道を歩む。空が綺麗だった。
夜依伯英
第一話「外れた先に」
思いやりが大事だと、もっともらしい顔で教育者は言う。身近な人々を愛せよと、隣人愛は謳う。みんなが相愛協力すべきだと、博愛主義者は訴える。これは、それら全てへのアンチテーゼだ。みんながみんなを思いやれる社会なんて、理想に過ぎない。人間が未だ人間のままである以上、そんな社会は不可能で、どこにもそんなものはないのだから。人間は、人間だ。教育者も博愛主義者も宗教家も、未だ聞き及んでいないのだ。神は死んだということを。
思いやりなんてクソだ。一体誰を思いやるっていうんだ。陰口を言うことしか能のない無能どもか? それとも、人を傷つけて安心している家畜? そんな人間的な奴らに与える思いやりなんてに捨ててしまえ。唯一彼らに対して与えるべき情は、「死ね」というその一言に尽きる。可哀想な頭の猿どもに、死による救済を。思いやりや人権は、誰に対しても平等に与えられるべき? それが尊い? 弱者を強者と定義するための論理に付き合う必要はない。そんな馬鹿げた考えは投げ捨てろ。反平等人権主義万歳、だ。
こんな正しすぎる考え方の僕が学校に馴染めないことなんて、誰だって簡単に予想できる。その通り、僕は学校で浮いている。課題は提出しないし授業では寝ているのに模試で学年一位をとってしまったりするから、周りから疎まれるのも仕方ない。能力を隠すべきだとかいう道徳派の意見は、弱者の嫉妬から生まれたものだ。道徳、同情といった類のものはルサンチマンの集積であり、宗教によって正当化されてきた。日本人の多くは自らを無宗教だと言うが、実際は多宗教だ。日本人の生活に根ざしている神道や仏教を始めとして、儒学やキリスト教の考えも多少入っている。それなのに、なぜか日本人は宗教が嫌いなようで、武士道だとか、日本人特有の道徳心、和の心だとかいって名称を誤魔化している。馬鹿馬鹿しい。僕は文化としての宗教は、嫌いではない。それに縋る弱者が嫌いなだけだ。もっと言えば、そうするしかないような社会環境が。
中学時代から、僕は持病に悩まされてきた。悩まされてきたというより、僕の完全性を邪魔されてきた。起立性調節障害、血管迷走神経反射性失神、下痢型過敏性腸症候群、強迫性障害と、長ったらしい名前が並ぶ。そして秋は、僕の最も嫌う季節だ。起立性調節障害による脳貧血は、自律神経の乱れが原因で、それは気圧に影響される。つまり、気圧の差が激しい秋という季節では、僕の身体は思うように動かない。去年は中学三年生で、ちょうど受験の少し前といったところだったが、その頃に僕は起立性調節障害が酷く悪化し、特に十月はろくに学校に行けなかった。しかし幸運なことに、僕はそこそこ頭が良く、それは勉強に向けることのできるタイプの知能だった。だから、僕は一切勉強することなく、偏差値六十前後の公立高校に入学できた。ここで言いたいのは、頭が良い人間は学力が高いだとか、学力が高い人間は頭が良いとか、そういった保守的で無根拠なことではない。学力では頭の良さ、知能、知性は測れない。もちろん、IQもそうだ。「高知能者のコミュニケーショントラブル」はIQの差が二十以上離れると会話が成り立たないという論だが、知能差による会話障害はIQによって規定されるべきではないし、二十という数字ももっともらしいが、何を根拠にしているのか不明瞭だ。それに、何度も繰り返すがIQでは知能は測れない。
では、なぜ僕が所謂進学校――自称進学校だが――に行ったのか。それは、僕が学歴を立派な武器だと考えているからだ。学力や学歴自体に本質的な価値などない。しかし、アメリカ的なプラグマティズム、実用主義の観点でいけば、学歴は学歴社会において役に立つ。だから、僕は進学校に行った。しかし、理由はそれだけではない。大学で学びたいことがあったのだ。もちろん、大学進学の方法は他にもあるし、既存の大学入試システムが正しいとは思っていない。それでも、僕は大学で心理学が学びたい。だから、最も簡単な道を選んだ。それだけだ。思えば、それが間違いだったのだ。革新主義で才能主義、自由至上主義の僕が、普通科の進学校になんか行くべきではなかった。あんな猿どもと共に過ごすことになろうとは、中学生の僕は予見できなかった。
