構想④

 うるさくない少女達の遁走曲Fuga


 …………………………

 教室

 石油ストーヴ

 窓の結露

 午後の倦怠

 うるさくない少女達

 国語の授業

 …………………………


 

 

 Ⅰ秋月吏世


(私は国語教師が好きではない。冬の国語教師は私の癇に障る。


 私は鉛筆で国語教師を殺める空想に耽っている……入学以来、幾度となく繰り返した空想劇……真冬の閉塞したこの教室に起こる鮮烈なセンセーション。しかし私の空想劇中で他の生徒は一向に騒ぎ立てることなく、鮮血に染まる国語教師を無視する筋書になっている……


 この空想劇において国語教師を殺めることに私は愉悦を感じることはない。むしろ不当な義務を課せられているような気分だし、できれば彼を鉛筆で突き殺したくないのだ。私は入学以来この国語教師を三角定規やコンパスで幾度となく血祭りにした。その理由については解らない……


 国語教師は絶対に気づいていない。自分自身が、真面目に授業を受けている様子の、この一生徒の空想の中で何度も惨殺されていることを……


 伏し目がちなこの国語教師は必要以上に喋ることを好まない。低い声で囁くように、生徒達の頭の中へ知識を、静かに叩き込んでいる。私は鉛筆の芯と国語教師の顔とを見比べて嘆息する。私の空想する頭には血なまぐさい悪徳が棲んでいる……


 私の空想劇は奇妙な事に毎回同一の終幕を迎えるのであった、それは惨殺された国語教師に私が接吻するというものであって、それは教壇の上で厳かに行われる……飛散した血飛沫が彩る教室内は静寂に包まれており、見れば幾人かの生徒は頬杖をついて睡っているのだった、……そして、国語教師のひどく冷たい唇に、私は……)


 

 

 Ⅱ逸見千束


(私は古典の教科書を開いているけれど、古典文学には全く興味は無くて、自邸の冷蔵庫で冷えている鴨肉のことばかり考えている。今夜の私の晩餐のために冷えている鴨肉。私にとって晩餐は一日のうちで最も神聖な儀式だ。私は食事が好き。食器のぶつかり合う寂しい音、食物を噛み千切る規則的な音律、卓の周囲に漂う死の気配。少量の食物を夥しい時間をかけて私は喰べる。……私が食事をするとき、おそらく世界は停止している。卓は外界から遮断され、ここではないどこかで私は長い長い食事を行う。それは一篇の画題のようだ。おそらく一般の女性が入浴を公衆の面前で行うことに羞恥を感じるように、私は他人に食事を見られることに強い抵抗を感じる。それは密かな愉しみ。冷えた鴨肉は私の帰宅を暗い冷蔵庫の中で待っている。料理、配膳の工程は午前中に何度も空想した。今夜は白ワインを空けるつもり。電気は消して月光だけ卓に招こう。私は冷酷に食事する。食事後の卓には悲劇の余韻がある。さながら殺戮の趣を有する晩餐……あまりにも残酷で無慈悲な、……涎が滴るのを私は注意する。私は空腹だ。なにしろ朝食は柑橘類の果肉に軽く歯を当てる程度の事だし、昼食は他者の眼があってひどく遠慮がちな食事しか行えないから。鈍々とした時計の秒針を一瞥してから私は国語教師に視線を向ける。彼はこの学級を担当する国語教師であり、あと23分で授業を終えて退室する。ただそれだけのこと。たぶんだけど、あの国語教師は煮ても焼いても不味い。私は自邸の冷蔵庫で冷えている鴨肉のことを考えて、あたかも情事を控えているかのように落ち着きなく時間が過ぎるのを見守っている)

 

  

 

 Ⅲ森晴佳


(退屈が私を殺そうとする。だから私はノートの隅に画を描く。それは画というよりは記号だ。これは一体何だろうか? ……この、円とも三角とも呼べない正体不明の物体……これが目の前にあったとしたら私は何を考えるだろうか。そうたとえば……何も無い草原に唯これだけが寂しく聳えているとする。遥か昔からそれはここにあり、ここを過ぎゆく人々の関心を瞬間的に集め、しかしただそれだけのことで、何ということもなく、ただ徒に時間だけが過ぎ去った。……と仮定してみよう。


