第29話 シティヒート

 路面電車がゆっくりと道路の真ん中を進んで行く。

 通勤のピークを過ぎた頃であるので、車はそこまで多くない。

 ただ道行く人々は忙しそうに歩いている。


「平和ですね……」


 瀬良の運転するクラシックカー――そう言ったら瀬良が苦笑いしたが――の助手席でボーッと外を眺めていた真人が、ポツリとつぶやいた。

 車内では帽子がかぶれないので、髪はスカーフで隠している。

 別に化粧とかはしていないのにも関わらず、その顔はいつもより大人びて見えた。

 もちろん女性の格好なので、大人の女性に見えるという意味だが。


「特に事件なんてないからね。

 昨日森で起きた小さな火事くらいかな」


「その火事は僕が乗ってきた高速機のだと思います。

 でも本当に平和ですね……ちょっと気味悪いです」


 瀬良がラジオのスイッチを入れると、ゆったりとした音楽が流れ出してきた。

 どうやら瀬良の好きな曲だったらしく、ラジオにあわせて鼻歌を歌っていた瀬良が真人に問い直す。


「♪……っと、ご免、なんだって?」


「平和だなぁって……

 ここが平和なわけはないのに」


 真人が吐き捨てるようにつぶやく。

 それを聞いていた瀬良が少しだけ首をかしげた。


「ふむ……真人、平和だということは、どういうことか分かるかい?」


「平和ですか……?」


 交差点を整理している警官の前で車を止めた瀬良が問いかけてきた。

 前の道路を路面電車や車や歩行者がゆっくりと通り過ぎていく。

 真人が少し考え込む。


「命の危険がなかったり、他人に操られてなかったり……」


「それは安全や、自由だね。

 そういう状態を維持し、保証することは平和の大事な条件だ。

 それは僕も思う。

 だが、言い換えると管理されているということになる。

 平和の本質は、人々が正しいルールの元で管理されてる状態だと思うよ」


「管理って……例え、実験のために飼育されていたとしてもですか?」


「適切なルールの元で正しく管理されているならばね。

 もちろん自分たちで自分を管理するのが望ましいのは当然だが……」


 前にいた警官が合図をする。

 瀬良の車の前方から、車列がゆっくりと動き出した。

 瀬良もそれに合わせて車を走らせる。


「規範が全ての人に等しく平等に浸透すれば、人は自分が管理されていると意識にも登らなくなるよ。

 ――それが正しく管理されている姿さ。

 正しく管理されていれば社会は正しく流れる。問題はないさ」


「僕には、このセカイが正しいのか分かりません」


「公共サービスもインフラも正常だし、社会は上手く回ってるよ。

 真人の気持ちも分かるけど……

 この街を作った宇宙機械たちは、管理者としては優秀と見るな。

 だから問題はルールじゃない。

 もっと……そう、上の問題だと思う」


「上の? 上ってデュミナスとか……」


「上というのは、社会全体を俯瞰できる立場にいる者たちのことだよ。

 全体の統括者だね。

 真人の話を聞いて思ったことなんだが、ずっと上の不具合が全体を狂わせているように思える。

 あるいは、その上の存在が仕事を放棄したか、極め付けの無能か。

 これが心理実験なら、被験者に実験の意図や真実を言わないことは理解できる。

 説明したら結果が正しくならない。

 だが効率の悪さというか……どこか違和感を感じる。

 真人が説明した実験体の処分もだ。

 これは僕の予想だが――カナンリンクは、実験を分担せずに個々が勝手に実験しているように感じるよ。

 カナンリンクが一つの集団なら極めて不合理だ。

 そのあたりに何か問題はないか、思い当たる節はないかい?」


「そういえば……キュリオスとデュミナスの会話でそれに近いことを言っていました。

 何か不具合があるとも。

 それで、お互いを非難してて……」


「良くない傾向だ。

 それを何とかすることは一つの解決手段になるかも知れない。

 ――ただ、地球帰還の役には立たないけどね」


 真人がそのまま何かを考え始めた。

 だから最初にそれに気づいたのは、意外にも瀬良だった。