入学当初の僕は焦っていた。中学時代、所謂陰キャだった僕は、高校で変わろうと必死に友達を作る努力をした。片っ端から、周りの人に話しかけて、半ば強引に友達になった。そのお陰で、席替えをするまでは僕は友達が多い部類の人間として存在することができた。教室で馬鹿騒ぎをしたり、放課後に友達と駅前のカラオケに行ったりした。僕がそんなに焦っていたのはなぜか。それは僕が
そもそも、僕は人間が嫌いだ。基本的にほとんどの人間を嫌っている。数少ない同志や本当に親しい友人を除いては、僕は憎んですらいた。なぜなら、僕が素晴らしいと信じている人々の多くは大衆、畜群に批判され、迫害まで受けているからだ。僕の美の正反対をいく人々。多くの人間は異端を嫌い、みな等しく劣っていることを望む。少しでも他と違っていれば、彼らはその存在を憎み、同調圧力の下に陰口を叩く。そんな世の真理をよく心得ている僕が、人間を強く嫌う僕が、まるでこの社会の正しいピースのように存在し続けることなどできるわけがなかった。
当然の流れで、僕は学校を休みがちになった。僕は高校に通わなくても大学に行くだけの学力を身につけられると確信していたから、そういった面での心配はなかったし、実際に担任も学力が問題で進級できないことはないと言っていた。それでも、周りが期待する自分、自分が期待する自分と実際の自分との乖離は、僕の心を酷く痛めつけた。普通の人なら不愉快に思う程度で乗れないことはない満員電車に、僕は乗れない。普通の人なら気にせず生きていける接触に異常に反応して、洗浄しなければという強迫観念に脅かされる。家から一秒でも出たら、シャワーを浴びずにはいられない。どんなに強迫観念が薄れていても、外出後にシャワーを浴びずに自室に入ることがどうしてもできない。僕が他の人と同じように、或いはそれ以上に過ごせる場所は、インターネットだけだった。Twitterやインスタが、僕の活動の主な場所になった。どんなに実社会で落ちぶれても、「表現者でありたい」という思いだけは消えなかった。完全性へのコンプレックスも。僕はSNSで承認欲求を満たすだけで日々を浪費するようになっていた。それに、数日前に中学の頃の友人から送られてきた「お前まじでだるいな。病気なだけあるわ」という文章が、ずっと突き刺さって抜けなかった。信用していた学年主任からの、甘えという言葉が、鎖みたいに心を縛りつけていた。周りの視線、ひそひそと話す声、空気、それらが酷く恐ろしくて、僕は学校に行かなくなった。行けなくなった。
そんなある日、僕のもとにダイレクトメッセージが届いた。アカウントを確認すると、中学の同級生からだった。僕が付き合っている彼女に向けて投稿したストーリーに反応したみたいだった。そして、その同級生と話しているうちに、付き合っているのがネットで知り合った女の子であることがばれた。しかし、同級生の方もネットで知り合った男と付き合ったことがあるみたいで、そういったところは理解してくれた。当初は僕も、彼女ができた高揚感から、彼女への愛を溢れさせていた。でも、どうしても眠れない夜とかにその同級生と通話をしたり、DMでやりとりをしているうちに、彼女への好意が蓄積されていった。しかし、お互いに恋人がいたから、僕が冗談混じりに付き合って欲しいとか、彼氏にしてくれないかとか言っても、彼女は断った。理由はやはり、僕に彼女がいるからだった。
