第13話 ブレイクアップ

 真人は半ば自動的に――今の真人にとっては無意識に――知覚と思考速度を、文字どおり光の早さで超高速・高負荷運動モードに切り替えた。

 真人の主観時間が一気に引き伸ばされていく。

 全身の肌に浮かび上がったパワーキャスターが、強力なソートナインドライバーを更にブーストする。

 同時にアクセラレーターとディスアクセラレーター、そしてカナンリンクが生成する力場を利用するフィールド推進システムが起動する。


 真人のフィールド推進は疑似的な物らしく自由に空を飛んだりはできないが、周囲の流体を制御して加速・反加速をサポートするくらいはできる。

 モード切り替えが完了すると、真人は軽く首をひねって海だったものを見た。

 その動きは、実際にはとてつもない早さで行われている。だが超加速と反加速を無意識に駆使する真人の主観では、ごく普通の速度だ。


 白いスクリーンを突き破ってプールのど真ん中から表れた灼熱する小さな物体が、大量の水を一気に蒸発させようとしていた。

 それはカナンリンクを構成する超構造体のカケラだった。

 きっと折れたスカイフック絡みのものだろう。

 高熱と衝撃波が周囲に伝わり、水面は中心から白く沸き立ち始めている。

 このままいけば大爆発が起こるだろう。

 リアルでは僅かな時間でしかなかったが、真人が感じる時間では十分な余裕があった。

 真人が行動を開始する。


「えーと……加速!」


 真人は切り替えの意味を込めて行動宣言する。

 すでに加速中の上、加速中に普通の人と音声で会話することはできないから意味はないのだが、何となく気分がいい。

 真人は一歩ごとに超加速と反加速を自在に使い分け、あるいは同時に使うことで、停止した世界を普通に走りだした。

 パワーキャスターによって疑似構成されたフィールド推進システムも駆使して一気に速度をあげてゆく――


 真人がピンクの残像に代わってから一瞬、二瞬の後、轟音が砂浜にいた人たちに襲いかかった。音が余りに早く、大きかったため、まるで物理的な壁であるかのように振る舞う。

 超音速の壁へ激突した衝撃で一同がその場でのけぞった瞬間、ガス化した高熱の水蒸気が大量の土砂や瓦礫を巻き上げながら襲いかかってきた。

 まだ前を向いている者で、それを捉えることができた者すべてが恐怖する。

 早すぎて何もできない……と、覚悟した瞬間に天地が空転した。

 皆の目の前には砂浜があった。


「あれ……?」


 綾香も、気づくと砂浜に腹ばいになって倒れていた。

 周囲を見渡すと皆が同じ格好で倒れて――いや、伏せている。


「デュミナス、変なところ触って御免!」


「お気にせずに、真人!

 それより皆さん、そのまま頭を低く」


 真人とデュミナスの鋭い声がどこからか響いた。

 それとほぼ同時に、爆風が頭上を猛烈な勢いで吹き抜けていった。

 全身がチリチリと熱く、痛い。

 痛い……が、意外にもそれは十分我慢できるものだった。


「みっ、みんなを助けなくちゃ……」


 綾香のサロゲート体は突然の惨劇にもビクともしていない。急いで起き上がると、サロゲートの目を使って周囲をスキャンする。

 まず目に入ったのは、壁だった。

 ある一点から放射された光の壁――防御用偏向スクリーンディフクレクターが、襲いかかってきた爆風の大半を防いでいる。展開しているのは小柄な体躯の持ち主だった。

 その主がふっと振り返った。


「大丈夫ですか?」


 綾香に振り返ったその顔は半ばバイザーで覆われている。

 バイザーが跳ね上がると、下からは機械の目が現れた。


「デュミナスさん!」


 綾香に名を呼ばれたデュミナスはにこりとほほ笑んだ。

 デュミナスはローブを脱ぎ捨て、機械の四肢を露わにしている。

 爆風にはビクともしてない。


「私は大丈夫です、それより皆を……」


 綾香は立ち上がると、デュミナスのところまで駆け出そうとした。

 そこに頭上から何かが砕ける音が響く。

 綾香があわてて天井を見上げると、そこにはちょっとしたクレーターが広がっていた。

 海を突き破った物体が作り出したのだろう。

 クレーターの周辺部が歪み、軋む。

 どうやら天井を支えるフレームの一部が根元からへし折れかかっているらしい。

 もしあれが落ちた場合、落下地点はこの周辺だと綾香の目が予測を弾き出す。


「デュミナスさん、危ない!」


 あわてて駆け寄ってきた綾香を、逆にデュミナスが抱き上げた。

 デュミナスを抱えて走りだすつもりでいた綾香がジタバタと暴れるが、びくともしない。

 そのままデュナミスが上に向けてディフレクターを展開する。


「私を心配してくれたことは嬉しく思いますよ、見鳥。

 でも大丈夫です。

 初期の熱線と衝撃は防げませんでしたが、高熱ガスの大半は防ぎました。

 私だけでは間に合いませんでしたが……」


 そう言い終わるより早く、頭上の破片の一角が鋭い閃光とともに空中で砕け散った。

 閃光は二度、三度と走り、その度に破片を砕いてゆく。


「い、今はのあれは……」


 綾香の機械の目が、かすかにだが真人を捕らえていた。

 さっきの超高速移動で破片に取り付き、表面を走りながら破片を砕きにかかっているらしい。


「ええ、真人です。

 破片などは彼が防いでくれていますから安心してください。

 綾香さん、動けるのでしたら別階層へ避難願います」


 綾香が砂地の上にちょこんと置かれる。

 そこでようやく、自分が地面に伏せていたのも真人のお陰だと気づいた。

 超加速と反加速を自在に操る真人なら不可能ではないだろう。


「え、えと……わっ、わたしも!」


 手伝いますと言おうとしたが、目の前にふわっと出現した真人に驚いて言葉を飲み込んでしまった。

 真人は何もない空中から羽毛のように舞い降りてきた。


「フォローありがとう、デュミナス。

 これであらかた片付いたと思うよ。

 綾香さんも大丈夫だった?」


 デュミナスにリング状のデヴァイスを返しながら、真人が綾香を気遣う。

 リングはデュミナスがいつも頭上に浮かべていたものらしい。

 そういえばいつの間にか無くなっている。


「い、いまのは?