 街の中心部にほど近いパーキングに車を止め、真人より先に車から降りた瞬間、一瞬周囲が暗くなった。

 瀬良がそのまま何げなく空を見上げて……それを見つけた。


「真人、あれはアイビストライフの物かね?」


「えっ、どれですか」


 慌てて帽子とサングラスを持って車から降りた真人が、瀬良が目を細めた先を凝視する。

 その先に合ったのは……


「あれは……綾香さんだ。

 なら、皆もいるかも……」


 人型をした何かが空中に静止して、周囲を警戒するようなそぶりを見せている。

 こちらに気づいているかは分からない。

 真人はできるだけ自然に車に戻った。

 ふと思いつき、ダッシュボードから擦り切れた地図を引っ張り出す。

 地図は……何故か白紙だった。


「瀬良さん、上のあれは敵です。ゆっくりと車に戻って下さい。

 上の連中をやり過ごせるような場所へ車を移動させられますか」


「なら……この先にあるパサージュへ行こう。

 パサージュは旧市街に作った高級商店街でね、部外者は入れないが地下もある。

 雨よけにガラス製の天井もあるから、上からは見難いだろう」


 運転席に戻った瀬良が、真人の広げた地図をのぞき込む。

 瀬良が微妙な顔をした。


「地図はここにあったか。

 ただ、なんで地図が白紙なんだろう?」


「元からこうだったのかも知れません。

 それで、パサージュへはどう行けば」


「車で行って、ホテル前の地下駐車場へ止めようかな。

 ついでに君の服でも買うか」


「このままでいいです。

 僕は男ですから、カモフラージュになるかも知れません」


 瀬良が頷くと、そのまま車を発信させる。

 車はゆっくりと裏道に入った。

 裏道に入ると街の様相は一変する。曲がりくねった石畳の道が続き、その両側には綺麗な装飾で飾られた白い家々が立ち並ぶ。


「古くて感じのいい町並みですね」


「旧市街だよ。ここを抜ければ、すぐパサージュ……っと?」


 瀬良が急ブレーキを踏んだ。

 道の真ん中に誰かが何かの荷物を放置していったらしい。

 瀬良がクラクションを鳴らそうとして、その手を真人が止めた。

 フロントグラスの向こうで小山が動く。

 手足を伸ばしたフォルムは、人の物だ。


「スティールさん……」


「知り合いかい?」


「今は多分、敵です」


 その瞬間こつこつと窓が叩かれた。

 慌てて振り返ると、プロテクター状のボディスーツを着たトゥイーが窓を叩いている。

 真人は無言で窓を降ろした。


「おひさしー、真人。そっちの人は?」


「真人くんの友人だよ。君は?」


 瀬良が運転席から声をかけた。

 真人が振り向くと、瀬良がウィンクしてみせる。

 話をしてみようということらしい。


「私の名前はトゥイー、私も真人の友達だよー

 おじさん、名前を教えてくてれる?」


 前方では立ち上がったスティールがこちらに向かってくるところだった。彼のプロテクターはもっともごつい。

 まるで巨大な鎧のようだ。


「瀬良だよ、よろしくトゥイー」


「瀬良さん? りょーかい、了解!

 ねえ、真人の隣の人は真人の友達だよ。

 名前は瀬良さん!」


「おお、了解だ。

 やっぱり名前が分かったほうがやりやすいからな」


 スティールがのしのしと近づくと、車の屋根に手を添えてにこりと笑う。

 敵意は感じない。

 ただ腕が別の物に換装されているらしく、二の腕から先がかなり巨大な物になっている。

 手の甲に付いている筒状のものは明らかに砲口だ。


「自分はマーキス・スティールという、よろしく瀬良さん。

 いま腕がこんななので、握手は勘弁して欲しい」


「よろしく。

 ところで、やりやすくなるってのは?」


「主人公の協力者ならナナシってことはないじゃない。

 私たちが瀬良さんに何か呼びかけることもあるかも知れないしさ」


 トゥイーが屈託なく洗う。

 瀬良が前を向きながら、小さくつぶやいた。


「うん、そうだな。

 ああ……真人、しっかり捕まってくれ」


「あっ、何か変だと思ったら真人がスカートだ!

