第80話 備える者たち
アイビストライフの仮説司令部に儲けられた巨大スクリーンに、ゲートシップの航跡が表示されていく。
急増の狭い司令部に大きな歓声が上がった。
「司令、ゲートシップのリフトオフを確認しました!
真人さんたちはキュリオスを退け、トゥイーちゃんも保護したとのことです」
「守備隊からも連絡です。
敵の撤退を確認、周囲に敵影ナシ!」
立て続けに入ってきた伝令を受けたフィッシャーが小さく溜息をついた。
「うん……皆、御苦労だった」
安堵するフィッシャーの気配は皆にも伝搬したようだ。労いの言葉を受けた周囲のメンバーも同様に安堵する。
真人の活躍で敵の大半を破壊していたとは言え、カナンリンクの超生産力と大物量下ではすぐに勢いを取り戻されただろう。続けていたら正直どうなっていたかは分からない。
「警戒体制は維持。
状況次第ではセカイに居場所がなくなるかも知れん、備えるためにも周辺にあるセカイの探査を再開したい。
――ああ、それと誰かニコルのご両親のご遺体を頼む。
彼女自身にも丁重なケアを。
専任の担当者をつけた方が安心するだろう、選定を頼む」
オペレーターの一人がフィッシャーの命令を各カンパニーに回す。直ちに各カンパニーから引き合いがきた。
「――司令、すべて手配いたしました。
それとメンタルヘルス系のカンパニーから幾つか提案が入ってます。
ゲートシップ入手に伴い、増えたリソース分でサロゲートさんたちへのフォロー体制を復活させたいと……」
オペレーターの娘が言葉を濁す。
真人以外のサロゲートはキュリオスの手にあり、道具扱いされている彼らを救う手立てはない。
だが、それでも――
「許可する。
初案がまとまったら私にも流してくれ」
「手配します、司令。
後はデュミナスの知性統合の結果待ちですね」
「シヴィライズド実験が中止されるのか、されるとして、その後に何が待つのか……予測がつかん。
今はただ備えるしかない」
フィッシャーが指揮システムの画面を呼び出し、アイビストライフが置かれた周囲の状況を表示する。
状況は厳しいものだった。
備蓄していた物資の大半は前の拠点と共に失われている。いま居住セカイを失えば大変な物資不足に陥るだろう。フィッシャーの苦悩に気付いたオペレーターの一人が、司令席の傍らに立った。
「司令、規模は小さいですがここにも非常用設備はあります。セカイ停止時にそなえた物資ですから、多少の助けにはなります。
それに元モンテレート市民たちも我々に協力してくれています。
彼らは混乱も最小限で、理知的・知性的です」
「――いやいや、我々は十分混乱いているよ、お嬢さん。
ただ、何かしていた方が気が紛れるんでね?」
後ろから声がかかる。
振り返ると、縦と横が同じサイズの小さな男が、キビキビとした動作で司令室に入ってくるところだった。
モンテレートのデュリア市長だ。
その後には数名の秘書らしき男女が控えている。彼らは皆、ファイルが入った大きな箱を持っていた。
「フィッシャー司令、これは頼まれていたものだ。
野戦病院設営の件、食料の加工計画……その他、君たちに頼まれていたモノ全てだ。
詳細は目録を見てくれ。
それと今後について相談したいことがある。
承知の通り、我々の中にも君たちに協力したいと願い出ている者が大勢いる。その件で少々、時間を貰えないだろうか」
市長の後ろに控えていた秘書の一人が、フィッシャーの前に巨大なファイルの束を並べる。
彼らは、この量を短時間で揃えたのだろう。
資料をざっと確認したオペレーターの娘が、目録だけをフィッシャーに渡す。
頷いて、フィッシャーが受け取ったファイルをぱらぱらとめくる。
「――ふむ、よくまとまっている。
貴方のように内政が得意な者がいてくれて助かっている。
ただ……折角作ってもらったが、資料の作成と整理には向いた機械があるんだ。
今後はそちらを使ってくれないか」
「これか?」
市長がカバンから小降りのボード型端末を取り出した。
電源は一応入れているようだ。
「君たちが手配してくれた講習も一度受けたよ。
とんでもなくデカいのも届けてもらった。
まあ……了解した、次回からはそうしておく。
――ああ、それはそうと司令も秘書か何かを決めてくれんかね。窓口役がいないと不便だよ。
その女性がそうなのか?」
「え、私が……秘書?」
話を振られたオペレーターの娘がキョトンとする。
フィッシャーが苦笑いした。
「この娘はコロネという。
司令部で使っている各種システムの開発に関わっていたから、ここにいる。
それ以外のことは……たまたま横にいたから、自主的に手伝ってくれただけだ。
我々は特に誰が何と役割は決めていない。
職能ごとにグループを作ることはあるが、基本はやれる者同士が連携を取り、責任を分担し合ってやれることをするだけだ」
「そのやり方でこんな効率良く組織を動かしているのか!
