第12話 約束

「――ふむ、お世辞にしては上出来」


 顔色ひとつ変えないまま、綾香が肘をテーブルに乗せた。

 ほんの少しだけ真人に顔を近づける。

 それだけだったのに、真人には綾香が目の前に迫ってきたかのような印象を受けた。

 綾香の目線が気になり出す。

 人の視線の先は意外に分かるもので――綾香は真人の瞳だけを見つめていた。

 今度は真人が顔を赤らめる番だった。


「日曜日は会ってくれるんだよね?

 待ち合わせどこにしようか」


「あの……えと」


「本当の顔、見せて欲しいな。

 それとも――私には嫌?」


 さっきより、ずっと近くから髪をすく綾香の笑顔に邪気はない。

 困った真人を見る目が楽しそうだった。

 真人が小さく、肯定のニュアンスを込めてため息を付く。


「うん、いいよ。

 じゃあ待ち合わせは横浜……より少し手前で、渋谷でいい?

 あんまり行ったことないんだけど……」


「ねね、私も行っていい?

 お兄ちゃん二人も!」


 真人と綾香の間にトゥイーが飛び出してくる。

 屈託のない笑顔に綾香が苦笑いし、真人も残念な気持ちと安堵が入り交じったような溜息をそっとついた。


「そういえば連絡先を教えるっていってたよね。

 なら九輪さん、森里さん、今度の日曜、皆で会いませんか?」


 綾香が椅子の上でぐるっと振り返る。

 遠巻きに様子を見ていた九輪と森里がちょっと遠慮する気配をみせたが、結局好奇心には勝てなかったらしい。


「OK、なんとかしてみるよ」


「えーと……自分も了解、日曜は開けときます」


 マーキスとユーシンがくすくす笑って頷きあう。


「俺は流石に無理だな。

 代わりにクリスマス休暇は日本を考えとく。

 夏と連続になるが」


「連絡くれれば迎えに行ってあげるね。

 私も冬は日本にいると思うから」


「じゃあ……日曜のお昼、わたし、真人くん、森里さん、九輪さんに、トゥイーちゃんで。

 集合は渋谷の壁画のとこでいいかな?

 顔は同じだから分かると思うけど……

 わたし、念のために表紙にアイビストライフって書いた雑誌を持って立ってます」


 綾香が片手を上げて提案する。

 森里が首をかしげた。


「えーと……すいません、壁画ってなんでしょう」


 綾香がおうという顔をする。


「渋谷駅の連絡通路の壁一面に変な絵が飾ってあるとこです。

 待ち合わせの定番だから検索すればすぐ出てきますよ。

 んー、人数多いなら映画は諦めようかな……ちょっと見たいのあったんだけど。

 ほら、偶然超能力を身につけた主人公が、同じく超能力に目覚めた友人たちと運命の対決をするって話で……」


 真人が綾香の話を聞こうとして身を乗り出そうとした瞬間、ふっと背後からの視線を感じた。

 何げなく振り返ると、ハーミットが気まずそうに下を向いた。

 どうかしたのかと尋ねようとした真人だったが、すぐに理由に思い当たる。

 きっと地球の話に交ざりたいんだろう。

 真人が振り返ったので、綾香もハーミットに気づいた。


「渋谷って、日本の東京にある街の名前だよ」


 綾香がハーミットに話を振ると、嬉しそうに話に入ってきた。

 そこにタイミングよくハガードが料理を運んでくる。

 皿の上には真っ二つにされ、たっぷりとクリームソースがかけられた大きな伊勢海老が一対乗っていた。


「おまちどうさま、大伊勢エビのテルミドールです。

 一番大きくて良いのですよ」


「わおっ」


 真人が感嘆の声を上げる。

 皆が真人の笑顔に釘付けになったタイミングでハーミットが椅子を引き寄せ、そのまま真人のそばに座った。

 少し迷っていたらしいシェリオも、その横に座る。


「渋谷は分かりませんが、東京は知識としてあります。

 綾香さんと真人は、そこに住んでるんですね」


「私は横浜だから東京の隣だよ」


「僕の家は東京だけど、もっと下町で……」


 ナイフとフォークで海老と格闘を始めた真人が苦笑いで答える。


「下町……ですか?」


「都会の周辺にある、ちょっとゴチャっとしたところ……かなぁ?