最初こそ、僕は冗談で言っていただけだった。でも、実際に会ったり通話したりして悩みを聞いてもらっているうちに、その同級生への好意は恋人へのそれを上回った。クズだと、自分でも思う。僕はどうしようもないクズだ。浮気性。そして僕は、その優しい同級生に依存していった。いつか彼女が僕に言ったように、病んでいるから優しくしてくれる目の前の子に依存しているだけ、なのかもしれない。それでも、僕は彼女が好きだと、そう思った。だから、中学卒業以来初めて会ったとき、僕は彼女にキスをした。会ったその日に、だ。正直泣きたかったけど、そのときは我慢した。彼女は抱きしめて、甘えさせてくれた。僕は彼女と一緒にいると、他の誰よりも安心感を覚えた。会ったことのない恋人よりも、確実に。そもそも、僕は今の恋人に告白されたとき、本当は振るつもりだった。「僕は君を幸せにできない」なんて言って。実際、それは本心だった。だからこそ、「こうして話せてるだけで幸せ」っていう言葉に、僕は負けてしまったのだ。
恋人を裏切ってした初めてのキスは、心が解けてしまいそうだった。いきがって突っ込んだ舌は背徳感で包まれた。彼女の身体は、温かかった。人の温もりは忘れられない。僕は、彼女に依存していった。電車の中で、パーカーで隠された僕は彼女に体を預け唇に指を伸ばした。彼女の胸元に顔を埋めて、鎖骨に舌を沿わせた。ぎゅうっと抱きしめて、僕の心を預けた。温もりが優しすぎて、なんだか泣きそうだった。彼女は僕が普段感じているプレッシャー、周りからの期待に押しつぶされそうな僕のことを本当に理解してくれた。初めて、ここまで分かってくれる人に出会った。その喜びが、怖かった。幸せは永遠じゃないってことくらい、僕だって分かっていたから。幸せを知ってしまったら、絶望が絶望であることを理解してしまう。それがどうしようもなく怖かった。彼女に会った夜は、いつも哀しげに星が綺麗だった。
家族ですらも、僕の病気を理解してはくれなかった。学校も僕の扱いに困り果てていたし、クラスメイトは僕を侮蔑した。僕が自己陶酔依存症になってインスタに自撮りをあげるようになると、他校の生徒にも陰口を言われた。最も信頼できる友人たち――その殆どが中学のときの部活仲間――くらいしか、僕をまともな人間として扱ってくれなかった。彼らですら、完全な理解をしてくれるわけではなかった。恋人は理想論を語り、優しさで僕を傷つけた。過敏性腸症候群だけを説明していた祖母には「なんだ、元気で学校行ってるのかと思ったよ。お腹痛くなっちゃうの?」と言われ、僕は期待に添えなかったことを酷く批判されているようで「うるせえ」と怒鳴った。祖母の家からは歩いて帰った。家はすぐそこだったが、とても長い道のりに感じた。綺麗な半月を見上げながら、涙を零した。空気を読んでくれない綺麗な夜だった。そんな地獄で、僕はやっと自分を理解してくれる人と出会えた。心の底から切望していた理解者。僕の核を理解して、優しく慰めてくれる人。
でも、その人には彼氏がいて、僕は彼女がいた。どうして、彼女に告白される前にその人とこういう関係になれなかったのか。僕は神を憎んだ。自分が死んだと結論づけた神を。それでも、僕は神に――ラプラスの悪魔なら視ているはずの運命に――抗う決心をした。それは賭けだった。自分を確実に想ってくれる人を捨て、そうでない、自分を捨てるかもしれない人を選んだ。それが僕の愛だった。人はそれを、愚かな選択だと言うかもしれない。それでも、別れを切り出したあとに後悔なんて残らなかった。恋人だった人に「大っ嫌い」と言われても、僕はそうかとしか思えなかった。既に終わっていたのだ。最愛を、見つけてしまったのだから。
僕は不安ながらに信じていた。彼女が彼氏と別れて、ちゃんと僕を選んでくれると。陳腐で稚拙な表現だが、僕は運命すら感じていた。そして、それを言語化することを恥じないくらいに、僕は彼女への愛に溺れていた。そして、その想いは実った。彼女が別れたことをLINEで教えてくれたとき、僕は涙が零れそうになったし、心が躍ってどこかへ行ってしまいそうだった。ちゃんと付き合うということになったとき、僕は彼女を幸せにすると心の中で強く誓った。彼女となら、僕も幸せになれると思った。できるできないじゃなく幸せにしたいと思えることが、本当の愛なんじゃないかと、そう思う。
彼女の隣で見る月は、いつだって綺麗だった。ずっと綺麗でいてほしいと、強く思った。
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