 わー、真人ってスカート似合うと思うよ」


 窓から真人をのぞき込んでいたトゥイーが、もう一度大きな声で笑う。

 屈託のない笑い声だった。

 スティールも興味を持ったらしく車内をのぞき込もうと、身をかがめた。

 ――その瞬間、瀬良が車を急発進させた。

 タイヤを軋ませながら車はスティールの脇を強引に抜けていく。


「真人、これでいいかい!」


「はい、このままパサージュへ! そこから何とか脱出できないか……」


 その瞬間、車の脇で爆発が起こった。

 熱風が瀬良の車の表面をなめて行く。細かい破片が飛び散ったのか、リアウィンドウが瞬時に真っ白になった。

 真人が蒼白になって叫ぶ。


「撃ってきた! 住宅街なのに、関係ない人たちが大勢いるのに!?」


「真人、捕まっててくれ!」


 瀬良の車が目の前の路地に強引に鼻先を突っ込む。

 曲がり切る寸前に真人が窓から顔を除かせると、スティールが筒状の腕をこちらに向けているのが見えた。


「もう一発来ます! すいません、工具貰います!」


「おう!」


 真人が後部座席に突っ込んであった工具入れからレンチを引っこ抜くと、体を伸ばしてヒビだらけのリアウィンドウを叩き割る。


「真人、パンツ、パンツ!」


「見えてるのはズボンです!」


 視界が開けると、スティールとトゥイーが見えた。

 スティールは巨大な筒状の何かを担ぎ、それをこちらへ向けている。

 真人が小さくつぶやく。


「加速……っ!」


 真人の視界の前後が一瞬だけ青と赤に歪み、音も消えたが、すぐに人工の感覚器が補正をかける。

 真人の主観の上で、景色や音が元に戻った。

 ――そして世界は静止した。

 真人は粘性を帯びて体に絡み付くような空気の中で普通に手を動かし、道具箱から引っ張り出したレンチを投擲する。

 途中でバラバラになるかと思われたが、金属製の本体は真人の早さに耐えてくれた。

 レンチはそのままスティールの砲身に吸い込まれていく。

 瞬間、世界が逆転する。

 アクセラレーターと対をなす真人の切り札・ディスアクセラレーターが慣性すら打ち消して真人を強制的に元の状態に戻す。

 投げた反動も、ディスアクセラレーターが打ち消してくれる。

 瀬良の車も反動の影響をまったく受けていない。

 運転席の瀬良は、真人が超音速で動いたことにも気付いてもいないようだ。

 同時に瀬良の車が角を曲がり切り、後ろで爆発が起こった。

 超音速で叩き込まれたレンチでマーキスの武器が暴発を起こしたらしい。


「真人、やったか?」


「武器の一つを壊したくらいですから、どれだけのダメージになったか……

 すぐ追って来ると思いますから、早く!」


「わ、分かった! それで、あれは一体なんなんだ?」


「さっき説明した、元……地球人です。

 カナンリンクに捕まって、それで……今は敵です。

 物凄い力がある機械の体を持っていますから、捕まったら終わりです!

 気をつけて下さい」


 真人が助手席に戻る。

 体には加速、反加速の影響で生じたパワー・キャスターが淡く光り輝いている。

 それがゆっくりと消えていった。


「敵だね……了解したよ。

 ――よし、その先がパサージュだ。

 車は捨てて、中に逃げ込もう!」

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