 あ、真人くんごめん」


「立川は東京で都会だよー」


 トゥイーがブンブンと両手を振り回す。

 だがハガードと一緒に来たフィッシャーがトゥイーの前にジュースと大きなケーキを置いたので、トゥイーの目がそちらに釘付けになった。


「えーと……そうなの?

 ちなみにウチは埼玉のド真ん中で、焼き鳥屋くらいしかないです。

 一番近い大きな街は池袋……かな」


 その辺の地理に明るく無さそうな森里が、真人に話を振る。

 横で九輪も肩をすくめた。

 こちらは皆の後ろに立ったままだ。


「ごめん、立川はほとんど行ったことがなくて……」


「あー、真人ひっどーい!

 立川にはおっきな公園とかもあるし、モノレールとかも……」


「あの……私みたいな外見の人は、おりますか?」


 ハーミットが期待を込めて聞いてきた。

 なのだが、混じりっけのなさそうな金髪碧眼を持つ彼女のようなタイプは、日本ではあまり見かけない。


「いなくはないけど、日本では多くはないかなあ。

 僕には北欧の人っぽく見える」


「北欧……ですか。調べてみます!」


「日本にいそうなのは、どちらかというとシェリオ?」


 真人がハーミットの横にいたシェリオに話を振る。

 彼女は確かにアジア系だと一目で分かるが、流石に国籍を当てるのは難しい。

 意外と上品にケーキを食べていたトゥイーが横でくすくすと笑う。


「シェリオ、私のクラスに似てる娘いるよー」


「身長だけって言ったら怒るからね!」


 マーキスとユーシンも話に混ざってくる。


「LAにはいるけど、大抵は染めてるだけだな。

 ここまで綺麗なナチュラルブロンドだと少ない」


「中国も金髪は少ないわね。

 昔よりは見かけるようになってきたけど」


 そこからサロゲートたちは、皆それぞれ地球のことを話し始めた。

 自分の生まれた場所や国の話から始まって、今まで見た映画の話、各人の趣味の話、旅行で訪れた地方の話、美味しい食べ物の話、地球にある何でもない話。

 サロゲートたちにとっては他愛もない話を、アイビストライフの人たちは夢中になって聞いていた。

 ――ふと、真人が話の輪から外れた。

 話に交ざろうと思えばすぐにできたが、代わりに目の前の料理を食べ切ることに集中する。

 縦に半分にされた大きな伊勢エビから、白い身を一口。

 クリームソースたっぷりの海老はおいしかった。


「食材を含めてすべてが合成物なんだっけ……」


 見せられた廃墟を思い出した真人は、もぐもぐと海老の味を楽しみながら辺りの風景を見渡した。

 目前には青い海と白い砂浜が広がり、水平線の上にはすっかり登り切った太陽が浮かんでいる。砂浜の周囲には南洋植物の林が広がり、凪いでいる海からは時々気持ちの良い潮風が吹いきていた。

 舌の上の食べ物も含めて、すべてが人工の産物だとは信じられない。

 そして――こちらは合成ではないが――親切で、人懐っこい大勢の人たち。


「癒されているのは、むしろ自分たちだよな……」


 海老を飲み込みながら胸の中でつぶやく。

 真人には、どうしてもここが酷い場所には思えなかった。

 裏の一面を見せてもらっていなければ、ここを楽園と信じて疑わなかったろう。

 真人は、そんなことを考えならもう半分の海老と格闘し始めた。



「――ねえ、真人くんはどんな能力を持ってるの?」


「え? 能力?」


 真人は、もごもごと海老の最後の一口を飲み込みながら顔を上げる。

 目の前には綾香がいた。

 どうやら、映画の話からサロゲート体の特殊能力に話が移ったらしい。


「口の横にソースついてるよ?