 私はこの記号の側に小さな研究所を描き足して、調査団を派遣することにする。調査の結果、それが人工物であるということが研究所の所員達から報告される。謎は深まるばかりである。これは宗教的な建造物ではないかという意見が所員達からあった。なんとなくそんな気がする。しかし、どうしてこんな草原の真ん中に? 周囲には川も無いし、街も無い。だとすると宇宙から落ちて来たんじゃないか。なるほど。私は記号に矢印を引っ張って「宇宙?」と描く。


 だけど、その上には残念ながら古典の授業の板書が写してあったので、他の惑星の存在を許す余地は無かった。その仮説は捨てるしかないようだ。他の意見は? ――そもそも現在の科学ではこの物体を作ることさえ難しいって? それはおもしろくなってきたね。議論の種は尽きない。



 さて、研究員の中でもとりわけ楽天家の人物がこんなことを言う。おもしろいからこれを観光に使おうじゃないか。記号的物体の周りにいろんなのが建ち始める。私はいろいろラクガキを追加していく。ホテルとか博物館とか。おみやげに記号的饅頭とかいうのが開発される。中身は餡でいい。下手に気を衒うのはよくない。あと記号的煎餅とか、記号的キーホルダーとかも作られる。その無意味なようでいて意味ありげな雰囲気が人気になって、やがて記号ランドが華々しく開園する。家族連れや恋人が毎週末詰めかけて大盛況。マスコットキャラクター記号君が来園者を記号的に出迎えて、記号的なパレードが好評を博す……いつの間にか私のノートはとても賑やかになる)


 

 Ⅳ後東沙貴

 

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 ………………………………………睡い。」

 

 


 Ⅴ西園寺らひ


(これは……退屈な国語の授業の合間に私が見た、刹那の夢)



 ●………


 殺したはずの兎が僕の前を歩いていた。


 夕闇に覆われた野原に兎の赤眼がきらきらと光る。――兎、なぜお前の眼は赤いのだろう。さあさあと風が吹き抜けていった。

 追いかけると兎は逃げた。夕闇の中に霞んでゆく兎を追いかける内に僕は、ふと穴へ落ちた。狭く深い穴を僕は螺旋を描いて落ちていった。


 

 

 気がついた。



 路地裏……涼しい風が吹いていた。



「君……」


 僕の頬をおそろしく冷たい指が触れたので、跳び起きて見た。大きな帽子を頭に載せた女の子が僕のことを見ている。


「君、どうしたの」と、女の子が言った。

「……僕は、兎を探していて」

「兎か。兎ならば、安く売る店を知っている。連れていってあげよう」

「いや逃げた兎を探しているんだ」

「いや何、兎はみな逃げるものだよ」


 女の子は冷たい手で僕の腕を掴み、歩いた。


「どこへ行くの」

「いいからいいから」

「君、名前は」

「何とでも呼び給え」

「困ったな」

「あはは」

「君は――」

「どうしたの」

「どうして君は――」

「うん」

「君は、――眼が、怖いほど赤いよ」


 案内されて入った市場には化物が歩き回っていた。蛇や蝙蝠や、猫などが外套を羽織って、口を利いている。

「さあ――」

 女の子は僕の手を引いて歩いていった。

 やがて兎を売る店が見えてきた。兎はどれも生きている。生きたまま、耳を紐に結ばれて、吊されているのだった。

「さあ――君、どれでも選び給え」

 僕はそんなに欲しくなかったが、一羽、選んで買った。

 市場を抜けると草原が続いていた。二人で歩いていった。ふと、女の子が兎を喰おうと言い出した。

 女の子は兎を、花でも手折るように殺して、火を焚いて、さあ喰おう、と言う。

 だが、食べてみると、兎肉は意外にも美味かった。

「美味いね」

「そうかい」

 女の子は大きな帽子を脱いで、笑みを浮かべた。長い耳があった。よく見たら女の子は兎だった。

「そんなに美味いかい」


 僕が貪っているのは、人間の脚だった。


 

 

Ⅵ桐谷鐐子


「鬱。


 目に見えるもの、羅列。


 机、

 ペンケース、

 紅いシャープペンシル、

 消しゴム、

 ノート、

 教科書、

 前の席の西園寺さん、

 黒板、

 国語教師、

 壁掛け時計、

 時間割、

 掃除当番表、

 ストーヴ、

 窓、

 扉、

 床、

 ため息、

 倦怠、

 眠気、

 哲学、

 恋、

 数字、

 幾何、

 迫害、

 悪徳、

 意地悪、

 嘘、

 苛立ち、

 時間、

 欲望、

 論理、

 詩、

 静寂、

 昨日と同じ空気、

 夕暮れ、


 ……もうすぐ授業おわり。」

 

 

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