第113話

 小森翔太


 何の脈絡もない突然の質問に戸惑いを隠せない僕。

 気になる異性って……。


「いないんですか?」

「いないんですか……って、いくらなんでも脈絡が無さ過ぎませんか?」


「ご覧のとおり、私の彼氏さんは絶賛浮気三昧じゃないですか」

「うぐっ……」

「今回のことで一つわかったことがあるんですよ。恋愛って人を幸せにする一方でその裏には失望や絶望が潜んでいる危険な一面も孕んでいるだって」


「泉さん……」

 悟りを開いたように告げてくる泉さん。

 まるで金髪のお坊さんだ――なんて言ったら怒られるから言わないけれど、哀愁漂うその言動になんと言っていいかわからなかった。


「それでもやっぱり恋愛ってすごくエネルギーをもらえるというか、人生を色あざやかにしてくれるというか、まあとにかくモノクロだった視界に色が付くんですよ」


 恋愛には言葉で表現できない何かがある、とは僕も思う。

 いや、傍観者を決め込んで他人に踏み込まないお前に何が分かるんだって言われそうだけどさ。

 けど健吾くんの言動で泉さんの感情がものすごく揺さぶられているであろうことが何よりの証拠だと思う。


 最近こそ彼女の身に悲劇しか起きていないように見えるけれど、夏川さんとの一件が露見されるまではきっと温かい感情や嬉しい気持ちで心が満たされていたときだってあったんじゃないかな。


 これだけ感情豊かな女の子なんだからきっとそうだと思う。

 だからこそいきなり泉さんが恋話を始めた意図にもうっすら勘が働き始めていて。

 たぶん、彼女が僕に伝えたいメッセージは――、


「自分を脇役だと、どうせ相手にされないからと傍観者を決め込んでいませんか? もちろん無理に恋愛をさせるつもりはありません。現実逃避して翔太さんの恋愛に目を向けているわけでも、まして私が乗り換えるつもりでもないですからね? ただその……こんな目に遭っている状況で私から伝えるのも変な気はしますけど、たぶん恋愛って自分から動かないと一生成立しないんじゃないかって思うんです。この展望台カフェに足を運んだのだって次のステージに立つために来たんです。だからこれはお誘いです。そろそろ翔太さんも私と一緒に主人公になりませんか?」


 泉さんの提案に心臓を掴まれたような感覚に陥る僕。

 たぶんそれは見破られたくなかった一面を見事に言い当てられたからだと思う。

 泉さんと初めて出会った日のことを思い出す。


 彼女はうるんだ瞳で――でも決意のこもった眼差しでこう告げた。

『私は最後まで争います。だってこんなにも好きなんです。彼のたった一人になりたいんです。脇役モブのままじゃ終われない』と。

 

 間違いない。

 泉さんは二股された負け犬ヒロイン――脇役から脱しようとしている。

 主人公になろうとしている! その覚悟を確固たるものにするためにこの展望台カフェに来たのだ。


 それと同時に僕への叱責や激励も含まれていて。

 お前はいつまで傍観者を決め込んでいる。いつまで目を逸らして脇役でい続けようとしているんだと。


 考えてみれば夏川さんの偽装恋人に選ばれたのは僕が無害認定されたからだ。

 無味無臭の、それこそどこにでもいる平凡の少年だったから。特筆すべき点もなく、かといって突き抜けるためにこれといって努力してきたわけでもない。


 いつのまにか僕は『自分なんか……』と卑屈になって卑屈になっていた。だってその方が楽だから。

 本当はものすごく興味があるのに、好かれたいのに、でもそれが叶わなかったときにひどく傷付くから。落ち込むから。それが嫌だから。


 だから気が付けば僕は脇役になっていた。

 これなら何も手に入れられない代わりに失うこともないから。

 仕方がない、普通の少年だから、と最強の盾で自分を守ることができたから。


 でも――、


「何度も言いますけど、別にいますぐ主体的になれと言っているわけでも、無理に好きな異性を作ってと言っているわけでもありませんからね。ただ欲しなければ、手に入りません。後になってその人が自分にとってどれだけ一緒にいたかった人なのかと気付いても遅いんですよ?」


 僕は思い出してみる。夏川さんと偽装恋人をしていたときのことを。

 市内でも有名なとびきりの美少女の彼氏役。傍観者を決め込んでいたからこそ手に入れられた役得だったけれど、体験してみたら思っていたものと違っていて。


 異性の女の子と遊びに行くことがあんなに楽しみなことだとは知らなくて。

 気が付けばメッセを受信していないかスマホに視線が吸い込まれていて。

 世の中には普通のことしか起こらないと思っていたのに、夏川さんと偽装恋人をしただけで視界に色がついて。


 周囲から羨望と嫉妬で露骨な嫌がらせをされたり、言われたり。

 地に足をつけない生き方なんて一生縁がないと思っていたのに。

 それはまるで登山に億劫になっていた一人の冒険者のようで。


 僕には絶対に登れない、力不足だと勝手に決めつけて。

 でも、つべこべ言わずに登ってみたら、這いつくばってでも一歩ずつ進んでみたら。

 これまでの人生で見たこともない景色を一望することができて。


 これまでモノクロだった、心が弾むことなんて滅多になかった僕の心に「楽しい」という感情が芽生えて。


 もちろんこれが恋愛感情なのかどうかはまだ分からない。

 なんなら吊り橋効果のようなものかもしれない。

 けれど目を背けてきたことを泉さんに指摘されてようやく気が付いた。


 僕は夏川さんとの偽装カップルがまんざらでもなくて。いや、むしろ楽しかったんだ。

 あっさりとフェイク終了を受け入れてしまっていたのも変な期待をもたないように、自分を守るために自制心が働いたんだ。


 ああ、やっぱり僕には過ぎたまねだったんだ。似合わないことだったんだ。ようやく元通りになったんだって。


「あの……これから口にすることは泉さんだけの胸に留めておいてもらえますか?」

「もちろんです」

「不釣り合いなことも承知してるんです」

「はい」

「ただ思い出してみたら楽しかったなって、また味わいたいな、って思う自分がいて」

「はい」

「恋愛感情かどうかも分からないんですけど僕は――」


 ――


「なんかこうなるのを誘導したみたいに思われそうで怖いんですけど、当面の方針が決まりましたね翔太さん。私は健吾さんに――」


「僕は夏川さんに――」


「「――魅力的だと思われたいです」」

 見事に声がハモっていた。

「ふふっ。それじゃ『森泉』による略奪上等作戦開始ですね」


「言い方!」

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