第23話

 夏川 雫


「うわああああぁぁーんっ! !」

 健吾が到着するや否や、すがりつくように抱きつく私。

 気の許せる弟を目にした途端、張っていた糸が切れたように感情が溢れ出してくる。


 気が付けば私はパジャマ姿で泣いていた。

 この光景が他人の目にどう映るかなんて当然気にする余裕はない。

 私はただただ感情を弟にぶつけていた。


 大橋 健吾


「わかった、わかったから! ! ! だから泣くなって!」

 姉さんの家に着くや否や俺は困惑していた。

 おっ、おい……泣き喚くなら家の中にしろって!


 鼻水もこんなに垂らして……って制服に顔をなすりつけるんじゃねえ! びしょびしょになるだろうが!

 本当は文句の一つも言ってやりてえが、姉の変わり果てた姿にその気が削がれちまう。


 ……はぁ、仕方ねえ姉だな。

 ついこの前まで明鏡止水を体現した女がここまで変わるもんかね。

 心底小森に惚れちまった証拠だな。


 まっ、俺も彼女がいる身だ。異性を好きになる気持ちは理解がある方だと思う。

 なんにせよ恋愛経験がない姉のことだ。

 今回も勝手な思い込みなんだろ?


 ったくほんと世話が焼けるぜ。

 まっ、任してとけって。

 誤解を解くために



 小森 翔太


 うわああああああああああああああああああああああああああああああっ‼︎

 修羅場だ! 修羅場だよね⁉︎

 よりによって最悪のタイミングで見舞いに来ちゃったよ‼︎

 ええっ⁉︎ 進路希望調査票これどうしよう⁉︎

 

 アパートに到着すると夏川さんが慟哭しながらイケメンにすがりついていた。

 しかも彼女の口から「!」ときた。

 いくら僕が恋愛に無縁の非モテ野郎だからってこの状況が意味するところぐらいは理解できる。


 間違いない。痴情のもつれだ!

 ジッちゃんの名にかけて推理する僕。

 脳に電撃が走ったような描写がお似合いだ。


 全てを悟った僕は「真実はいつも一つ!」と内心で叫ばせてもらっていた。

 なるほど。急に学校に来なくなったのはこれが原因だったんだね。


 端的に言えば夏川さんは彼氏から別れを告げられていたんだ。

 それが悲しくて登校できないことはもちろん、食事だって喉を通っていないんじゃないかな?

 心なしか頬が痩せこけているもん。


 そっか……そういうことだったんだ……。

 偽彼氏フェイクとはいえ一応僕も夏川さんの恋人になった身。

 あの三ヶ月でクラスのみんなが知らないような一面だって僕はたくさん見てきた(と思う)。


 意外と可愛いものが好きだったりする夏川さんはやっぱり《氷殺姫》なんかじゃなくて。

 当然だけど一人の女の子なんだ。

 だからこそ僕は彼女の幸せを心から願っていて。


 夏川さんの彼氏も「!」って言っていたけど……本当に真剣に考えて欲しいな。

 好きな人との別れをあれだけ悲しむことができる女の子なんだから。

 僕は祈りながら踵を返すことにした。調査票はポストに入れておけば大丈夫だよね?


 複雑な心境のまま来た道を戻ろうとした瞬間。

「えっ? どういう……こと、ですか? 健吾さん」

 そこにはさっきまでの僕と同じように頭の整理が追いついていない女の子がいた。


 外見はなんというか守ってあげたくなる女の子みたいな感じ。

 百四十センチぐらいの身長に肩にかからない黒髪ショート。

 たぶん見る人によってはリス系女子を想起させると思うんだけど……。


 あれ、ちょっと待って。あの制服ってたしか夏川さんの彼氏と同じ高校じゃなかったっけ?

 僕がそんなことを考えている間にもその女子生徒は絶望と失望の入り混じった目で修羅場を眺めていた。

 ドスッとバックが手から滑り落ちる。


 ええっと……これってもしかして、もしかするんじゃない?

 本能が危険を察知した僕はこっそりと彼女の横を通り過ぎ去ろうとしたのだけれど、

「あの……ごめんなさい。少しだけお茶しませんか?」


 僕はその女の子に腕を掴まれながら逆ナンされていた。

 本当なら嬉しい場面のはずなんだけれど、僕はただ恐怖に打ち震えていた。

 だって、そこには表面上は笑顔なのに目の奥が一切笑っていなかったんだから。


 ――これは後になって分かることだけど彼女の名前は泉天使さん。

 夏川さんの彼氏の彼女さんらしい……ん? んんっ⁉︎

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