構想⑤

登場人物

店主


舞台

喫茶店



(ぎこちなく幕が上がる)


 喫茶店。

 帽子をかぶった男が入って来る。




 ――いらっしゃいませ


 ――うん




 男は帽子を脱いでカウンターに置き、ゆっくり席に座る。



 ――さてと


 ――今夜はかなり降るようでございますね


 ――何が


 ――雨ですよ


 ――雨かい


 ――はい


 ――そうかな?


 ――ひどいですよ


 ――そうか


 ――土砂降りです


 ――ほほう




 男、カウンターに置いた帽子を、またかぶる。




 ――雨か。それは気付かなかったな




 そして、また帽子を脱ぎ、カウンターに置く。そわそわ辺りを見回す。砂糖壷を開けて中を覗いたり、壁をじろじろ見たり、椅子の位置を気にしたりする。



 

 ――あの、お客様


 ――何だい


 ――どうかなさいましたか


 ――いや、別に




 男、帽子を手に取り、しげしげと眺め回してから、また頭に載せる。



 ――別に何でもないよ


 ――そうですか


 ――そうさ


 ――で、いかがなさいます


 ――何が


 ――ご注文は


 ――ああ



 男は目を泳がせる。



 ――じゃあ、珈琲


 ――かしこまりました




 数分後、男の前にカップが置かれる。男は帽子を脱いでカウンターに置き、にこにこと笑った。



 ――いい香りだ


 ――ええ


 ――味も最高だよ


 ――どうもありがとうございます




 そのとき、突然、カウンターに置かれた帽子が動き出す。カウンターの端まで、滑るように移動し、また音も無く戻ってくる。


 男、その帽子を手に取り、頭に載せる。

 店主、その動作をじっと見ている。



 ――君、私は思うんだがね


 ――何でしょうか


 ――ここはいい店だね


 ――ありがとうございます


 ――砂糖壷には砂糖が入っているし


 ――ええ


 ――珈琲は珈琲の味がするし


 ――ええ


 ――椅子もあるしテーブルもある。この喫茶店に何も問題は無いようだね


 ――おかげさまで



  

 そのとき、ふと男の頭から、帽子がふわふわ浮上する。ふわふわと天井の辺りまで行って、そこに静止してしまう。




 ――お客様


 ――何だい


 ――私にはどうも、気になることがあるのですけれども


 ――そうかね


 ――お伺いしてもよろしいですか


 ――それは、……



 男はカップを口元に運びながら、答える。



 ――すまないが、断ってもいいかね


 ――さようでございますか


 ――せっかくだが


 ――いえ。お気になさらず




 やがて、浮かんでいた帽子はゆらゆらと降りてきて、また男の頭に載る。


 男は帽子を脱いでカウンターに置く。帽子が、がたがた動く。中から兎が一羽、出てくる。兎は店内を駆け回り、また帽子の中に戻る。



 ――お客様


 ――何だい


 ――もしかすると、お客様は手品とか奇術などにお詳しいのではないですか


 ――別にそんなことはないが、なぜだい


 ――いえ、別に




 男、帽子をかぶる。そして頬杖をつく。



 ――あ、そうだ


 ――いかがなさいましたか


 ――いや独り言さ


 ――おや失礼


 ――構わないよ。何、月賦のことでね


 ――はあ


 ――忘れるところだったよ


 ――そうでしたか


 ――帽子屋のね


 ――何ですって


 ――どうしたんだい


 ――いま帽子とか何とか、仰有ったように聞こえましたが


 ――ああ。帽子屋の、今月分の払いの件さ。たいした話じゃない


 ――しかし


 ――独り言だ。気にしないでくれ


 ――ええ、……



 男、帽子をかぶる。脱ぐ。かぶる。脱ぐ。そして珈琲を飲む。頬杖をつく。



 ――君、しかし何だね、


 ――はあ


 ――世界は謎に満ちている気がするな


 ――なぜです


 ――虫とかさ。枯葉や花にそっくりな虫がいるだろう。擬態というらしい。実に謎めいている。自然の神秘だと思わないか


 ――そうですね




 男、帽子をかぶる。脱ぐ。かぶる。脱ぐ。それをカウンターに置く。


 帽子から背広の紳士が出てくる。あとから黒服の連中が現れ、Pistolを撃ちながら、追いかけっこを始める。そしてみんなは結局、帽子の中に戻って行く。流れ星がいくつか飛び出す。蒸気機関車のように黒煙を吐く。オペラが聴こえてくる。鮮やかな紙吹雪が舞う。1ダースに殖える。豆ほどに小さくなる。ピカピカと光る。その他、いろんなことが起こる。



 店主は言う。



 ――まったくですな


 ――何だい


 ――私もそう思いますよ


 ――うん


 ――私も、世界は謎に満ちているような気がしてきましたよ。もう本当に



  

 

 男、帽子をかぶる。



 ――どうかな?


 ――何です


 ――雨は


 ――まだ降っていますね


 ――そうか


 ――ええ


 ――ひどいかね


 ――ますますひどくなるようですよ


 ――そうだね


 ――ええ


 ――じゃあ帰るか


 ――大丈夫ですか


 ――何が


 ――雨ですよ。土砂降りなのに


 ――大丈夫さ




 男、帽子を脱ぐ。それを逆さに振ると銀貨が一枚、出てくる。




 ――ごちそうさま


 ――どうも


 ――おいしかったよ


 ――またどうぞ


 ――ひひひ


 ――どうしました


 ――何だい


 ――いまお笑いになりましたね


 ――いいや


 ――そうですか


 ――ああ


 ――本当ですか


 ――なぜ


 ――いや失礼しました


 ――じゃあまた


 ――ありがとうございました




 男、帽子を頭に載せ、舞台を下りる。観客席の観客をひとりひとり帽子のなかに入れていく。やがて観客席はがらんとしてしまう。とても静かになる。


 ――ひひひ


 男、どこかへ行ってしまう。

 店主、そこに佇んでいる。



 ゆっくり暗転。














 ――ひひひ。





 

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