と戦うのですか?」

「その戦闘じゃない。温泉よりももっと大衆的で……お財布に優しい浴場だな」


 志賀郷クラスの大富豪なら知らなくても当然か。わざわざ銭湯に行かなくてもリゾートホテル並の浴槽が家に付いてそう(だった)し。


「つまり安い温泉って事ですのね。是非行ってみたいですわ」

「それなら早速今日行くか。志賀郷もしばらく世話になるだろうから挨拶しておいた方が良いだろう」


 近所にある銭湯はしょっちゅう通っているため、番頭や常連客とは既に顔なじみの仲だ。いきなり金髪美少女の志賀郷を紹介したらきっと驚くに違いない。


「挨拶ですか……?」と目を丸くする志賀郷の隣で俺は正面を見ながら密かに今後の展開を想像していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る