第16話 サロゲート達のそれぞれ

 トゥイーに遅れて二階のラウンジに入った綾香が、ふと足を止めた。

 高級そうなカーペットにアイビストライフの人たちが付けた、たくさんの足跡がついている。

 振り返ると自分のも足跡もあった。

 よく見ればさっきの騒動で身体は泥だらになっている。だが顔を洗おうにもハンカチ一つ持ってない。

 ラウンジにあったバーに近づいた綾香が、おずおずと中にいる人に声をかけた。


「あの……すいません」


 従業員ぽい人ではなかったが、カウンターの裏で店の冷蔵庫を開けていたので綾香は店の人だと判断した。

 ただ、その割りには人が近づいても無反応なのが気になる。


「あの、ええと……お店の人ですか。

 すいませんが、ナプキンを少し貰っていいですか。

 あとお水も……」


「ん……ああ、サロゲートさんですね?

 タオルでもよろしいなら、そこのショップにあります。お好きな柄をどうぞ。

 水はミネラルウォーターでよろしいですかね」


 真人に本郷と名乗った男性なのだが、綾香に面識はない。

 彼は笑ってバーの冷蔵庫からミネラルウォーターの瓶を無造作に取り出す。

 かなり高そうな銘柄の瓶だった。


「ああ、いや……その、わたしお金持ってなくて……」


 綾香はばつが悪そうに答える。

 だが、それを聞いた本郷が悪戯っぽくニヤッと笑った。


「ええ、私もです。

 ここにある物は全てカナンリンクが作り出したものですから、消費してもすぐに補充されます。

 お気にせずに使って下さい」


「補充……って、水や食料がですか?」


 確かにありそうな話だ。

 ラボにいた時にそんな感じの説明を何度か受けたような気もする。

 だが、返ってきた返事は綾香が思った内容とは少し違った。


「いえ、このセカイ全てですよ。商品も全てね。

 カナンリンクはこの状態で地球を再現したんです。これが維持されますので、何か無くなっても一晩眠れば元に戻ります」


 綾香の頭の中に意味が染み込むまで、数秒かかった。

 理解と同時に周囲を見回す。

 奥に続く回廊の両側には、高級そうな商品を多数陳列したショーウィンドウが並んでいる。


「その……お店の中の物もですか!?」


「そうみたいだぜ」


 突然、後ろから声がかけられた。

 綾香が振り返ると、いつの間にか九輪が後ろに立っており、こっちをのぞき込んでいた。

 九輪も本郷さんに軽く会釈する。

 こちらは顔見知りらしい。


「ここは基本、何でもかんでも勝手に使っていいんだとさ。

 見鳥さん、何か適当な飲み物を全員分頼むわ。オレも手伝うよ」


「あ、はい……」


 綾香が遠慮しつつキッチンで手を洗ってる間、九輪はカウンターの裏に回ってサロゲート数分のグラスを用意する。

 グラス出しは本郷も手伝ってくれた。


「すいません、手伝ってもらって……」


 綾香が本郷に頭を下げる。

 彼はにこやかに手を振ると、珈琲のポットを持って去っていった。


「こっちもいいぜ。

 見鳥さんはそっちのお盆を頼むよ」


 九輪がジュースなどの缶や瓶、それにちょっとしたお菓子などを乗せたトレーを持ってカウンターから出てきた。

 ――なぜか少し血の気が引いている。

 だが綾香はお店に並ぶ商品に気を取られており、九輪の変化には気付かなかった。


「あの……九輪さん、ここらへんの物って本当に勝手に……?」


「大丈夫だって。

 見鳥さんはそういう説明はまだ受けてないのかい?」


「聞いたとは思うんですけど、細菌までラボだったから……」


「ああ、確かに見ないと実感が沸かないよな。

 アイビストライフの拠点に限るが、ここでは人間以外は全部セットの備品だ。

 必要あれば好きにしていいとさ。

 ただし、ゴミは必ず自分で片付けること!

