学園一のお嬢様が風呂無しボロアパートに引越してきたんだが

きり抹茶

第一章 貧乏お嬢様と食欲女神

第一話 お隣さんが同級生の○○……ですわっ!

 雨ざらしの錆びた階段に足を乗せると「ギシィ」と心臓に悪い音が辺りに鳴り響いた。

 足元を見れば赤黒に変色した鉄板が軋んでいる。所々虫食いのような穴も空いており、注意しなければ踏み外してしまう恐れがある。


「はぁ……」


 思わず溜息が漏れてしまうような装いの木造ボロアパート。恥ずかしながら俺、狭山さやま涼平りょうへいの住処である。実家から離れた高校に通うため一人暮らしをしているのだが、生活費を全て自分の稼ぎで賄っているので贅沢はできないのだ。


 実家は所謂いわゆる貧乏家庭。両親に多額の学費を負担させる訳にはいかなかったので、高校生ながら自立した生活を送っている。

 ちなみに学費は全額免除の待遇を受けている。少しでも金銭面で苦労しないように猛勉強の末勝ち取った報酬だ。


 外階段を上り、最上階(二階)の通路を歩いていく。ところが一番奥――俺の部屋の前に一人の少女が立っており思わず足を止めた。


「あれは……」


 自分が通っている高校と同じ制服を身に纏い、腰までかかる長いウェーブの金髪。シルクのような白い肌に映える深緑の瞳は見る者を惹きつける魅力を持ち合わせている。


 ――志賀郷しがさと咲月さつき。名門私立校で知られる京星けいせい学園において入学早々異彩を放ち続けている超セレブなお嬢様だ。俺とは経済的に正反対の彼女だが同じクラスに所属している。


「狭山くん……!?」


 足音に気付いて振り向いた志賀郷と目が合う。何故彼女がこの場にいるのだろうか。見当もつかない。


「志賀郷……か?」


 互いの名を呼び、互いに硬直する。もしかしたら志賀郷に声を掛けたのはこれが初めてかもしれない。いくらクラスメイトとはいえ近付くことすら億劫になる程の身分差だから、俺の名字を知っていてくれただけでも奇跡に近いと言えよう。志賀郷という少女は庶民とはまるで桁が違うとても高貴なお方なのだ。


「何故貴方がここにいるのかしら」

「それはこっちのセリフなんだけど……」


 俺に用があるはずなのに驚いた顔をされるのは些か疑問である。しかし両親以外の誰にも教えていない我が家を何故セレブリティな志賀郷が知っているのだろうか。


「何の冗談か知らんが、お前が立ってる目の前の部屋は俺の家だからな。冷やかしならさっさと帰ってくれ」

「…………え?」


 裏で強大な権力を持ってそうな志賀郷に目を付けられたらたまったものではないので、いち早く事態の収拾を試みたのだが、彼女は目を丸くしてこちらを見つめていた。頭の上にはてなマークが浮かんでそうなくらい腑抜けた表情だ。


「ここが狭山くんの御自宅ですの……?」

「ああそうだよ。貧乏で悪かったな。笑いたけりゃ笑え」

「…………えええええええ!?」


 お嬢様らしからぬ叫び声を上げる志賀郷に俺も驚く。叫びたいのはこっちだよ……。


「こ、こんな偶然……ありますの……? 狭山くんが私と同じ……」

「偶然……どういう事だ?」

「私、狭山くんの隣の部屋に引っ越してきましたの。それで、御挨拶に伺おうとしたのですが……」

「…………はい?」


 待て、志賀郷は今なんて言った?


 俺の隣の部屋に住む?

 築六十年の風呂無し木造ボロアパートに?

 学園一の大富豪兼美少女が……?



「はあああああああああ!?」


 志賀郷に負けじと叫んだ。叫ぶしかなかった。嘘だろお前……。道行く人が思わず二度見してしまうくらい衝撃的なボロアパートに天下のお嬢様が暮らすのかよ。どう考えても有り得ないって。