理想的なことだとは思うが……申し訳ない、我々にはそこまで望まないでくれ。
あなた方には面倒な話になるだろうが、こちらの大多数は一般人なんだ」
市長が苦虫を噛みつぶしたような顔になった。
言っていて情けなくなったらしい。
「大丈夫、我々も努力を惜しまない。皆さんのご協力を期待しています。
頼りにしていますよ、デュリア市長」
差し出されたフィッシャーの手を市長が握り返す。力強い握手が交わされた。
「我々こそ、あなた方だけが頼りだ」
手を放すと同時に、市長がため息をついた。
その一呼吸で、まるで身体が萎んだように見えた。
彼もまた辛いのだろう。
「フィッシャー司令……正直に言うと、足下が崩れたような気分なのですよ。
自分は生まれた時からこの町に住んでいると思っていた。
それなのに……まさか、自分の名前さえ嘘っぱちだったとはね!
酷い話もあったもんだよ」
市長がもう一回ため息をつき、そして息を大きく吸い込んだ。
胸を張ると萎んだ身体が元に戻る。
「――すまん、愚痴だ。
素敵なお嬢さんの前でするものでは無かったな」
そう言ってコロネに紳士的に笑いかけた。
意外にダンディズムある笑顔で、さっきまでの干からびていた印象はサッパリと消えている。
「デュリア市長、あまり混乱されておりませんね?
モンテレート市民の方々は皆そう感じます。
私たちが正気を取り戻した時は、随分と難儀しましたが……」
コロネが、その時のことを思い出して顔をしかめた。
鉄面皮のフィッシャーでさえ微妙に表情を歪める。
「そう見えるのなら、それは君たちのお陰だ。
勇姿と献身を大勢が見ていた。
頼もしかったとも!
特に黒い化け物に対して一歩も引かなかった、あのピンクの娘さんだ。
きっと難しいのだろうが……彼女が人に戻れる方法が見つかることを祈っている」
「彼もそのお気持ちを喜ぶだろう、必ず伝えておく。
会合の件も了解した。
連絡役は……その時までに決めておく」
さりげなく彼女を彼に訂正する。
フィッシャーの言葉に丁重に了解を伝え、市長と秘書たちが帰っていった。
その背を見送りながら、場に少しだけ間があいた。
「フィッシャー司令、黒い化け物って……」
「分かってる。
分かってはいるが……今はまだ、モンテレート市民には伝えないでおこう」
フィッシャーもまた市長の言葉に表情を曇らせていた。
九輪の意図――正義と悪、敵と味方を分かりやすく擬人化する意味。それが理解できるからこそ、尚のこと今は口をつぐむしかない。
それに真人のこともだ。
真人は自分たちを信頼してくれると言ってくれたが、自分たちは応えられなかった。
せめて、真人の望むことを支援していきたい。
「――そうだ、我々は彼に対して最後まで責任を持つべきだ。
航空機関連のカンパニーに属する者、誰かいるか?」
フィッシャーが司令部内へ声をかける。
アイビストライフは細かい組織分けなどは行っていないが、スキルや作業分担にょり自然発生的に幾つものグループが生まれていた。
そのグループをカンパニーとかクラスタなどと呼んでいる。
特にメカニック関連のグループはカンパニーと呼ばれることが多い。
「私が所属しています、司令」
別のオペレーターが立ち上がった。
複数のグループに並列して所属することも珍しくはない。
「偵察部隊を編成したい。
状況如何によっては派手に飛び回って貰うことになる」
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