 ――で、能力。

 ほら、私たちが入ってるこの身体って、普通の身体と違うじゃない?

 でもみんな余り自分の能力を知らないみたいで。

 真人くんは、どういう説明受けたの?」


 ナプキンで口の端を拭いながら、真人が答える。


「えーと、ラボでソートナインドライバーの実験とかやってる時に色々……

 凄い早さで動けたり、身体が光ったり、色々あるみたい。

 普段は使う必要ないから意識はしてないけど」


 真人の能力は、正確には超加速と反加速なのだろうが、真人は両方引っくるめて凄い速さで動けると言ってるらしい。


「加速装置みたいなのは、さっき使ったのだよね。

 へえ、外見も変わるんだ!

 いいな。わたしは地味なのしかないんだ。力が強くなるとかさ」


 そこまで話して、綾香がちょっと拗ねたような顔付きになる。

 綾香が力こぶを作る。

 ほっそりとした腕は、そんなに力があるようには見えない。


「私たち、こちらへ来て何の役にも立ってないし……こういう能力を活かす機会もちょっと憧れるよね?」


「――いいえ、そんなことありません」


 横で静かに話を聞いていたハーミットが、凜と答えた。

 皆の視線がハーミットに集中する。

 トゥイーと遊んでいたシェリオも横でうなずく。


「皆さんの存在は……とても眩しい。

 私たちにとって、これ以上のことはありません」


「そーそー、皆といると自分も地球人なんだなって思えるよ。

 役に立ってないなんて、とんでもない!」


「地球人……地球への帰還か。

 宇宙人は何の目的で地球人をこんな場所に連れてきたんだろうね」


 真人がさっきの問いを繰り返す。

 久輪とマーキスが話に乗ってくる。


「順当に考えれば研究目的か、生物学的な興味と言ったところだろうな。

 あるいは商業目的……嫌な想像だが、動物園かねぇ?」


「九輪くん、地球人には知性と理性があるぞ。

 同じく知性と理性を持つ存在なら、我々に興味を持って当然だと思うがね?」


「でもデュミナスが言うには……」


「――ん?」


 話題を聞き止めたシェリオも混じろうとした時、ふと真人が横を向いた。

 そのまま空の一点を見つめ、じっと動きを止める。


「どうした、真人くん?」


「あっちから……警報かな? 何か聞こえる」


 真人が太陽の方向を指さす。

 同時にセンサーが何かを感知したらしく、真人の片方の瞳が機械の輝きを灯した。

 さらに、真人の首から頬へ向けて幾筋もの光る線が走る。

 それが真人の肌の上に綺麗な文様を描いた。


「ま、真人の顔に変な光が……」


「それ、さっき真人が言ってた《光る奴》だよ。

 名前は《パワーキャスター》。

 物理身体の境界面に展開される、特殊な……まあ、タトゥー状のデヴァイスと言えばいいのかな。

 ソートナイン関連の能力を高精度に制御したり、ブーストしてくれる自己進化型のゼプトライト=コンプレックス」


「お待ちください、こちらでも状況を確認してみます」


 真人のただならぬ様子に、ハーミットも手にした情報端末を操作し始めた。

 フィッシャーとハガードも周囲を警戒しながら、どこかと通信している。


「――あっ!?

 みんな伏せて!」


 真人の警告とほぼ同時に、周囲が揺れた。

 突き上げるような一撃。

 体重が半分になったような感覚が下から上へと襲いかかり、そこからワンテンポ置いて波を描くような横揺れが広がっていく。

 日本在住勢は即座に地震と認識し、周囲の人間を庇いつつ姿勢を低くする。

 やがてセカイ中にも警報が鳴り響いた。

 すっかり明け切っていた青空が消え、周囲が陰影のない灰色に塗りつぶされた。空が上映前のプラネタリウムのような、灰色のスクリーンに変わる――いや、戻る。

 再現を解かれたセカイの奥行きは意外に浅い。

 海に見えていた物も、景色が消えれば巨大なだけのプールでしかなかった。

 光景に皆が驚き、呆然とする。

 その目前で海と空が爆発した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る