「志賀郷……何の陰謀だ? さては俺の行動を隅々まで調べて暗殺でも企ててるのか?」

「ち、違いますわよ! 私は狭山くんがここに住んでるなんて知りませんでしたわ」

「なら何故こんな誰も住みたがらないクソアパートに引っ越してきたんだよ」


 まあそんなクソアパートが俺の自宅なんですけどもね。家賃さえ安くなければこんな部屋今すぐにでも抜け出したいのだが。


「私の父さんが……倒産……しましたの」


 志賀郷は顔を俯けながら恥ずかしそうに呟いた。


「何それ? 唐突な親父ギャグをされても納得できないんだが」

「ギャグじゃないわよ本当の事なんですの! 私の両親は私を置いて夜逃げしてしまいましたの……」


 夜逃げって……実際に起こる話なのかよ。

 衝撃事実が次々と舞い込んで来るので思考が全く追い付いていないが、志賀郷の状況も只事ではないのは確かなようだ。


「家も車も全て売り払って、私の手元に残されたのはここの住所が書かれた紙と三万円だけでしたわ。もう……訳が分からない……」


 バッグから紙切れとお札を取り出し、悲しそうに嘆く志賀郷を見れば無闇に彼女を否定することはできない。俺は頭を軽く掻きながら状況の確認を行った。


「えーと……つまりご両親の身勝手で志賀郷は路頭に迷っていると?」

「その通り。私は親に見捨てられましたの……」


 志賀郷はうなだれて、今にも泣き出しそうな様子だ。教室で見る彼女はいつも気品と自信に満ち溢れていたが、今はまるで正反対。弱々しい見た目で触れたら砂山の如く崩れてしまいそうな程だった。


 なにか手助けできることは無いか……。気付けば俺は考えていた。貧乏節約大好きマンの力なんて要らないと一蹴されるかもしれないが、困っている女の子を見て見ぬ振りをする程俺は冷酷な人間ではない。相手の身分がどうであれ俺にできる範囲なら助けてあげたいと思う。


「もう私の人生はおしまいですわ……。誰にも知られたくなかったのに狭山くんが学園の皆に言いふらして、明日からきっと私は『貧乏お嬢様』と呼ばれるに違いない。あぁ、私の味方は誰もいなくなってしまったのですね……」

「いや待て待て! なんで俺がお前の事情をバラす前提なんだよ。言うわけないだろ」


 どんだけ鬼畜な奴だと思ってるんだよ。軽くショックを受けたぞ。


「本当……ですの?」

「ああ、誰にも言わないから。俺だってこの家の事は秘密にしてあるからな。寧ろ俺の情報をバラさないでもらいたい」

「そんな鬼畜な所業は致しませんよ。私をなんだと思ってますの?」


 いやあんた俺を勝手に敵認定しておいてそのセリフは無いだろ。……と言いたい所だったが明らかに落ち込んでいる志賀郷に悪意は無いと思えた。恐らく庶民と貴族では思考回路が異なるのだろう。我々の当たり前は志賀郷に通用しないことも容易に考えられるしな。


「貧乏お嬢様……って言ったら怒るか?」

「そりゃ怒りますわよ。いいですか、この件は他言無用でお願いしますね?」

「分かってるって、

「もうっ、狭山くんは意地悪ですね」


 からかうように答えれば、志賀郷も釣られてクスリと笑う。その表情は気品溢れる女性というよりも無邪気な子供に近くて非常に可愛らしかった。


「でも少しだけ安心しましたわ。これからは狭山くんが私の新たな召使いになってくれますもの。以後よろしくですわ」

「おい勝手に決めるな。そもそも俺を雇う金が無いだろ」

「いいえ、お金なんて必要ありませんわ。この美麗な私に奉仕できるのですよ? 無償でも喜んで引き受けてくれるに違いありませんわ」


 おっほっほ、と高笑いをする志賀郷。自分に自信持ち過ぎだろこいつ……。確かに志賀郷は可愛いし、お近づきになりたいとは思う。だが仕事となれば話は別だ。日々を生きるのに精一杯の俺が一銭にもならない労働をすると思うなよ。


「志賀郷、夢を見るのは今日までにしとけ。偉そうな態度を取ってるが、今のお前は持ち金三万円の学生ニートだからな」

「が、くせいニート……」

「ちなみに俺の所持金は現在六万五千円だ。こちとらバイトで生計立ててる独立者なんで。無職の貴方とは違うのですよ」

「ろ、ろくまん……! 見事に負けましたわ……」


 志賀郷は紙幣三枚を握りしめたまま膝から崩れ落ちた。なんだろうこの醜い争いは……。小学生の時、カードゲームで圧倒的な戦闘力の差で相手に屈服した思い出と状況が似ている気がする。


「ともかく、何か困ったら俺に聞きに来い。見返りを提示してくれたら助けてやる」

「くぅぅ……。やっぱり狭山くんは意地悪ですわ。でも…………ありがとう」


 潤んだ瞳でこちらを見上げながら笑顔を浮かべる志賀郷を直視すべきでは無かった。

 もっとお嬢様らしく可愛げの無い返事をすると思ったのに……滅茶苦茶素直になるじゃないか。


 俺はたまらず視線を逸らし「おう」と素っ気なく答えると志賀郷は満足そうに頷いた。

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