 真人くん、ドコから現れたの」


「えーと……上から、急に止まれる装置を使って……」


「急に停止できる……って、ディスアクセラレーターだっけ」


「そうです、減速専用の慣性と重力制御にタイムマシンの機能も追加した装置……というと大袈裟ですが、近いものです。

 発動には真人と同じか、それ以上の質量を持つ物体に接触する必要がありますが」


 綾香の疑問にデュミナスが答えてくれる。

 自分の言葉では上手く説明できなかった真人は、その説明に曖昧にうなづいた。

 ――真人にしてみれば、分かってないまま頷くというボケ的な反応のつもりだった。

 だが、テンパってる綾香は別の意味に受け取ってしまったらしい。


「あ……あの、私も何か手伝います!」


 綾香は、純粋に真人が凄いと思っただけだ。

 思ったからこそ出た言葉だった。


「ありがとう、ではフィッシャーの元に集合を願います。

 彼が助けを必要としています。

 サロゲート体は頑丈ですから、役に立てるでしょう」


 デュミナスが答えると、何もない空中にマップが描かれる。フィッシャーたちは既にホテルの中に移動したようだ。

 綾香のサロゲートの目は、その情報を一瞬で記憶してくれた。


「じゃあ、まずホテルへ行ってきます!」


「デュミナス、僕も行った方がいい?

 この辺はもう収まったみたいだし……」


 真人がまだ白煙を吹いているプールと、ドームの天井を指す。

 水や空気の流出は止まったようだ。

 カナンリンクの機能で、なんらかの対策が施されたのだろう。


「応急処置は済みましたが、念のため真人は私の元で待機してください。

 綾香さん、真人の分もお願いします」


「はい!」


 途中、倒れていたアイビストライフの人に肩を貸しつつホテルへ向かう綾香を真人が見送る。

 綾香が見えなくなった頃、真人がデュナミスを振り返った。


「それで、あの爆発はなんだったの?」


「このセカイを維持するワールドリジェネレーションシステムのごく一部に重篤な障害が発生している模様です。

 付随して発生した爆発、その際に飛び散った破片の一部がこちらのシールドを貫いて飛び込んできたと思われます。

 これはカナンリンク側の手落ちです、真人たちには申し訳なく思います」


「い、今は大丈夫なんだよね?

 転送実験とかは大丈夫なのかな……」


「カナンリンク全体からみれば影響は極めて小さい。

 転送装置も問題はないと予想されますが、念のためフィッシャーたちと共にチェックをかけています。

 結果がでましたら、真人にもお伝えいたします」


「実験は、するんだよね……?」


「その判断はチェック完了までお待ち下さい、真人。

 それと最終判断は真人が持っています。

 疑問があれば私やアイビストライフにお尋ねください」


「まひとー! デュミナスー!」


 二人の間に悲痛な声が響いた。

 飛び込んできたのはトゥイーだった。

 どこかにぶつけたのか、水着が擦れて一部が破けている。

 だが本人にはかすり傷ひとつないようだ。


「ハーミットが倒れて動かないの!

 あっち!」


「もしかして怪我?」


「いえ……きっと安定剤が切れのだと思います。

 行きましょう!」


 ハーミットは少し先の岩陰に移動されていた。

 トゥイーが運んだのだろう。

 様子を見ようと回り込んだ真人が、そのままの勢いで回れ右して戻ってくる。


「デュミナス、あとよろしく」


「――?

 はい、分かりました」


 代わりに前に出たデュミナスがハーミットの元へと向かう。

 戻ってきた真人とぶつかったトゥイーが、不思議そうな顔で真人を見る。


「どしたの?」


「いや……その、水着が……」


 投げ出された拍子だろう、ハーミットの水着が上下ともズレていた。

 身体を丸めて何かに耐えているような姿勢だったのでハッキリとは見えなかったが、男性である自分が気軽に見ていい姿ではないだろう。


「さっきちょっとうなされてたから、上は苦しくて自分でずらしたのかも。

 いっそ外してあげた方がよかった?」


 トゥイーが後ろを向いた真人の手を引っ張る。どうやら真人が何に遠慮しているか分かってないようだ。

 真人は周囲にハーミットの身体を隠せるような物を探すが、当然見当たらない。

 デュミナスもローブがないと裸と変わらない。

 トゥイーも水着だ。

 真人が諦めて自分のシャツを脱いだ。

 ぽっちの先に貼られた絆創膏が情けない。


「えーと……真人って、本当にお兄ちゃんでいいんだっけ?」


「そうだよ、お兄ちゃん。

 お風呂に入る時は男湯。

 これ、ハーミットにかけてあげて」


 真人は、前に回ってこっちの胸をぺたぺた触り出したトゥイーに脱いだシャツを手渡す。

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