 放っておけばカナンリンクが片すが、散らしてるのを見られると怒られるぜ」


 どうやら経験があるらしい。

 トレーを持ったまま、カウンターに寄りかかった九輪が軽く笑う。

 そこで九輪がふと綾香の状態に気付いた。


「欲しいのは汚れてない服? 化粧品? それとも全部かな。

 これを皆のところに届けたらお付き合いするよ」


「あ、有り難うございます……」


 綾香の意識は既に店の方へ飛んでいた。

 ショーウィンドウの中にある服やアクセサリーの中から良さそうな物を幾つか、こっそりとピックアップする。

 その視線を追っていた九輪が声を押し殺して笑った。


「――勿体ない話だよな」


「えっ? も、勿体ない?」


「ここを地球人に解放してくれれば、色々面白くなるんだがな。

 そう思わないか?」


「ああ……うん。そう、かも。

 オープンワールド的なゲーム世界に実際に住むような感じですよね。

 確かに面白そ……」


 ――綾香が慌てて口を綴じた。

 こんな身勝手な感想がアイビストライフの人たちの耳に入れば、きっと気を悪くされるだろう。

 綾香の心情を察した九輪が少し大げさに笑って見せた。


「ただの感想なんだから気にしない、気にしない。

 それにオレたちは本体じゃない。

 これはゲームの操作キャラみたいなものだし、そう感じてしまっても無理はないさ。

 妙な機能もあるようだしね?

 さっきの真人ちゃんとか、凄かったねぇ」


「そうですね、格好良かった!

 九輪さんも何か凄い能力を持ってるんですか?」


「さーてねえ?

 オプション継ぎ足しの進化型みたいな説明受けたけど、素は生身と一緒だ」


 九輪が興味なさそうに答える。

 どうやら本当に知らない様子だ。


「そっか……他の人はどうなんですか?」


「服の下だから見えないが、森里は折り畳み式の腕が余計についてるな。

 ユーシンさんと、マーキスさんは分からん。

 ああ……一番面白いのはトゥイーちゃんだな。あれは凄いぜ?」


「見ました!

 犬や鳥に変形できるんですよね」


「クレイトロニクスという技術らしいな。

 あの娘、イルカにもなれるんだぜ。

 でも犬が一番かわいいな……っと、お迎えだ」


「人足でーす。

 どれ持っていけばいいですかね」


 皆がいる席の方から森里がブラブラやってきた。

 全然戻ってこない綾香たちを迎えにきたらしい。


「ちょうどいい、『手』を出してくれよ。見鳥サンが見たいってさ」


「手? ああ……まあ、いいですけど」


 同時にゴソゴソと服の中で何かが動く。

 次の瞬間、アロハの裾から蛇腹関節を持った機械の腕がにゅっと出てきた。

 どうやら伸び縮みも可能らしい。


「あ、こんなの映画で見たことある!

 へー、これちゃんと動くんですよね?」


「見た目は格好悪いが、力は凄い……だよな?」


「素っ裸になるともっと格好悪いです……

 確かに力もそれなりにありますけど、本来は万能工作ツールって話ですね。

 感覚もあるし、さきっちょに目が付いてるのもあります」


「目が付いてるならスカートの中とかも覗けそうだな」


 冗談めかして九輪が笑う。

 その一言で、面白がって腕を触ろうとしていた綾香が森里から微妙に離れた。

 あははは……と、愛想笑いなんかも浮かべてみる。


「覗きませんよ! 本当に覗かないからね……?

 じゃ、トレー運びます」


 森里はその場で裾から出した腕を伸ばし、カウンターに置いた二つ目のトレーを持ち上げた。

 腕は意外と長い。しかもトレーは水平を保ったまま軽々と持ち上げられる。


「オレたちも行こうか」


「あの……おしぼりとかありませんか?」


「タオルでよければ俺が持ったよ」


 九輪がいつの間にかタオルの束を持っていた。

 客用のものではなさそうだが、顔を洗ったりするには十分使えそうだ。


「じゃあいくか。急ごうぜ」


「へーい」


 男性陣二人が皆のところへ歩きだす。

 綾香だけちょっと立ち止まり、その場で力んだり軽く腕を振ったりしてみる。

 ――だが何も起こらない。

 ふう、とため息を付くと、二人の後を追って走りだした。


 三人が戻ると、ちょうどサロゲートたち全員がラウンジ奥の大きなソファースペースに集まったところだった。

 真人が空いたソファに腰かけると、ごく自然にデュナミスがその隣に座る。

 それを見たマーキスが片眉をひょいと上げた。

 思うところがあったらしい。

 反対側のソファに座っていたトゥイーが犬のままの真人に近づくと、足にじゃれつき出した。


『にひひ』


「あはは……これ、トゥイーちゃんなんだよね……?」


 相手が小学生の女の子だと分かってる以上、うかつに触るわけにも行かない。

 困惑する真人に対して、トゥイーに遠慮はない。


『にひひ、真人がちっちゃい気がする』


「うひゃぁ!」


 トゥイーが真人の頬をぺろっと舐めたせいで、真人が変な声を上げる。


「ありゃ、コップ足りないかな?

 とりあえず真人くん、お疲れさま。デュミナスさんも、お陰で助かりました。

 トゥイーちゃん、はい飲み物」


 森里が素の両腕と沢山あるサブアームを駆使して配膳を済ます。

 感覚があるだけでなく、全部バラバラに動かせるらしい。


「有り難うございます」


 真人は森里の裾から伸びた機械の腕を見てちょっと驚いたようだが、トゥイーの身体よりはまだ理解できるものだったので、すぐに納得したようだ。

 会釈すると、森里の素の手で差し出されたコップを受け取ろうと手を伸ばす。

 その指が森里の指に軽く触れた。

 真人は普通にしていた。森里と指が触れたことは分かっていたが、それだけだ。

 だが森里に与えた衝撃は大きかったようだ。

 その顔が物凄い勢いで赤く茹で上がっていく。

 だらしなく緩んだ顔を見て、やっと真人も森里の変化に気づいたようだ。微妙に表情を変える。

 意識したことを悟られた森里が慌てて首を振った。


「あっ、いやっ、その……なっ、何でもないから!」


「えーと……森里さん?」


「なっ、何かな?」


「僕は男ですからね。変に気を使わなくてもいいですよ」


 見かねた真人がコップを脇に置くと、ひょいと森里の手を握った。

 にぎにぎ。さわさわ。

 真人は森里が嫌がらないので、そのまま手を握り続ける。

 真人に自覚はない。


「大きな手ですね。

 ずっと思ってたけど、まるで巨人の国に来たみたい」


 真人のサロゲート体は元の身体よりずっと小さい。

 そう感じても無理はないだろう。

 だが手を優しく握られながら笑顔でそんな事をいわれた森里が過剰に反応する。


「そっ、そうかな、せっ、背は高くないと思うんだけどっ!」


「真人ちゃん、森里くんが変な趣味に目覚める前に離してやってくれ」


「マーキスさん、じっ、自分は正常ですからね!」


「真人は自覚がなさ過ぎね。そのうち襲われるわよ」


 見かねたユーシンが森里から真人を引っ剥がすと、デュミナスと自分で真人を挟むように座った。

 男避けということらしい。

 トゥイーはドックフォームのまま、真人の足元に寝転がる。

 こちらは番犬のつもりなのかもしれない。


「襲われる可能性は否定しないけど、女の子の自覚があっても困るんじゃないかな。

 だって男なんだし……男だよな?」


 九輪が首をかしげながら、デュミナスとユーシンのコップをテーブルに並べる。


「おーとーこーでーす……ん?」


 真人が顔を真っ赤にして叫び出した瞬間、床のトゥイーがふわりと回転して人間形態に戻ったため、真人が怒り出すタイミングを失った。

 薄いボディスーツみたいなスキンタイトギアはそのままだ。

 トゥイーは真人には気を払わず、ユーシンと真人の膝の上に座る格好になった。


「トゥイーちゃん、暴れたら危ないよ?」


「犬のままだとお皿からジュース飲まされそうで嫌だもん。

 にひひ、もらいー」

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